『オオカミの護符』(小倉美恵子)/ホトトギスのさえずり
2025年 05月 25日

ここ10日くらい、困ったなあどうしようかなあ……と心配事があって気重で宙ぶらりんな感じだったのが、気晴らしに奥多摩の方を山歩きして泊まって戻ってきたら、その翌日に解決してびっくりした。山で詣でた神社につい神頼みしちゃったからかもしれない。神頼み、すごいものだ。神様にも緑の山にも親しみが湧き上がる。

お祈りしたのは、大口真神 a.k.a おいぬさま。ニホンオオカミが神格化された神様だ。狛犬もオオカミの姿をしている。
森林で鳴いていたのは、ホトトギス。ウグイスに托卵する夏鳥だ。姿はカッコウそっくりだが声が全く違う。

帰宅した夜には、山の土産のキノコで晩御飯にした。それからベッドに入って、神社の社務所で展示されていた『オオカミの護符』(小倉美恵子)を読んだ。今では拓かれ都会になった神奈川の実家の土蔵に貼られたオオカミのお札から、失われた昔の家族や風景を偲び、平地の村々と山岳を信仰で結ぶ「講」の仕組みを辿っていく民俗探究本。
私は新しく土橋にやって来たお友達に、おじいちゃん、おばあちゃんのことや、茅ぶき屋根の家のこと、そして農村だった土橋のことも、誇りを持って話をすることができませんでした。
でも心の中では朝早くから黙々と仕事を続けてきたおじいちゃん、おばあちゃんのことも、ツバメやカブトムシやホタルなどがいつも遊びにきていた茅ぶき屋根の家のことも、ドジョウやザリガニを採って遊んだ土橋のことも大好きでした。それなのに自分が嫌われないようにと他人の目ばかりを気にしているうちに、大切なおじいちゃんも茅ぶき屋根の家も、土橋の風景も皆消えてしまったのです。
かつては村ばかりでなく、町場の商家や職人、町人の家や仕事場にも「神々の居場所」が設けられていた。「仕事」とは、人の力のみでは成就しないものだと考えられていたからだろう。(略)
人の力だけでなく、また自然の力だけでもない。その双方をつなぐ「はたらき」が宿る「仕事」に出会えたとき、人は感動を覚え、信頼を感じ、そこに人と人とのつながりが生まれるのではないだろうか。
「稼ぎ」を基盤として成り立つ現代の都市からは「神々の居場所」が失われつつある。それは、環境問題の深刻化と比例しているのは偶然だろうか。

夜中に鳴いているんです、キョキョキョ…って、寂しげなきれいな声ですね。
三層ガラスでフル装備している(笑)家の中でも聴こえます。
ゴミゴミした東京の下町で育ったので、ホトトギスの声なんて、聴いたことなくて。
今ナオキが夜勤でなければ、夜は寝ているだろうから、やはり聴かなかったかも。
朝になると、ホケキョが鳴いてます^^
狛狼なんですね。
神社にお参りするの、敷居が高くて(苦笑)
日々、過去現在、ろくなことしてないし、
通りかかっても、お風呂にさえ入ってないうような時もあるし、
こそこそ素通りしています。
神頼みが叶うのは、macchiさんが、「人の力」を、せっせと発揮しているからですね。
お。やっぱりウグイスとホトトギスはセットなんですね。山でもそうでした。
ウグイス、一生懸命ホトトギスの子を育てているのか……なんて生態を知ってからだと風景が想像できて面白いですよね。
そして両者、さえずりが大音響。ヒナはきっとウグイスを親だと思ってるだろうし(そうでもないのか?自分の種の戦略をわかってたりもするのかな?)、腹から声を出すことを学んで育つのかもしれないですね。
ふふ。神様ってお風呂入るんですかね。
人ならぬものであれば、きっと人間の善悪もお風呂キャンセル界隈も「ふーん」くらいに思っているはず……あ、でも千と千尋でお風呂入ってたな。
恥ずかしながら、私は思い出せないような子供の頃から神頼み人間だったんで、もう友達気分です。虫や草木と同じでその辺に溢れていると思えば、寂しいときも寂しくないですね。「お風呂入ってないよー」「ふーん」っていう。
