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2018年 04月 27日
寄生蜂(コマユバチ、ヒメバチ)
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アスチルベの葉裏に、2cmくらいの青虫がいた。

あれ、ちょっと色と動きがおかしいかな?と思ってよく見たら、脇腹に穴があいて、寄生蜂の繭がくっついている。

青虫は、ときどき激しく上半身を振って、苦しそうだ。コマユバチの幼虫は、繭を作る直前に一斉に体外に出てきてるのを見ることが多いけど、今はまだ一つしか繭が見られないから、このあと続けて何匹かが出てくるところなのかもしれない。全部の幼虫が体外に出てきて繭になり終わる頃、青虫の方は死んでしまう。
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その頃、庭のいろんな場所では、寄生蜂の姿もたくさん見かけた。

触覚の中頃が白いこの蜂は、ヒメバチの一種かな。しきりに触覚を震わせて、葉の表面を触覚で小刻みに叩くドラミングと呼ばれる動作をしながら、いろんな葉の上をじっくり探索していた。寄生蜂が宿主になるアオムシたちを探し出す方法は、葉っぱの上に残されたアオムシたちの食害痕を追跡するというので、多分このハチも宿主の形跡を探し中なんだと思われた。
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近くには、黒いヒメバチと全く同じ動作をしながら、葉っぱの上を探し回ってるオレンジ色のハチもいた。すぐに飛んで行っちゃったので、どんなハチかは確認できなかったんだけど、触覚で葉の表面を叩きながら移動する様子からして、やっぱり卵を寄生させるための宿主を探していたんだと思う。アオムシはたいてい葉の裏側に隠れていることが多いが、こんなのがいっぱい飛び回ってるんじゃ、安心できないだろうな。
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ちなみに、アオムシに寄生するコマユバチたちも、さらにもっと小型の別の寄生蜂たちに狙われている。こういうのを二次寄生とか、高次寄生というようだ。自然の中では狙ったり狙われたり、無事に大人になって繁殖するのって、大変なことだ。

* * * * * * * * * * * * *

ミステリと寄生虫のまさかの組み合わせ。
すごく怖いので、怖いもの好き・虫好きな人だけ読むと良いと思う。
虫好きなら、あー!あるね、あるね、そういう虫いるもんね!って思う。





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by macchi73 | 2018-04-27 06:30 | 【生物】昆虫・その他の生物 | Comments(3)
2018年 04月 08日
熟年サイクリング
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土曜の夜の仕事帰り、家に電話したら非常に珍しいことに家族全員が揃っていたのでフレンチに誘ったら全員が「行くー!」と二つ返事。忙しい大学生たちが揃うのは珍しいことだ。子供達全員、よく笑いよく喋りよく食べる。そういう様子を見てるのが楽しいっていうの、何か親的な心境なんだろうか。でも来年くらいには上の子たちはもう家にいないのか……末っ子が寂しがるだろうな。

なんかしんみりして、翌日はサイクリングに誘ってみた。小さい頃からいつも家族でサイクリングして、色んなところ行っただろう?

えーと、サイクリングは結構です……と全子供連からの即答。そしてそれぞれがそれぞれの用事をするということで散って行った。ちぇ。街遊びには喰いついてくるくせによう。

仕方ないので大人二人でサイクリングした。面白そうな場所見つけたんだ、子供無しならサックリ飛ばして帰って来れるし坂道あるよ!と夫だけが嬉しそう。
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それで、柳瀬川〜空堀川というところに行って来た。
川沿いの気楽な道で、短いが凄い急勾配の坂もあって崖からの見晴らしも良い。子どもたちと出かける時は色んな場所で停まっては遊び、停まっては遊びだったけど、大人二人ならスイスイ進む。人の世話しなくて良いって楽ちんだ。でも楽ちん過ぎて、なんか拍子抜け。

