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2018年 12月 09日
『動物になって生きてみた』(チャールズ・フォスター)
『動物になって生きてみた』(チャールズ・フォスター)

すっごく面白い本を読んだ!

2016年のイグ・ノーベル生物学賞受賞作。

野生動物とできる限り同じ生活をしてみて、そこから垣間見えてくるそれぞれの環世界を記録しようとした一冊だ。具体的には、アナグマ、カワウソ、キツネ、アカシカ、アマツバメに同化しようと必死の試みがなされている。

著者チャールズ・フォスターは子沢山のお父さんだが、穴で眠って・四つん這いで歩き・道に糞をして・ミミズを食べるような、ちょっと変態っぽい動物なりきり生活に自分の子供達まで道連れにしていて、微笑ましいような心配なような……。奥さんの懐の大きさが偲ばれる。

フォスター曰く、アマツバメとアナグマはどちらも地球の二つの部分を縫い合わせて繋げている。アマツバメは、毎年の渡りによって北半球と南半球を。アナグマは、日々の暮らしによって地下と地上を。そしてカワウソは水面と水中の境界線を行き来するし、キツネやアカシカが暮らしているのは過去から現在までの歴史が圧縮された地図の上だ。この世界は常に動くもので縫い合わされていて、そのおかげで一つでいられる。その安心感!
 私はいつも野生にいるというわけにはいかない。たまには、恐怖、排気ガス、野心のにおいがする場所にいかければならないこともある。そんなときには、ウェールズの丘でアナグマが眠っていること、ツイードのコートを着た私を汗ばませている太陽を浴びてキツネがまばたきしていること、ホアオーク近くのストーンサークルの周囲に並ぶ幻の木々のあいだでアカシカが反芻していること、私のオックスフォードの書斎の上で卵からかえったアマツバメがコンゴ川の熱気に満ちた青空高く、ほとんど人間の目が届かない場所で狩りをしていることを知っているだけで、ほんとうに役にたつ。
 こうしたものが安らぎを与えてくれるとは、奇妙なことだ。それらは私を安心させるどころか、あざけるはずだ。きっと、「きみはもうここにいないじゃないか。はっはっはっ」と、笑うはずだ。
 なぜそうはならないのだろうか?
 ところで私は、(どんな愛であっても)私が愛する者、とりわけ愛する人々が、ずっと存在していると確信できるだけで、同じような安らぎを得られることに気づいている。
この安らぎは、何かを実際に深く追って・見て・知ったという経験があって、初めて堅牢になる感覚だろう。ただ単に色んな他者の立場に思いを馳せて観念上の博愛を感じるだけでは、安らぎには繋がらない気がする。観念上の他者っていうのは、単に自分の中に潜む他者のイメージで、本当の他者の持つボリュームや、訳の分からなさが圧倒的に足りない。

実際に地を這い・水中を泳ぎ・森を跳ね回る、本当に自分とは別の自由に生きる他者があらゆる場所にいるっていう感覚は、やはり最初は個別の観察から始まると思う。たとえ結局はその頭の中がわからなくても、そういう他者とこの世を共有してるっていう感覚を持てたら、とても幸せなことだろう。
 長い時間がすぎたあとでも、私はまだキツネたちに話しかけることができる−−−ちょっと聞いて。ぼくらは両方とも体をもっていて、灰色の海から雲があらわれれば、その体が濡れる。だから、ぼくらは両方とも「ここにいる」んだ!「ぼく」はここにいる!「きみ」もここにいる!

 ぼくときみだ!

 それからいつものように、パブに出かける時間になる。


以下、各生物へのなりきり具合の紹介、、、
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by macchi73 | 2018-12-09 18:52 | 面白かった本など | Comments(5)
2018年 11月 29日
エピソードの標本ドリンク
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ねえねえ、今日って何の日でしょー?と末っ子が満面の笑みで語りかけてきた。わからないので黙っていたら、もどかしそうに「今日が何日だか言ってみて」と言う。で、日付を口に出して気づいた(……というか、本当は子どもの視線で気づいた)。

自家製サワーのうち二つが、やっと飲み頃になったんだった。

このところ、散歩やアウトドアでの拾いものや頂き物、庭仕事の収穫物なんかを、色々なお酒や酢に漬け込んでいたんだよね。イベント名・日付・飲み頃を書き込んだラベルが貼られたガラス瓶が、棚の上にずらっと並んでいる。

同じ日に見つけた果実は一緒の瓶に漬け込んだりして、ドリンクっていうよりは、楽しかった出来事の標本のつもり。
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それで、期待でそわそわしている子どもと二つの瓶を飲み比べた。散歩中にもらった柚子と柑橘とシナモンのサワーと、庭で採れたフェイジョアとキウイのサワー。

おおー美味しい!どっちも好き!と、子どもたちに嬉しそうに言われて、私も嬉しい。全然違う、味と香り。

「どんどん飲んで良いけど、ちゃんとラベル見てね。こっちの模様入りガラス瓶が子どもたち用ので、こっち側の丸瓶は大人用のお酒だよ」と子どもたちに注意したら、もう自分たちはお酒も飲める年だけどねーと上の子たちに笑われて、あ、そっかと小さな驚き。

