福寿草の戦略:甘くはないが暖かい
2024年 02月 15日

うちの庭のスプリング・エフェメラルの筆頭、福寿草が今年も咲き出した。
昨日見かけた節分草と同じキンボウゲ科だけど、花の構造はだいぶ違う。フクジュソウの黄色の花びらは本当の花弁だし、セツブンソウと違って蜜線は持たない。こんなに美味しそうな蜂蜜やバターみたいな黄金色なのに……甘くないとは。意外。
しかし競争相手の少ない時期に花を咲かせることで虫の注目を独占して受粉に使うのがスプリング・エフェメラルたちの戦略だったはず。蜜を持たずにどうやって虫を集めるのか?
実はフクジュソウはそのキラッと光るパラボラ型の花を日差しのあるときには開き・翳れば閉じることで、曲面反射の仕組みで集光・蓄熱し、冬の虫たちのホットな憩いの場になる戦略をとっているという説がある。お日様みたいなルックス通りの暖かい花の上に、暖を求めて虫も休みに来るし、虫が集まるとなれば出会いの場として更に人気が出るという仕組みか。

そんな福寿草だが、庭に植えてからもう17,8年目になる。
また福寿草に会えたことを喜んで、今日のランチは庭で食べた。久々のリモート勤務日。


ランチしながら庭を見まわせば、福寿草以外にも沈丁花やスノードロップ、クリスマスローズ、ジャスミンの花芽など庭じゅうに段々と色が増えていて、これからやってくる賑やかな春の予感がひしひし。仕事ではまた春の大異動もあって、考えると胸や頭がギリギリ重くなったりもするチキン・ハートなんだけど。生きてるもので時間と共に変わらないものは無い訳だし、変化がなければ次の季節に待つ色んな開花とかも見られない訳だしな。期待も不安もまだ知らない未来を待つという意味では一緒だということで、全部ごちゃまぜでバランスとって行こう。



福寿草がどんな花なのか、小さなどこにでもある野花のようなものだろうというくらいで、確かめたいと思いながら何十年も経ってしまいました。
これもまた可憐な花。
ここで夏に咲く小さな野草にも、内側の花弁に艶があるのがありますよ。
親戚ですかね。
そういういきさつがあるので、フクジュソウに甘い思いがあります。
昨年初夏にそのアパートを探しに行きましたが、それが見当たらないだけでなく区画の様子も変わっていて、行きあてたところが確かにかつてわたしが住んでいたところなのかも、そのあたりを歩くうちに自信がなくなりました。大家さんの喫茶店も見つからず。
そのときも新しくはなかったけど、一階にあったわたしの部屋には小さな裏庭もついていて、はじめての一人暮らしにときめいていました。
私もふと思い立って、40年以上前に昔住んでいた場所に行ってみたことあります。
区画が変わると分からなくなりますよね。
家と家の間にあったちょっとした空間、チョークで絵を描いていたような路面まで建物が立ってしまっていて、「この辺の地面だったかなー、大きなクルミの木があったんだけどなあ」とかあたりをつけて、新しい区画の上に昔の風景を重ねて帰ってきました。
色んなものが、今はもうないのに、記憶の中にはあって不思議ですよね。

黄色って、アブとか蜂とかたまに蝶を引きつけますね。今はもう着ることもなくなった列車見張員の制服には花の数が少ない季節には随分とやってきました。お、また来たか、追い払わなくても1分も立たないうちに飛び去っていくんですが。
春の花って黄色のものが多いですもんね、虫を呼ぶ力があるのかも。
WIW・WIWは、同時代性ってことですかね。
自分は意識低い系なので、今の時代の出来事にちゃんと参加できているかな……いやできてないな、何にも意見がない……とよく後ろめたいような気分になるんですが、未来から見たら、ただボヤーっといただけの自分みたいな人の記憶や記録も、その時代の成分ではあるんだろうなと思ったりもします。