のどかな風景を味わって、途中の喫茶店なんかも結構良くて、あー子供も来れば喜んだろうになあ、と思う(いや、もうそうでもないのか……)。

そして夜。道中で見つけた動植物の写真をブログにアップしとくか……とPCに向かってふと思うに、「子どもとおでかけ」タグは「夫とおでかけ」に変えられるべき時期が来たのかもしれない。何とも言えない気分。
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今後の子どもとのお出かけは、物理世界ではなく趣味世界でのことにシフトしていくのかもしれないな。

面白くてちょっと珍しいファンタジー無いかな?と末っ子に聞かれて、これはと思う本を水先案内する。設定は吉田戦車のほのぼの漫画『おかゆネコ』(これも面白い)と同じなのに、ハラハラドキドキ感が物凄いんだ。きっと気に入ると思う。

『天才ネコモーリスとその仲間たち』(テリー・プラチェット)

作者は、たぶん読者の子供たちにこの世界でうまく生きる処世術を伝えようという意図を持って書いていると思う。だけどそれが前面に出てウルサくならない、絶妙のラインをキープしていて好ましい。

ちょっとふざけた書き方のせいもあるけど、西洋的な倫理観はベースにしつつも、現実ではそれだけじゃなくてもう少し卑近なバランス感覚や、ちょっとした愛着やメンツや責任感(身に染み付いたしがらみみたいなもの)が力を持つ感じが滲み出てるとこが良いのかも。

普通なら主役になる少年少女やネズミたちじゃなく、脇役ポジションの猫を主人公にしたのがメチャクチャ巧いやり方だと思う。人間とネズミは成長する、一方ネコは……。読み終わったとき、笑えて、寂しくて、でもわくわくが続く。私は一緒に冒険したモーリスが好きになってしまって、お話が終わってさよならした今でも、きっと今もどこかで上手くやってるんだろうって感じと、一部はずっと一緒にいる気がする。チビすけだった我が子たちとの時間もそんな感じ。
 それはさ、ぼくたちが心やさしいネコだからだよ、とモーリスの良心がいった。
 いいや、やさしくなんかない、とモーリスは思った。
 ああ、たしかにやさしくない、と良心。でもね、デンジャラスビーンズにそんなことを知られるのはいやだろ?あのちっこい鼻をひくひくさせてるやつにさ。
「まったく、人間ってものをまるで知らねえんだな」
モーリスはもう一つため息をついた。
「おっしゃいますけどねえ、あたし、人間なんですからね!」
「だからどうだってんだ? ネコってのは人間のことをようく知ってんだよ。知らなくちゃやっていけない。戸棚をあけられるのは人間だけだからな。いいか、あのネズミ王だって、よっぽどましな計画を思いつくぜ。いい計画ってのはだなあ、片方が勝ったんじゃだめなんだ。負けたと思うやつがひとりも出ないようにしないと。」


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by macchi73 | 2018-04-08 23:55 | 面白かった本など | Comments(5)
2018年 03月 31日
三月日記:菫の群生
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今日は出勤がてら、毎年スミレが乱れ咲くお気に入りの場所をチェックに行った。

よし!今年も一面に咲き乱れて、地面がほんのり薄紫に染まっているのを確認!何ごとも変わりなし!
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ただ、あともう少しすると、あちこち株が掘り返されて穴だらけの地面になって寂しい気持ちになるのも毎年恒例のイベントなのだった。一応、園芸には全く関係無い公共の場所なんだけど、立ち入り禁止にはしていない寂れた場所なので、知ってる人は知ってる穴場なんだろう(私も知ってる訳だし。掘らないが)。

でもまあ、それでも毎年こんなに咲くんだから、菫ライフ的には掘られることも含めてうまく回ってるのかな。それとも全然掘られなかったら、これ以上の繁栄を誇ったりもするんだろうか。さらに高密度の菫の地面、見てみたい気もするが。
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ということで、これで三月日記も終わり!