『子どもたち v.s. 親たち』というグルーピングで常に認識していたが、同時に『成人 v.s. 未成年』というグルーピングも我が家には存在しているのだった。未成年は年の離れた末っ子一人きり。

急にふくれる末っ子。家族の中で自分一人だけが飲めないものがあるという事実。

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少数派、という単語でいつも頭に浮かぶのはP.K.ディックの『少数報告』。映画『マイノリティ・レポート』の原作の短編だ(映画、みてないけど)。

二転三転の未来の可変性のオチの面白さとはまた別に、自己の意思や行為というのは当事者にとってはいつも特別で一般化はできず、どんな凄い根拠で予言されても妥当性について納得する材料にはならないよなと、身にしみて感じさせる設定だった。現実でも、お前みたいなヤツは絶対こうなるよってオーソリティに予言されたとしても、いやまだなってないし/ならないし、って思うしな。

『悪夢機械』(フィリップ・K. ディック)

ディックは十代半ばの1,2年くらいで長編・短編全部まとめて一気に読んで、そのあと殆ど読み返してないので、いろんな話がごっちゃになって「ディック世界」としてのイメージだけが鮮やかに残っている気がする……。何が本当だかわからない、真偽が重なりあって揺れまくるカオスで不安なアメリカンな世界。そこで右往左往する、ちょっと情けない感じの、でも不屈の主人公たち。

だいぶうろ覚えだけど、『悪夢機械』の中では、ロケット旅行のコールドスリープ中に何度も何度も悪夢をループして苦しむ悲観的な男の夢に、何とか介入して気晴らしさせてやろうとするロケット管理AIのトホホな苦労を綴った話が好きだった。怖くて悲しくて絶望的なような、でも可笑しいような話。


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by macchi73 | 2018-11-29 07:00 | 【庭】収穫、料理 | Comments(0)
2018年 11月 20日
11月の玉川上水で見られる果実
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玉川上水沿いをサイクリング。今日のテーマは「秋の実」。木の実・草の実を見かけたら、とりあえず止まってジロジロ見るという試みだ。

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イイギリ(飯桐)が、真っ赤な果実をたくさんぶら下げていた。高木なので壮観だ。葡萄の房みたいな形のたわわな実が綺麗なので手を伸ばして一粒つまんでみた。

うっげー、苦い!!

いきなり予想外の大ダメージを食らう。おかしいな、飯桐って食べられるってどこかで読んだ気がするんだけど。そのうち見かけたら食べてみよって思っていたのは、夢でみた嘘知識だったろうか。
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次は青い実を鈴なりにつけたトウネズミモチ(唐鼠黐)。

漢方では女貞子と呼ばれて強壮剤に使われる。アンチエイジングや長寿の薬にもなるらしい。白く粉っぽいブルームに覆われていていかにも美味しそうだが実際は美味しくはない。ちょっと齧ったら渋くて甘くないリンゴの皮の味がした。
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この赤い実はシロダモかな?葉っぱが細長くて、葉脈のうち柄に一番近い支脈がくっきり目立ってるのが特徴。

実は、ピカピカでしっかりと大きく、なんとなくゴツい感じで「これは食べられないな……」という気配。味気なさそうな見た目。皮もきっと固いだろう。
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大きな夏みかんの木もあった。

柑橘類を見ると、その絶対的な食べられる感にすっぽり包まれて安心する……が、あまりにどっしりと食べられる感に溢れすぎていて、かえってつまみ食いしてやろうという気分にはならないのだった。
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まんまるの黒い実は、イヌツゲかな。昔の和風の庭には必ず生えてた。

小さい頃に住んでいた家の庭隅にも生えていて、食べていたら、毒があるから止めなさいと大人に注意されたのだった。でも何かといつも食べてたんだよなあ。効かない毒だったのか、今でも不思議。果実には汁気がなくて白くて粉っぽかったのは覚えているが、味はほとんど無かった気がする。
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なんとも言えない色褪せた感じのピンク色のマユミの実。
アンティーク調っていうか、モーヴピンクっていうのか、綺麗な色味だと思う。もう少ししたら熟して割れて赤い種が見えるはず。
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これは草の実。ヒヨドリジョウゴ。

ヒヨドリが酔っ払いみたいに大騒ぎしてよく食べるという意味でヒヨドリ上戸という名前がついた。でも実際は毒があるので鳥も食べないらしい。見るからにナス科の植物だからなー、きっと毒があるだろなっては思う。

しかし、泣き上戸・笑い上戸・ひよどり上戸って並べると、酒に酔うとヒヨドリになっちゃうタイプが思い浮かぶんだけど、どうか。
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直径1cmくらいある、綺麗な球形の大きな実はシャリンバイ(車輪梅)。

そう美味しくはないが食べられると読んだことがある。ちょっと試してみよっかなとチラッと思ったが、その元気が出なくてやめた。バラ科だし食べられないことは無いと思うが、また夢でみた嘘知識っていう可能性もあるからな。というのも、最初に食べたイイギリの苦味が口中からどうしても無くならず、しかも何となく微かに気持ちが悪い気もする……。

