3月の開花:梅と鰻/『秋刀魚の味』(小津安二郎)
2025年 03月 13日

この頃は色んなお出かけ先でも梅の馥郁たる香り……アンド沈丁花。
どちらも庭木や生垣なんかの植栽によく使われる花木だもんな。春の何か新しいことが待ってるような気分を盛り上げる、本当に良い香りだ。
先日は子の結婚顔合わせで赤坂の鰻屋さんに招待された。鰻も花に劣らず良い匂いだ。慶事ということで特別メニューがサーブされ、何もかも大変美味しくて感動する。これは誰かとまた来よう。そういや鰻と梅干しの食い合わせが悪いって話はあれは何でだろう。味は割と合いそうな気がするけれど。
子供たちがパートナーと仲良くニコニコしている様子ってとても良い。どの子のときもしみじみ安心して何か解き放たれるような気分になるが、もしかしたら最後の子が巣立つときには全部まとめた切なさを感じたりするんだろうか。もう、どんどん次から次へと巣立って行くからなあ。帰宅して、じっと末っ子の顔を見つめてみるが未来の心は想像もつかず。きっと、なんでもその時が来てから知るんだな。

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(↓こんな感じになる未来があるのか?)
『秋刀魚の味』(小津安二郎)
また、娘を家政のための人手とカウントしたり結婚や幸せを父兄が采配するようなところは今から見ると前時代的で、ぎゃーホント勘弁だよう……ってやっぱ思っちゃうけど。でもその時の常識の中の精一杯で、娘個人に対する想像力を何とか働かせようとする笠智衆は良いお父さんだと言えるだろう。どの時代でも・どういう社会規範の中でも、時にそれを超える形で誰かへの個別の想像力が発動される仕組みってあって、それって多くは相手の幸せを願う愛情がトリガーになるんだろう。
やはり息子だね、娘は育てがいがない……なんておじさんたちが話してる様子が、田舎にいるときの夫たちみたいで苦笑い。多分、こんな感じで末っ娘のときには夫も泣くかもなあ……。泣くこと自体が正直ちょっとズレてるよな、子は親の物じゃないぜ?って聞き質したい気はするんだけど、でも、その感傷に全く価値がないとも言えないのかも。
今よりカッチリした人々の洋装、レトロなお店の看板のデザイン、色ガラスや型板ガラス、ランプやインテリアなど、目に楽しい映画でもある。若い頃のほっそり清楚な岩下志麻は可憐すぎて震える。ファニーな岸田今日子、ツンとした岡田茉莉子もとても良い。今より何か押し出しの良い俳優陣たちも憎たらしくて(←?)イカす。繰り返しの多いとぼけたテンポの台詞回しの不思議な自然さ・心地よさも◎。
月日の移ろいの速さとともに、変わらぬ親の気持、なんか切なくすら感じます。
時間が経つのが早すぎて、親としての自分の気持ちが変わってないのか、変わってしまっているのか、自分でも正直よく分からないんですよね。
小さい子の親の時は、確かに責任感と動物的な愛着を感じていた、けど今はどうなんだろう、、、。
単なる昔の習慣からの名残りや照り返しのようなものなのか、大きくなっても子は子の感触を持ち続けるものなのか。