園芸的に役に立つ記事もなく、本当にただの日記になっちゃったけど、とりあえず一ヶ月の頻回更新はやり遂げた(……って、別に誰の得にもならない試みだが)。この調子で、今年は計画的&有言実行でいく。ちなみに明日からは四月なので通常更新に戻してく(←有言しとく)。

次に有言実行するのは日々のエクササイズだ。もちろん、ブログには載せないが。
健診結果の跳ね上がり具合がとんでもなく、この急勾配を維持したら近々に天国の門が見えちゃうんじゃ?という現実への危機感を持って(大げさ)、次回の検診までには、きっと改善をする所存。末っ子が手を離れるまで、あと十年は元気で働かないとだしなあ。

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哀れ菫たちの拉致を予め知っているのに、不可避のイベントとして黙って見てる、そんな状況つながりで。

『予告された殺人の記録』(ガルシア・マルケス)

ミステリみたいなタイトルだが、ミステリではない。

マルケスの土着感&まじないに満ちた小説は、「これって面白いって言えるのかな?むしろ退屈か?」とかいつも頭の半分で思いつつ、どういう訳か凄く好きなんだけど、その中でも何故か(と思ってしまう……)小粒感のあるこの話が一番好き。

とても面倒臭い変人と人騒がせな女との、すごく馬鹿らしいロマンチックな物語でもあると思う。


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by macchi73 | 2018-03-31 23:58 | 【その他】日記 | Comments(5)
2018年 03月 30日
三月日記:春日
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数日前の暖かい夕方、1時間くらい散歩しようと、ポッケに財布だけ入れてシャツ一枚で家を出たら、ついでに買物してきて、と頼まれた。

満開でふんわりした桜が異常に綺麗で、桜を追って北北西に進路をとった。歩いているうちに少しずつ空がオレンジ、ピンク、ブルーグレーに移り変わって、物や人の形がぼんやりと判別しにくくなる。一方で、桜や雪柳、白木蓮や辛夷などの花だけは白く浮き上がって、夢みたいに綺麗。

気づいたら、すっかり夜だった。まずい、片道だけで絶対1時間超えちゃった、買物たのまれてたなと思って、大きい公園を抜けて近道で帰ろうとしたら、暗い林が延々続くので出口の方向がわからない。あまり知らない場所だし困ったなーと空を見たら、少し欠けた丸い月が明るく見えた。この時間帯なら(って、時計も無いけど)、多分あれが南東だろと月に向かってひたすら真っ直ぐ歩く。

さっきまではムワッと生暖かい空気に包まれて歩いていたのに、ところどころ冷んやりした空気が流れてきて、公園内には霧のようなものが発生している。暖かい空気と冷たい空気の塊が交互に肌に当たるのを感じて、暖流と寒流のぶつかる水域で泳ぐ魚ってこんな感覚なのかなと想像した。

家について、遅かったねどこまで行ってたの?と聞かれて、市を三つ越えちゃったよとルートを教えたら、ええー馬鹿だね、と呆れられる。でも、途中に見かけたお店でゲットした大きなステーキ肉を見せたら、ニコニコ顔になった。

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朔太郎の詩って、なんかネバっとしたところが好きじゃないが、この詩は好き。理由は、花が光るのを教えてくれたから。

花って、暖かい夕方から夜に特に光ると思う。


『萩原朔太郎詩集』
春日

恋魚の身こそ哀しけれ、
いちにちいすにもたれつゝ、
ひくゝかなづるまんどりん、
夕ぐれどきにかみいづる、
柴草の根はうす甘く、
せんなき出窓の菫さへ、
光り光てたえがたし。



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by macchi73 | 2018-03-30 23:55 | 【その他】日記 | Comments(3)
2018年 03月 25日
三月日記:春サイクリング@深大寺門前〜野川
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春休みの子供とランチに出かけた。
日差しも風も暖かくて、上着がなくても気持ち良い。せっかくのお天気だから遠くまでサイクリング行こうよと誘ったら、「えー面倒臭いから嫌だ」とつれない答え。

てくてく歩きながら、足元に青い小花が群れ咲いているのを見て、この花好きなんだーと言うので、オオイヌノフグリっていう名前だよと教える。ふーん、どういう意味?と更に質問されて、英語で言えばビッグ・ドッグズ・ゴールデン・ボールズってとこかなと答える。えーわかんない、日本語で言ってよ?と更に追求されたので、「セクハラか!」と憤りながら、懇切丁寧に解説した。つまり果実の形状からの由来なんだ。昔、牧野博士っていう分類学者がいてさ、変な名前を付けまくった。ハキダメギク、ワルナスビ、ヘクソカズラとか。酷いよね。