まさか毒だったのか?たった一粒でもヤバイことってあるのか?もしかしてもうダメなのか?なんて臆病風に吹かれつつ、今日の「秋の実サイクリング」はお終い。色んな実を見て楽しかったが、心配性のくせに何でも口に入れるのはやめた方がいい。
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ひよどりつながりで……。

『死人の声をきくがよい』(ひよどり祥子)

最初グロテスクだが、1,2巻我慢してそのまま読み進めて欲しいオススメ漫画。きっと、だんだん可笑しくなってくる。だんだん可愛くなってくる。だんだん切なくなってくる。

基本的にはとぼけた話で、諸星大二朗にちょっと似てる(特に、大大大好きな栞と紙魚子シリーズに通じるものがある気がする)。

脇役の魔子さんの兄の話で、「この娘って『闇夜に遊ぶな子どもたち』のマコちゃんの成長後か?」と気付いたときには、不覚にもホロっとしたりして……。

「実は宇宙人」という設定の同級生なんかが脇役にいて、宇宙人姿の時には邪悪な魔物も避けるほどの異臭っぽいんだけどストーリーの中にその宇宙人姿は出てこないとか、笑ってしまった。『ジョジョの奇妙な冒険』でも、自称宇宙人だという街の高校生ミキタカが、ラスボスの力も効かなくてある意味最強な感じなのに、宇宙人だからメインのストーリーとは絡まないただのヘンテコな脇役なのも可笑しくて好きだった。

物語の中で敵味方の真剣な戦いが繰り広げられている時にも、その隣には全然そんなこと関心がない、全く違う価値観をもつ存在も普通に超然と暮らしてるっていうのが、私の笑いのツボっぽい。トールキンの『指輪物語』のトム・ボンバディルなんかが、その源流かもな。


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by macchi73 | 2018-11-20 23:45 | 【自然】雑草、野草 | Comments(3)
2018年 10月 12日
ずる休み
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(今日の写真は手元のものを適当にアップ。内容と関係なし)

仕事の予定が無くなった。で、急遽ずる休み。すみませんが今日は体調不良で休みます……なんつって。別に嘘をつかなくって良いんだろうが、休みたい気分だから休むよってのは、当日の朝だと、なんとなく言いにくい。

窓から見たら、天気良し。ウキウキする。

で、まずは夏の後始末をした。
風呂場の天井の角に黒いカビが繁殖しちゃったのがずっと気になってたのだった。普段の風呂掃除で手が届かない場所。先端にスポンジがついた長い棒(優れもの!)を買ってきて、隅から隅までカビキラーをした。

がらんと天井の高い風呂空間が、天国のように真っ白になって眩しいくらいだ。空気が塩素臭に満ちて、清潔感を強烈に主張する。マスクを外して、風呂の窓々を開けて風を通した。一つ、片付いた。

e0134713_2171213.jpg(牛殺しのマス、黴殺しのマチ……。

カビは殺すが、粘菌は殺さない)


それから秋の衣替えもした。
夏服をずらっと洗って干して押入れにしまい、秋物に入れ替える。穴があちこち開きまくりの愛用パンツを一本捨てて、仕事用にミセスっぽいパンツを買った。へへ。変な感じで笑った。けど、多分人から見たらこういうのが年齢的には似合ってるのかな?よくわからず。まあ単なる記号だからOK。家族全員にお揃いの柔らかい綿ニットも買ってタンスの引き出しに入れておく。よし、二つ片付いた。

e0134713_2171074.jpg(ちょっと前にジュウジナガカメムシの群れを見た。

もっと寒くなると、集団越冬の冬ごもりのためにも寄り集まる)


夕方遅くには、子の学校の役員決めに出かけた。
決まるまで毎晩集まりますよという声に、みなが俯向く。別にやっても良い気もしたが、重い空気に迂闊に動けず、無駄に様子見をする。そのうち窓の外が黒くなった。せっかくの休日、早く帰りたくて、スイマセン……と手をあげたら、パタパタっと決まって帰宅できた。みんな感じの良いお母さんたちで気楽になった。外出ついでに夜の灯を見ながら散歩して、本を買って帰った。三つ片付いた。

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そして休み明け。
色々片付けられてなかなか良い休みであった……と清々しい気分で出勤したら、どういう話になってんのか、全く仕事のやりとりもない部署の人たちからまでお気遣いの連絡があって慌てた。何か大げさに伝わったらしい。言い訳の体調不良をすっかり失念して、朝から元気一杯にしていた。

そこから急に「体調不良だったけどもう大丈夫系」の小芝居をするのも恥ずかしく、でも心配されたままも悪い気がしたので、えーと、すいません、ちょっと嘘でした、なんて方々にお伝えするハメになって、失敗。嘘をつくときは慎重に。

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ずる休みの夜の読書。よりによって労働の本。

シモーヌ・ヴェイユは20世紀フランスの女性哲学者だが、不幸や痛みが恩寵として強調されている一連のテキストは、哲学というより、ちょっと詩的な信仰や祈りのようで胸に迫る感じがあった。


