『秋が来るとき』(フランソワ・オゾン)、うまくは行かないこともあるがいつも良かれと望め
2025年 11月 07日

草木が生い茂る、少し荒れたみたいなところでボーッとするのが好きなんだ。蝶や飛蝗がパタパタ飛び交う草藪を漕いでるときとかさ、匂いや感触で地球と一体化って気がするじゃん……
というのは言い訳。荒地は外にいっぱいあるんだから草漕ぎはそっちでやって、住宅地は綺麗に保つべきだよな。なのに自分の庭ってなんでいっつも荒地に落ち着くのか。それはケアが足りないから。でもほんと安らぎだし好きなんだ。ごめん。
と彼方への言い訳&謝罪はさておき。やっと春からの怒涛の血圧200オーバー寝不足生活もひと段落したので天気の良い平日に休みをとってゆっくりする。血圧が下がっていくのを感じる(でも敢えて測らないぜ)。香ばしい秋の香りの庭を歩いたら、前の家から持ってきたフェイジョアが実をつけてた。小ぶりだし前のようにたわわとまでは行かないけど、頑張ってんじゃん。4年かけてじわじわここまで回復したんだな。

地面にも、まだパタつく小さな蝶。落葉にとまって、こっちをじっと振り向いてた。いつもは忙しないヤマトシジミだけど気温が低くなったせいで動きが少しおっとりして見つめ合い易いかも。今年の命は終わりかけ、姿を見られるのもあと少しだけど薄青く光って一番好きな蝶かも。

ちょっと似た感じで古い時代をサバイバルしてきた自分の祖母のことも思い出しちゃったな。映画と同じで、一つ下の世代には似たような葛藤や拒否感を与えてしまうようだが、私は好きだった。祖母は陽気な酔っ払いだったけど、たまに物凄くドライで冷たく割り切ってるのがわかって、たぶん引き揚げやその後の自活で人間は本当に最後は一人なんだと肌で感じて来たんだろうなと思うときがあった。でも主人公の老女にはサバイバルを共にした姉妹のような親友がいたからなー。そこはちょっと違う感じもあったかも。人により要不要もあるし必須のものじゃないけど、友人はいても良いのかも。
主人公は折り合いの悪かった娘の幽霊を引き連れて、折々の秘密も飲み込んで、最後はどちらとも手を取り合っていく。私は、死んだ誰かと和解はできないと思う。でも和解でも赦しでもなく、切望の解消はあるんだと思う。それはジェイコブズ・ラダーなんかでも思った。