そしたらウケて、もっと花の名前教えてくれるならサイクリングに行ってもイイよと言う。それでまずは調布深大寺の門前町まで自転車飛ばして、花見してお団子たべて、それから野川沿いをサイクリングした。

野川沿いでは、休憩時間にレジャーシートを敷いてしばらく日光浴していたら、大犬、子犬、猫、リクガメなどが次々と通りかかり、思う存分撫でさせてくれて娘ご満悦。

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道々、草の名前や特徴を説明しながら、自転車を担いで川を渡ったり、チェーンが外れてギアに絡んだのを逆さまにしてクルクルっと手でペダルを回して直したりしてたら、急にしみじみと、なんか今日はお母さんを尊敬してばかりだよ……と言う。えー照れる。なんかして欲しいことある?

そしたら「今日の晩御飯は野草料理しよう!前に川で楽しかったし」というので、それはもちろん、リクエストに全力で応えた。ヨモギとツクシとナノハナの美味しそうなヤツを摘んで帰る。そして庭にはびこる明日葉、ユキノシタも加えて野草の夕べにした。

色々遊べて、完璧な一日。

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菜の花のおひたし、土筆の卵とじ、ユキノシタとヨモギの天ぷら、明日葉のチャーハン、それからシソ入り揚肉団子。

写真は、食後の残りを夜食用にとりわけた一皿なので見栄えはちょっと悪いけど、どれもとっても美味しかったです。

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ひどい博士。

『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』

多少フェティシスティック。だけど共感。
花は黙っています。それだのに花はなぜあんなに綺麗なのでしょう? なぜあんなに快く匂っているのでしょう? 思い疲れた夕など、窓辺にかおる一輪の百合の花を、じっと抱きしめてやりたいような思いにかられても、百合の花は黙っています。そしてちっとも変わらぬ清楚な姿でただじっと匂っているのです。
私は植物の愛人としてこの世に生まれきたように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います。ハヽヽヽ。私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが、しかしその好きになった動機というものはじつのところそこに何もありません。つまり生まれながらに好きであったのです。
そこで面白いことは植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが人間は植物がなくては生活のできぬことである。そうすると植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向うてオジギをせねばならぬ立場にある。(略)人間は植物を神様だと崇拝し礼拝しそれに感謝の真心を捧ぐべきである。

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by macchi73 | 2018-03-25 23:55 | 面白かった本など | Comments(4)
2018年 03月 13日
三月日記:『花を愉しむ事典』(J. アディソン著)
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俯いて咲く庭のスイセンを見ながらナルキッソスとエコーの神話エピソードを話したら、子供の喰いつきが凄い。で、この本にも色々載ってるよと本棚の『花を愉しむ事典』を渡したら思いの外気に入った様子で、それから何かとページを開いている。

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Echo and Narcissus by J. W. Waterhouse (1903) / Public Domain

事典に載っている植物について、図鑑で写真まで調べて何かスケッチブックに描き込んだりしているようなので、ずいぶん熱心だなと不思議に思う。というのは、『花を愉しむ事典』は、いろいろな植物についての神話・文学からの引用・占星術的意味・象徴・花言葉・怪し気な利用法(たぶん中世書物出典が多そう)など雑多な情報が固めの文章で羅列されたもので、殆ど絵もついてないし、小学生が読んでもそんなに面白がりそうにないタイプの本だからだ。

それで、何やってるの?と覗き込んだら、恥ずかしがって少ししか見せてくれなかったが、どうも古臭い伝説や錬金術的記述がかえって前思春期の嗜好を刺激したらしく、自分なりの物語設定に発展させられていた。笑いながら、これって中二病っぽいかな?と自分で言うが、いやあ想像力は大事だよ、恥ずかしがるなかれ、と大人の余裕で包み込んでみる。そしたら、「お母さんも何か書いて」とスケッチブックの1スペースをくれたので、娘の想像力に敬意を表し、44歳の中二力を振り絞って1ページ寄稿させてもらった。お母さんの花の絵、すごい本物っぽいなーと感心されて嬉しい。ふふん。