『シモーヌ・ヴェイユ・アンソロジー』(河出文庫)

ヴェイユは第一次・二次世界大戦の頃に子供~大人時代を過ごし、人が機会のように扱われる工場勤務などを経験し、終戦前に34歳で衰弱死(拒食による餓死?)で亡くなっている。

『工場生活の経験』『奴隷的でない労働の第一条件』等々のタイトルからも何か伝わって来そうだが、弱い立場でクタクタになって、しかも巧い言葉も持たない労働者たちの生き方を見て・味わって、ぐるぐる考えた人っぽい。

この重苦しい空虚さは、あまりにも苦しませる。それは、教養がなく、知性が低い多くの人々にも感じられる。自らの条件からして、その空虚さがなんであるかがわからない人は、生涯に亘ってその空虚さを耐え忍んでいる人の行為を公正に判断することができない。この空虚さは殺しはしないが、それはおそらく、飢えと同様に苦しませる。おそらくはそれ以上である。(略)

癒す薬に選択肢はない。それはただひとつしかない。ただひとつのものだけが、単調さを堪え忍ばせる。それは永遠の光である。それは美である。(略)

美は大衆のためにあり、大衆は美のためにある。他の社会的条件にある人にとっては詩は贅沢である。大衆はパンのように詩を必要としている。言葉のなかに閉じ込められた詩ではない。そうしたものは、それ自体、大衆の何の役にも立たない。大衆が必要としているのは、その人の日常生活の実態それ自体が詩であるということだ。

こうした詩の源泉はただひとつしかない。その源泉は神である。

単調で疲れがちで無意味な生に意味をもたらすのは美だというのは、凄く共感できる。
美って、別に綺麗なものということではなくて、美醜に関わらず、自分の外側に・自分とは関係なく厳然として在るものはみんな美の一部かもなと感じる。どこに美が宿っているとかいうのは細かく切り分けては区別できない。全体に宿っている、としか言いようが無い。

でも、最後はどうしても神との関係に思索が進んで行くところは、やっぱり一神教西洋哲学の定番なのか?それとも、若くして亡くなった人だからか?

もしかしたら一神教世界の人たちがいう「神」は、東洋の自分が思うところの「宇宙」みたいなものなのか。それなら単語を差し替えれば幾らかしっくり来て、ちょっとは感覚がわかる気もする。

* * *

ところどころで言及される「叫び」についても、考えさせられるところがあった。自分も目にしたことのある場面が、色々な実感を持って思い出された。
奴隷のようにあまりに打撃を受けすぎた人において、悪を課され、驚いて叫びを上げるこの心の部分は死んでいるように思われる。だがこの心の部分はけっして完全には死んではいない。ただこの心の部分はもはや叫ぶことができないだけである。この心の部分は、聞きとられることのない、絶え間ないうめきの状態に置かれている。

だが叫ぶ能力が無傷のままの人であっても、この叫びが、内的にも外的にも、理路整然とした言葉となって表現されることはまずない。たいていの場合、この叫びを表現しようとする言葉が完全に間違ってしまっている。

このことは、悪を被っていると感じる機会を頻繁にもつ人がもっとも語る術をもたない人であるだけに、いっそう避け難い。たとえば、軽罪裁判所で流暢に気のきいた冗談を交えて話す裁判官の前で、ひとりの不幸な人がもごもごと口ごもる光景ほどおぞましいものはない。

大人の前で口ごもる子供、有能を自認する人たちの前でしどろもどろになる「クリエイティブでない(←嫌な言葉だ)」と言われる人たちーー。

そういう時って、スマートでない側が発するモゴモゴした主張に対して、スマートな側からは色んなアドバイス・提案・批判等が与えられるが、そもそも、そのモゴモゴが本当に言いたいことを表してないのだとしたら?
……受け取る側も、まずは沈黙を以って耳を澄ますべきなのかも。
「なぜわたしに悪がなされるのか」とある人が心の奥底から叫ぶとき、その人には悪がなされている。どのような悪を自分は被っているのか、誰が自分に悪を課しているのか、なぜ自分に悪が課されるのかをよく考えてみようとすると、間違えてしまうことがよくある。だが叫びが間違えることはない。(略)

自分に悪がなされないようにという要求は、あらゆる人間の魂のうちにたえず立ち昇る。(略)「なぜわたしに悪がなされるのか」と問う魂の部分は、あらゆる人間のうちに、もっとも穢れている人のうちにさえも、幼児期から完全に無垢で完全に無邪気な状態で住まわっている奥深い部分である。

思うに、人間も他の動物も、この地球の風土に適応して、その成分からできてる生き物だから、自動的にこの世を快適で美しいと感じるようにできているんだと思う。で、それが裏切られたと感じるとき、何が悪いんだか表現できなくても、こんなはずじゃないって叫んじゃうんだろう。