それから、仲良しのナントカちゃんもお話し考えるの好きで、こういうの見せ合ったりしてんだーと朗らかに言うので、えっ?人に見せんの?お母さんのページも?と、いきなり慌てたりして。子供の想像力は恥ずかしいものではないが、大人の世界には秘すれば花なりという言葉もあってさ……と、急に手のひら返しの大人。

『花を愉しむ事典―神話伝説・文学・利用法から花言葉・占い・誕生花まで』

各種植物に対して、縦横無尽に多くの引用や由来が羅列されている。雰囲気の紹介に、最後の項目を引用(本当はもっと色々載っていて長い)。


ワラビ
Common bracken (Pteridium aquilinum)
◆誕生花…3月24日
◆意味・象徴…信頼、魅力、誠実さ、謙遜

属名 Pteridiumは「羽根」を意味するギリシア語のpteronに由来しますが、羽根状の葉の様子から来ています。(...略...)田舎の知恵というものは、かつては一般に言い習わされていた、愛嬌はあるが簡単には理解できない次の俗謡にも見られるように、現代の読者にはかなり当惑するもののようです。

  ワラビがスプーン位の高さなら、
  正午に一時間寝てもいいでしょう、
  ワラビがひしゃく位の高さなら、
  好きなだけ寝てもいいでしょう、
  ワラビが赤くなり出したら、
  ミルクで黒パンを食べると上々。

この植物を切ると、根のところにある印がキリストを意味するギリシア語のXの文字に似ていると言われたため、多くの人々はワラビが神聖な植物であると考えました。(...略...)シェイクスピアの『ヘンリー4世』の中でギャッズヒルは、「我々はシダの種子の使い方を心得ている……歩いても人には見えないぞ」と言いますが、しかしながら、それへの返答はもっと実際的な見解でした、「誓って言うが、その歩いても人に見えないという点は、シダの種子のせいというより夜のせいだ、と私は思うよ」。イギリスの多くの地方では、シダの種子は洗礼者ヨハネの祝日(6月24日)の前夜、しかもちょうど彼が誕生した瞬間にしか見えないと、そして集めるにはその時が明らかに最も縁起がよいと、認められていました。

(...略...)

ある種のシダは、アイルランド、スコットランドなどに住んでいたケルト人であるゲール人の、次の歌に明らかにされているように、媚薬として重要でした、

  私の心をぐっと引きつけたのは、
  あの乙女の類まれなる美しさ、
  決してシダの根の飲み物ではなく、
  あの娘の青い瞳の眼差しでした。

(...略...)捻挫や炎症には、ワラビの、とりわけ、月がかけている時採取されたものには、治癒力があると広く信じられていました。(...略...)1年間の歯痛に対する保障として、迷信を信じる人たちは春に藁着の種子を噛んで、誓いを立てました。


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by macchi73 | 2018-03-13 23:55 | 面白かった本など | Comments(4)
2018年 03月 05日
三月日記:ヒヤシンスの中のバナナ
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なんで今月は三月日記ってタイトルに一々つけてるかといえば、庭があまりにも良い匂いで、日々、新しい花が咲くから、今月はしばしば庭の草花の写真を投稿しようかな、なんてふと思っちゃったんだよな。

ただ、毎日書くことなんて無いだろうから、とりあえず三月の記録だから三月記というヘッダーをつけて、日々の草花の写真を投稿すれば良いやと思った。そして、「あっ、これだと中島敦の山月記のシャレみたいじゃないか?恥ずかしい」なんて気を回して、三月日記に変えた。自意識過剰か。

で、花の写真だけでもアップしとこって思ったんだけど。朝はすごく眠くて、夜は忙しいし暗いしで、これといった写真も撮れないなんて。計画倒れもいいとこ。

しかし三日坊主でいきなりヘッダーがとれてるのも意味不明で格好が悪いので(自意識過剰)、とりあえず四日は続けた。これが四日目の三月日記。庭で良い匂いをさせてたヒヤシンスが折れた。それでテーブルに飾った。