それは社会的なものじゃなくて生物的なものだと思うから、たぶん論理で諭しても抑えつけても意味がない。
叫びのうちに逸楽を見出す人の精神状態と、叫びが発せられていることに気づかない人の精神状態は、一見そう思われるよりもはるかに近しいものがある。(略)この人たちが叫びに気づかないのは、自惚れているのである。(略)また、叫びに気づかないでいることのうちには逸楽が孕まれているからである。(略)わたしたちの意図を妨げるものがあるということを忘れさせるあらゆるもののうちには逸楽がある。こうして、戦争や内乱のように、そこに人がいるのに人がいないことにされ、人間があたかも操り人形のようにされる激動が、ひどく人を酔わせるのである。同様に、奴隷制度は主人にとってとても居心地の良いものとなる

色んな意味で、その種の奴隷制度(的なもの)を広めないように気をつけようと思った。
いつも外側に自分と全然違うものがあるのをよく味わえるように。日常に詩を見出せるように。
* * *

ヴェイユって、ちょいこの曲ぽい。古いか。



20年近く前に観てたドラマTRICKの主題歌だったせいで耳に馴染んだ。
ドラマ開始から14年後の劇場版には感動した。
最初、チョー可愛い子だなあ!と思って毎週観てた女の子が、いつの間にか大人になってるという現実の時間が、物語の中の時間とぴったり重ねられてて。

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by macchi73 | 2018-10-12 23:00 | 【その他】日記 | Comments(2)
2018年 10月 07日
サイクリング@六道山
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土曜の午後、友人家族から電話があって、末っ子だけ遊びに行く。そしてそのままお泊り。
友達とは30年近くの付き合いで、連休に子供たちが遊んでしまうとだいたいどちらかの家に泊まりになってる気がする。向こうの子らが我が家に泊まってる時はとんでもなく自由奔放な様子に笑いが出るが、おそらくあちらでは我が子がそうなんだろう……と、電話口から聞こえる賑やかな子どもの声から想像する。友達関係は持ちつ持たれつだが、持たれる時の方が、ちょっと身の縮む思い。頼むから、外では少し行儀良くしてくれよ。

で、子どものいない静かな家で、大人だけの夜。
誰のためにも動かなくて良い気楽さで、ハムと果物だけの軽い晩御飯を取りながらのんびり積んであった本を読んだ。最近の不規則な生活のせいで胃が常に調子悪いから、ちょっと胃腸も休憩。

翌朝。子供は友人宅からクラスメートとの遊びの約束に出かけるというので、友人と我々大人メンバーは子ども抜きで一緒に六道山という里山までサイクリングに出かけることになった。そして自転車道、湖、山、森、田舎道。
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サイクリング中はお互い殆ど会話もせず、何十キロもペダルを漕いだり風を感じることだけに集中した。段々と頭の中が空っぽになってくる。郊外の空は物凄く広々していて、なんだかスーッとした気分になる。空がないと嘆いていた智恵子に見せてやりたい秋晴れの空だ。
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で、あたりも暗くなり、良い感じに草臥れてきたところで別れて帰宅。
里山の広い空や、境界あたりの大味なビルや道路をビュンビュン流れる車のライトなんかも不思議な雰囲気で綺麗だけど、自宅周りのごちゃごちゃと混み合った店々や賑やかな人混みも生活の気配に溢れていて悪くないなと思う。この地面の上に色んな景色があるってのは、本当に良いことだ。

久々に頭と体の疲れのバランスがとれて、ぐっすり眠った。
仕事仕事で、世間の連休も曜日もピンと来なくなって久しいけど、明日も頑張ろう。

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六道山→力道山というダジャレで読んだ訳ではないが、なかなか面白かった本。

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)

圧倒的な強さで「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と称された伝説の柔道家・木村政彦が、怪し気なプロレスラー・力道山に惨敗を喫してしまった「巌流島決戦」の真実を探るノンフィクション本。完成まで18年を要した700ページ二段組のずっしり重い大作だが、良い意味で格闘技ファンの書いた本という感じでスラスラ読める。

戦前から今に至るまで様々な格闘技の様々な流派が覇権をとったり消えていったりする様子や、才能や情熱があっても不本意に終わることもある格闘技家たちの個々の人生などが、愛を持った文章で綴られていく。格闘技ファンでなくても物語として面白く読めると思う。私は、師匠である牛島と木村との単純なのに複雑な関係にグッと来た。

また、起こってしまった出来事に対して「納得したくない、いや納得したい」と揺れ動く筆者の心が、本全体に詩情のようなものを与えている。誰にでも、「あれってどういうことだったんだろう、違う結末もあったんだろうか。もういなくなってしまった人たちに、もう一回だけでも良いから口を開いて本当のことを教えて欲しい」と答えのない問いを繰り返してしまう出来事ってあるのかもしれない。そういう時に、どういう流れを経て人は納得に至るのか。そういう作者の心の流れを追う意味でも、ちょっと面白いと思えた本だった。


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by macchi73 | 2018-10-07 23:55 | 面白かった本など | Comments(0)
2018年 09月 24日
さよなら準備
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今月は毎週末も出勤して仕事、日付が変わってからの帰宅なんかを続けていたら、あ、もうダメだ、ってアラートが脳内で鳴って、今週末は休んだ。数年前までは全然平気だったけどなあ。年取ると、集中力も体力も続かなくなるんだなと実感。ううう。調子悪い。