部屋が春の甘い香りだ……とうっとりしていたら、娘が「バナナの匂いに似てる」と言う。その後どうしたことか、ヒヤシンスの香りの一部に確かに存在する、バナナ成分が強烈に自己主張を始めて止まない。香りが変わった訳じゃないのに。

そういう訳で、すでに後悔し始めている。この後も三月日記を続ける胆力はあるだろうか。どうだろうか。
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『李陵・山月記』(中島敦)

端正な名作すぎて、意識してると思われたら恥ずかしい。奇しくもテーマは自意識過剰の物語だし。

とか言いつつ、苦悩する虎に対しては、そんな大げさに考えるなよ、と思わないでもない。



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by macchi73 | 2018-03-05 23:55 | 【庭】季節の様子・庭仕事 | Comments(0)
2018年 03月 03日
三月日記:放浪記
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趣味の大会の日。全国津々浦々、時に海外からも懐かしいメンツが集合する。

ここ二十年来、年に一度のこの日ばかりは大人の勝手の日だ。家は子供たちに任せて、夫婦ふたりで週末まるまる留守にする。昔はベビーシッターを頼まねばならなかったが、いつの間にか子供たちも十代二十代となって、置いていくのに何の心配もない。大人不在の混沌の家で、ゲームでも漫画でも夜更かしでもカウチポテトでも自堕落三昧するが良い。

そして戦った。たなぼたもあって決勝に進んだ。凌いで凌いで、チャンス到来、蝶のように舞い蜂のように刺す!

夫含むギャラリーの歓声を浴びながら、優勝者の金メダルとわっしと掴んで皆さんに優雅に挨拶しようとしたところ、ちょっと待ったの声。なんと計算ミスがあり、仕切り直しで延長戦となった。二十年やってて延長戦なんて初めてのこと。

そこからまた数時間、力及ばず二位で終了。

すっごいガックリ来た。紳士的に勝者と握手を交わし、拍手しながらも涙目であった。

大会後、みんなと別れて二人で家に戻る途中、おーい、macchi, 元気だせよう、と夫が何度も呼びかけてくる。家に着くと、夜になりかけの庭はほんのり暖かくて、この頃毎日見るたびに花が増えてる。今日はクロッカスがぽこぽこ地面から顔を出してた。花屋さんでみるクロッカスとは全然違う、小柄でヒョロッとした感じの貧相な佇まい。最初に植えてからもう11年くらいたってるからなあ。そりゃ、ヒョロヒョロにもなるよ。世話もしないのに、よくこんなに長年咲き続けてるよ。この十年、二十年で色々あったよ。

とか物思いに耽っていると、また夫が、元気出せよう、なんで静かなんだよう、と話しかけてくるが、虚脱して無言。でも凹んでるだけじゃないんだ、がっかりも含めて、なんか楽しかったなーって余韻に浸ってんの。

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『麻雀放浪記』(阿佐田哲也)


我が青春のバイブル。私の中では、世界の名作入り。

麻雀小説っていうとハードボイルドっぽく思われがちだし、そういう世界を描こうともしているが、著者は気立てが優しい質の人なんだろうと感じさせる叙情がある。麻雀を知らなくても、たぶん面白いはず。

色川武大名義で書いてる純文学より、阿佐田哲也名義のこっちの方が瑞々しい感じがして私は好き(多分、若いころに書いてるからだろう)。


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by macchi73 | 2018-03-03 23:55 | 面白かった本など | Comments(5)
2017年 12月 24日
クリスマスの薔薇
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早起きして外に出る。冬の朝って、彩度が低くて独特な美しさがある。「冬はつとめて」と娘。それで一緒に喫茶店のモーニングに行く。