土曜日、ムカムカする胃とズキズキする頭を抱えてたら、末っ子にトレジャーハンティングに誘われた。小さい頃から毎年参加しているイベントで、街を歩き回りながら謎解きのヒントを探し、最後の謎を解いたら宝物がもらえるというイベント。凄く疲れてるしどうしようかなーと迷ったが、末っ子も今月でティーンズの仲間入りしちゃったし、もう親子で遊ぶこともそうそう無いからなーと、重い腰を上げる。そして界隈をうろついていたら、小さいお子さんたちを連れた知り合い家族に遭遇した。チビッコたちの手にも、同じトレジャーハンティングの本。

「へえー、こんなに大きくなっても、お父さんお母さんとやるんだ!可愛いねえ!!」と愛のある一撃を喰らった末っ子、もぞもそと私の背後に回って「うーん、毎年やってるから……一応……」とか小さい声で返す。あれ、照れたりするようになったんだ、ふふ、可愛い!と、さらなる追い打ち。笑ってはいけない、これは笑ってはいけない場面だ、絶対に……!と自制しようとするが、腹の底から、イッヒッヒと意地悪な笑いが込み上げて止まらない。子供と大人の間を揺れ動く思春期には、辛い場面だよなあ。その後、ひとしきり世間話してサヨナラしてからも、微量に不機嫌が混じってしまった末っ子の様子が面白くくすぐったく、ついついニヤニヤしてしまう。とても正しく成長中だと思う。友人家族も、そのうち可愛いチビッコたちが大きくなったら、きっとティーンズへの禁句を知るであろう。

で、帰宅した後は、記憶がない。
すぐに倒れるように眠ってしまい、結局その日は大鼾をかいて残りの日を潰してしまったようだ。


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翌朝、寝坊して目覚めたら、家がピカピカに整理整頓されて飾られて、一人で忙しそうに立ち働く末っ子がいた。

うわー、どうしたの、凄いねと聞いたら、今日はなんだかやる気の日なんだ、寝てていいよ、マリオとレイクの誕生日の準備もしちゃうから!と言う。疲れた親に対する配慮なのか、それとも単に働きたい気分に襲われたのかは正直よく分からないが、そういう行動の端々にも何かしらの成長の徴が見えて、やっぱりニヤッと笑いが飛び出てしまう。
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翌々日は上の子たちの誕生日祝いをした。一人は転勤しまくりっぽい進路が決まっており、一緒に暮らす最後の誕生日の可能性が高いんだから豪華にやろうぜと、前から入ってみたかったお店に繰り出す。おめでとう、寂しいよ、と祝ってんだか祝ってないんだかよくわからないコメントとともに、末っ子から兄姉へのプレゼントが贈呈される。

食後、就職&誕生祝いに欲しいものあれば贈るよと百貨店等を見て回るけど、結局、友達のお父さんがやってるいつもの靴屋さんで靴を買って欲しいというので、そうする。毎年恒例・いつものお店、そういう小さな一つ一つが、これまで一緒に暮らす中で積み上げてきたものなんだなと感じて、また制御できない笑いがこみ上げてきてしまう。こっからは一気に手放すフェーズだな。感慨深いよ。

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お絵描き好きな、末っ子への誕生日プレゼントの一冊。
服飾史として読むべきところもかなり充実していて、面白い。




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by macchi73 | 2018-09-24 22:25 | 【その他】日記 | Comments(4)
2018年 09月 16日
秋の兆し(彼岸花、アゲラタム)
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先々週くらいからだっけな、庭の彼岸花がポツポツ咲き出した。
それで群れ咲いた頃に「お、鮮やか。写真撮っておくか」とか思ってたのに、忙しさに紛れてるうちに次々色褪せて、今は四、五株だけが赤を留めている状態。時間がたつのは早い。花の命は短い。

うちの庭では、彼岸花とアゲラタムが咲くと、空気がバタバタと秋に傾くということになっている。子供はこの赤い花を見て、あ、秋が来る、と言う。今年もその通り。夜になると開け放した窓から涼しい秋の空気と虫の声が流れ込んでくるようになった。

アゲラタムは、十二年前に引っ越してきてまだ庭が殺風景だった時に「これ植えたら」と近所の方がくれた花だ。確か、金魚草とアゲラタムを最初の庭仕事として植えたんだった。金魚草は数年で消えてしまったけど、アゲラタムはどんどん増えて、いまでは晩夏から秋の藪の主成分になっている。

地味だけど、かなり長い時期に渡って薄紫や白のふわふわした小花をたくさんつけ、夜になると街灯や家から漏れる光で藪からぼんやり浮き上がって見えるのが好きだ。藪も密ではなく、軽くふわっとした優しい感じに広がるので、その下でたくさんの虫や爬虫類を育てていると思う。
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世間では3連休、庭仕事にうってつけの時期なのに私は土曜も月曜も仕事で、たった一日の休みは居眠りや洗濯で終わってしまうという有様。いつになったら庭仕事のための連休(3とはいわず2でもいい)が手に入るのか……。