庭では晩秋からずっとブルームーンが咲き続けていて、近付くと青バラに特有の爽やかな冷たい香りがする。一斉に咲き誇る感じではないが、一つが散りかければまた一つ蕾が開いて、庭に長いこと色を添えてくれているありがたいバラだ。青みがかったようなグレーっぽいような微妙な色は、冬の朝にぴったりだと思う。
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末っ子に、youtubeで見つけたバラの編み方を教えて欲しいと頼まれた。「早くて分からないんだよ」という。確かに。娘や私のような初心者だと、いきなり動画についていくってのは難しいな。

それで全体を把握するために編図を探してみる。なるほど、はしごみたいな土台を作って、各格子部分に一枚の花弁を築いていく訳か。基本的な構造さえ分かれば、あとは先の動画を真似して反復動作を続ければOKなはず。娘に実演しながら伝授する。「なんかこの繰り返し、リズミカルで楽しい」娘の手の中でバラがどんどん出来上がっていく。
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そしてクリスマス。
末っ子から家族へのプレゼントは、手編みのアクセサリーだった。予想はしていたが、すごく良い!そして、長女から私へのプレゼントは花の入ったリップクリームだった。冬なのに花づくし。
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ちなみに私は、家族からリクエストのあったプレゼントを購入しつつ、それぞれに立体刺繍の小物をつけて贈ろうと準備していたのであった。しかしウキウキ編物をしている末っ子の動向を見て、被りそうなので今回は止めといた。卒業式くらいに合わせて贈ろうと思う。

『立体刺繡で織りなす、美しい花々とアクセサリー』(アトリエFil)
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by macchi73 | 2017-12-24 23:55 | 【その他】日記 | Comments(2)
2017年 11月 21日
『動物たちの喜びの王国』(ジョナサン・バルコム)
仕事の宿題が溜まりまくり。持ち帰りまくり。なのに移動中に見かけた本屋さんで面白そうな本をみかけてまとめ買いしてしまった。

そうして今日読んだのは『動物たちの喜びの王国』(ジョナサン・バルコム)。結論から言うと、すごく面白かった。人間以外にも喜びや楽しみ、遊びの心があるのか?っていう話。地球上の様々な生物に見られる行動や実験結果などが載っている。



まずは「人間以外の生物にも痛みや苦痛はあるか?」というテーマの研究が昔から数多されている事実には少し驚いた。研究するまでもなく当然あるだろ、特に脊椎動物であれば人間とも殆ど体のつくり同じなんだしって当たり前に思ってたが(でもそういう感覚って、東洋人に強いのかもしれない)。そこからまた一歩進めて、「では、様々な喜びもあるのだろうか?検証、考察してみよう」というのが本書の眼目。
一八世紀の哲学者ジェレミー・ベンサムは動物に関して有名な言葉を残した。「問題は、話すことができるか、理性的に考えることができるかではなく、苦痛を感じるかどうかである」。

(…略…)

わたしたちが、動物が感じるのは痛みや苦しみだけだと信じているのなら、その痛みや苦しみを取りのぞいてやればすべてうまくいくだろう。しかし、動物たちが喜びの感情ももつとわかれば、話は違ってくる。彼らから喜びを奪うのはよくないと思うようになるのではないか。

(…略…)

道徳的に考慮してもらう資格があるかどうかは、理性があるからというよりも、世界を感じとることができるかどうかで決められることを忘れないでほしい。それはほかの動物たちも同じであり−−というよりも、同じ資格があると考えるべきなのだ。

個人的には、人間と同じ感じ方ではないにしても、動物にだって悲喜こもごも色々あるのは当然のように思える。うちの庭にくる野鳥たちの様子なんて、まさに楽しみのために遊んでるのが明らかに思えるし。この本の中で触れられている、知覚能力や生活環境が違う生物たちは、私たちが感じたことがない喜びや感情も経験している可能性があるというのはわくわくする話だ。前に調べた、一生の大半を遠洋の空中で過ごす鳥セグロアジサシの高揚感とか、きっと自分には想像もできないんだろうなと思いつつ、想像してみたりする。