とか思ってたら、居眠り中、青と黄色のストライプの服を着た中世外国人庭師に園芸指南される夢をみた。白い尖った細面に、整えられた赤毛の髭。馬鹿みたいに大きな純白の襞襟をつけた姿で鬱蒼とした薄暗い庭に立ち、あちこちで暴れまくっているブラックベリーの枝を優雅に指差すので、あ、これ時間ができたら剪定しようとは思ってるんです……と伝えると、無言で指揮者みたいにクイッと手首を返された。そしたら針金みたいな細い蔓が地面からくるくる伸びてきてブラックベリーの枝に絡みつき、へえ!と思ったら、ラッパ型の朱色の花がポンポンさいた。すごい技だ。

起きてから、あれは肖像画とかで見たことある人だったかなあ?とモヤモヤするが、どこで見た顔かは思い出せず。

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いま読んでる本。もしかしてこの中に出てくる人だったりするのかな?とちょっと思ったりして。


『ジョセフ・フーシェ』(シュテファン・ツワイク)


フーシェはフランス革命でインテリジェンスを牛耳った政治家。FBIのフーヴァーみたいなポジションか。

ツヴァイクのせいなのか訳者のせいなのか分からないが、記述がいちいち大仰というか古臭く、講談調で面白い。歴史上ではそんな目立ってない気がするけど、実は物凄いヤツなのか?と。

こうしてこの日いらいジョセフ・フーシェは、きわめて困難な危機をも切りぬけうる過酷な冷たい梃を手にした。ひとを小馬鹿にしてかかること、これである。

それってどうなんだ?という善悪の話は別にして、面倒な仕事とかが面白いのって、そういう面も一つあるかもなと思う。焦った時、心細い時、不条理に思える時、熱狂や同調圧力がある時、自分がどう振る舞うかってのは何度も経験してみないと本当のところは自分でも知ることができないし、そういう経験の中で自分に一番しっくりくる梃を得ていくってのは、痛い目に遭いながら年取りながらできる楽しみだよなって思う。場所は移動してないけど、全然知らない場所を長い旅行してる時にも似た気持ち。


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by macchi73 | 2018-09-16 23:11 | Comments(4)
2018年 08月 24日
ハンカイソウ(樊噲草)
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湿原や水場付近の湿った草原に生えるゴツイ感じのキク科の花。大きい。そして硬そう。

大柄な姿が漢の武将、樊噲を連想させるため「ハンカイソウ」の名がついた。ということは、中国原産なのかな?朝鮮〜中国〜台湾に自生し、日本だと静岡以西に分布する。

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樊噲とは、劉邦の幼馴染で義弟でもある勇猛な男。人たらしの才能だけあるボス劉邦と、その下に集った有能な仲間たちと一緒に天下を勝ち取る。

しかし天下取りで活躍した有能な仲間たちも、のちにそのボス夫妻にみんな粛清されてゆく運命を思うと、時の移り変わりを感じて悲しい。チーム一団となってボスを沛公から漢王にまで盛り上げた、若い時代がキラキラしてるだけに。


『赤龍王』(本宮ひろ志)


チーム劉邦、右後ろに控えるのが樊噲で、その右が名高い軍師、張良。

しかし司馬遼太郎の『項羽と劉邦』でも、本宮ひろしの『赤龍王』でも、エピソードのドラマチックさは、ライバル・項羽の方が勝っている感がある。項羽には虞美人とのロマンスがあるけど、劉邦の奥さんは怖い。ラオウの黒王号的な、愛馬・騅(スイ)がいるのも格好良い。

楚を拠り所とする項羽が、四面楚歌に絶望して詠んだ垓下の歌をきけば誰でも泣く。樊噲草と同じように、虞も虞美人草として名を残しているが、花から想像するに、すごく可憐な感じだったんだろうと思う。
力は山を抜き 気は世を蓋う
とき利あらずして 騅逝かず
騅逝かざるは いかんすべき
虞や虞や なんじをいかんせん
物語ではライバルという感じだけど、たぶん実際は項羽は子供で劉邦は大人だったのかも。実は親子くらいの年齢差だし。

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ちなみに、項羽と劉邦が凌ぎを削るのは、秦の末期のこと。
秦の始皇帝は何度も暗殺を企てられていて、秦に故郷を滅ぼされた張良も若いころに暗殺に失敗したことがある。結果的に劉邦の漢王朝が秦にとってかわることになったので、張良的には悲願達成というところか。

『始皇帝暗殺』

悪者に描かれがちな始皇帝を、夢も可愛いところも繊細なところもある複雑な人として描いている映画。

勇敢なヒロインは架空のお姫様だが、史記にある色んなエピソードを色々取り上げつつ、暴虐の皇帝ができあがっていくまでの現実感のある一連の流れに組み立てていて面白い。

風景や城が大きくて、見てるとうっとりする。ヒロイン以外は役者らしい美形がまったくいないのも、なんか渋くて良い。


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by macchi73 | 2018-08-24 23:55 | 【自然】雑草、野草 | Comments(4)
2018年 08月 05日
夏休み(だったような)
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一週間の旅行から帰ってきて、夏休みって素敵だなあ、まだまだ休みは残ってるから何でもできちゃうなあ、と思っていたはずなのに、どういう訳か気づいたらもう休みが終わろうとしている。ちょっと昼寝している間に更に一週間ほど経ってしまったとしか思えない。不思議な現象だ。

で、慌てて、「夏休みが昼寝の夢ではなかった証拠に何か痕跡を残しておかねば……」とオロオロと部屋の模様替えをした。リビングの片隅に勉強机を移設して、こぢんまりしたデスク・スベースを作る。年々暑くなっている気がする日本の夏、子供らに子供部屋で熱中症になられても怖いからな(特によそのお子たち……)。子供たちよ、我が家で唯一エアコンのあるリビングで思う存分夏休みの宿題をするが良い!これで図書館やプールやフードコートを渡り歩かなくってもOKだ。(渡り歩いてもOKだ)

夏休みの終わりを迎えつつある母から子へ残す言葉はたった一つ、「長いと思っても休みは一瞬、夢幻の如くなり」。神妙な顔で頷く子供。まだ宿題はほとんどしてない模様。この後、べそをかきながら仕事の宿題を片付ける母の姿を見て、早めに何かの教訓を得てくれればと思う。

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夏休み、なんとも楽しかったなあ……という感覚だけ残して、その実体は夢のように朧げ。とても不思議なことです。

『仙人の壺』(南伸坊)

不条理・不思議な中国の志怪談を、現代風にまとめず、そのまんまの雰囲気の漫画&エッセイで紹介していて凄く面白い。続編は『李白の月』。

古代中国に限らず、別の時代・別の文化の小話や土着の民話とかって、「えっ、どういうこと?」ってびっくりするような落ち着かないようなものが多くて面白いと思う。

家と職場だけ行き来してると、ついつい人間の基本的な情動や思考の枠組は今も昔もどこの国でもそう変わらなくて「話せば分かる、話さなくても分かる」くらいに簡単に思って、同じ論理や倫理などを前提に想定してしまうことが多いけど、実は時空の隔たりに比例して、それぞれかなりぎょっとするくらい異質な部分も多いのだと思う。

ちなみに北米の話ってそういう驚きの感覚が少ない気がする。で、戦後からこっちアメリカの影響って凄く大きいんだなーと思ったり。国が若いってのもあるかな。


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by macchi73 | 2018-08-05 23:55 | 面白かった本など | Comments(0)
2018年 07月 12日
人の目を通した景色(江上茂雄:風景日記@吉祥寺美術館)
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毎朝通勤時に通る角の生垣の葉が、虫食い一つなくてすごく綺麗だ。(自分の虫食い庭を恥じる)

みんな同じきちんと端正な形をして、でも思い思いに色んな角度で生垣を覆って、葉っぱ一枚一枚が中心から縁への滑らかなグラデーションを描きながら、さらに生垣全体でも大きな緑の塊を作っている。これって、こってりしたクレヨンか油絵にしたら面白いよなあ……写真撮りたいなあ……と迷って、でも他人の家の前を撮影するのも怪し過ぎるので、毎日立ち止まってしばらく眺めてる(←写真とらなくても充分怪しい)。だけど仕事から帰るといつも夜中でクタクタで、朝の感じは消えかけてる。

あーあ、つまんね、こうやってるうちにいつも綺麗なものは終わっちゃうんだ、とか思ってたら、古紙の束の上に置かれた自治体の広報誌に小さく載った絵が目に止まって、アッと思った。そうそう、ちょうどこんな感じ!


記事を読んだら、江上茂雄という人の絵で、近所の美術館で週末までやってる企画展らしい。それで、週末に散歩がてら見てきたら面白かった。画集が売り切れで買えなかったのが残念だ。

隣の展示室で見られた浜口陽三も、シーンと静かな銅版画が不思議な感じで面白いと思う。


『浜口陽三展図録~静謐なときを刻むメゾチントの巨匠』

夏が一番好きな季節のせいか、モワッとした空気の中を歩き回ってるとすぐに風景に見とれてぼーっとしてしまう。ちょっとしたものでも信じられないくらい綺麗で驚いてばかりだ。なのに写真ではなかなかその感覚が保存できない。

思うに、たぶん綺麗な景色っていうのは光の反射だけで成るものじゃなく、見る側の内にある五感のごった煮も投影して認識されるものなんだと思う。だから光学的に正確にその場を写しとった写真より、描き手の五感フィルターを通して歪んだり霞んだり省略されたりした絵の方が、綺麗なものを見た時の感覚が想起しやすいのかも。

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目でみると綺麗なのに・写真に撮ると汚いものの代表、それは我が家の庭。
うーん、不思議だなー。

しかし一つ言っておきたいのは(誰に?)、写真的には荒れ果ててるようにしかみえないけど、いつも風で揺れて光が動いてて・四季折々の良い匂いつきなんだ。そして昔この場所で見た、虫や子や鳥や人々の残像つき、残響つきでもある。(私にとっては)
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by macchi73 | 2018-07-12 06:00 | 面白かった本など | Comments(0)