しかし、魚や昆虫にも気質の個体差が見られるというところは、ドキッとして少し痛みを感じた。簡単に死ぬことを見越して膨大な数を産む戦略の生物に対しては、ついつい種全体で一つのように認識してしまって、個体の喜びという視点ではあまり見てなかったと気づく。だけど、これまで観察してる時にも、ゆっくり揺らす触覚、陰影をすり抜ける滑らかな泳ぎ、満足感とか快感とか何かは感じてるのかもと思わされることは確かにあった。

そんなこんなで、没頭して面白く読んでしまい、気づいたら真夜中。机の上には、本を読み始める前に読み書きしてた仕事のレポートや資料がそのまま散乱。うわあ。

でも、後悔はしていない(と締切日にも言い切れるかは不明)。
この頃、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとしオンリーのような話を聞くことが続いたりして、そういう時、何かがごっそり抜け落ちてしまっている感じがあって、ううーん、ってただモゴモゴしてしてしまうことが多かったが。なんていうか、この本を読みながら、人も、辛いことを取り除くだけではダメなんだろうなと思った。この地球は辛いことと同じく喜ばしいことにも溢れてるっていう感覚が必要だ。で、その喜びは、別に正しい人、頑張ってる人、心ある人とかだけに許されるものじゃなくて、あらゆるものにあって良いんだと思う。そのために出来ることは何なのか……。

本の最後、野生のチンパンジーの一匹が、夕日に見とれて食べるのも忘れて立ち尽くし、暗くなったのに気づいて慌てて去っていく様子の記述が可笑しかった。チンパンジーは、少なくともその瞬間はそれほど飢えてもおらず危険にも面しておらず、美しいものを見て物思いにふけり、日々の心配や生活に必要なものがいっとき抜け落ちた。それって快い時間だったろうし、その種の喜びって地球上に絶えず起きている。
「動物の生活は常に生存のための闘いである」という決まり文句が、大きな獲物をねらうハンターと同じようにこの世から消え去ってしまえば、自然に対するさまざまな誤解もなくなっていたのにと思う。

(…略…)

自然界には平安も安息もほとんど見当たらないと結論づけたとしても、それは無理もないところがある。わたしたちの日々のニュースもどうだろう。新聞の第一面には、暗澹たる運命の結末と悲観的な観測記事がでかでかと載る。それを読んだだけで、自分の家を強盗が押し入ろうとして見張っているのではないか、子どもは登校中に誘拐されるのではないかとついおびえてしまう。
しかし、あなたの心をむしばむこうした恐怖や不安は、実際の状況から見るとかなり的はずれになる。

(…略…)

同じことはチータはガゼルにも言える。自然は喧伝されているほど過酷すぎはしない。ガゼルは、わたしやあなたと同じように、たった一度死ぬだけだ。その死というのも、この世界に生まれてからずっと生きてきた時間と比べると、おそらくあっというまのできごとになる。

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動物たちは死を迎えるまで、数十日、数百日、数千日の生を受けて、自然のもとで暮らしているのだ。途中でむやみに生命を脅かされることはほとんどないだろう。 (…略…) 特に、弱々しい子ども時代を無事通りぬけた個体は、おおむね長い平和な生活を送る可能性がある。恐怖や苦しみ、または死の瞬間は必ずあるだろうが、その瞬間を迎える前には、ゆったりとした生活やその喜びをたくさん経験しているはずなのだ。

マスメディアは、野生の動物は厳しいばかりで喜びのない生活を送っているというステレオタイプのイメージを当然のように押しつけてくることが多い。 (…略…) ほとんどすべてのホッキョクグマがおとなになる前に死ぬ現実を知るのは悲しいが、人間がその状況を環境汚染によってされに悪化させているのはさらに恥ずかしい。それでも、六ヶ月の子グマが母親グマに守られて、乳を与えられ育てられているときは、一〇〇回をはるかに超える日の出と日没を経験し、命のはかなさを嘆いたりするひまはない。それぞれの生き物の日々は、たとえ短く終わるものだとしても、いのちの経験は断然すばらしいことなのだ。


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by macchi73 | 2017-11-21 01:08 | 面白かった本など | Comments(7)