秋の亀池、『もうすぐいなくなります/絶滅の生物学』(池田清彦)
2021年 10月 01日

うわ。もう10月になっちゃった。早い。7月末に亀池作ってから2ヶ月か。
一つ確実に言えるのは、自作自動濾過装置の水質保全能力の高さだ。
この2ヶ月は水替えも掃除もしていないが、水はいつまでたっても透明で綺麗なままだ。カメが冬眠したタイミングで濾過装置も停止がてら分解掃除は一度するつもりだが、多分この感じだと年に1回の冬季清掃だけしか必要ないんじゃないかな。物凄く省力化になった。ソーラー濾過装置は大成功と言い切っても良いと思う。

急に肌寒くなってきたから、きっとすぐに冬がきちゃうな。
それまでに、亀の冬眠準備やら秋の球根植え、種まきなんかもやっちゃわないとだ。衣替えもしたいし、ちょっと運動してコロナ腰痛もなんとかしたいし、少し眠って睡眠不足解消もしたい。やりたいこと沢山だ。毎年のことだが、こっからしばらくは仕事漬けにまっしぐら。秋のうちにどっかで休み取りたいなあ。
最近は時間がない中で読書と運動を一緒にするため、自重ストレッチしながら読書するという技を編み出した。特に、床に寝そべって壁面を使うストレッチは、壁面に伸ばした脚自体の重さで筋を伸ばしながら、読書に熱中もできて一石二鳥!本に熱中してると、辛いストレッチの時間もいつの間にか過ぎちゃうし。すぐ過ぎすぎて、夜も3時越えで、うわまた睡眠不足!って慌てたりもするけどな。
で、そうやって読み終えた一冊『もうすぐいなくなります』。サラッと軽い感じではあるが、深夜のストレッチのお伴に丁度いい面白さ。
例えば、いま種として残っている人類はホモ・サピエンスだけだけど、ホモ・サピエンスは絶滅してしまったネアンデルタール人やデニソワ人なんかとも交雑していたから、彼らのDNAは絶滅せずに我々の中にも残っている。つまり、ずっと祖先を遡れば我々の遠い祖父の中には絶滅したネアンデルタール人等もいた訳で、種のレベルでは絶滅してしまっていても系統レベルでは続いているとも言える。彼らから獲得した耐寒性や高地適応能力の遺伝子が今生き延びている個体たちに大きく貢献したという点でも、我々の中に彼らは生きてると言って良いと思う。
読んでいて、一番、そうだよなあ!と共感した箇所は次の一節。
ざっくり言ってしまえば、三八億年前に生まれた生物は、系統としてはまだ絶滅していないのです。最初に現れた生物は、すべての生物の母種です。現在いる生物はいずれも三八億年前に生まれた原核生物の子孫なのですから、すべての生物がいなくなってしまわない限り、この生物は「絶滅」していない、ということも可能です。少なくとも系統としては存続しているのです。
そういう訳で、生物みな兄弟だ。大きな意味では同胞である我々であれば、中でも近しい脊椎動物同士、他の種だって機嫌くらいは何となくは分かるというのも、当然のこととして納得できる。人間と同様に新皮質の発達した犬やら猫やらと大きく通じ合うところがあるというのは勿論、亀なんかにも少ないながら新皮質があるから、ある程度はお互い分かる部分があるって書かれていた箇所では、笑っちゃった。ふ。そうそう、機嫌はなんとなくは分かるんだよ。頭の中はよく分かんないだけどな。不思議なような、当然なような。
これまでの地球の歴史を見れば、人類も絶滅するのは当然避けられないっていうのも、凄く同感。
(ヒトの系統も完全絶滅した後には)地球は新たな時代に突入しますが、それを観測し、研究し、記述する生物はもはやおりません。それでもなお、朝になれば東から太陽が上り、夕方になれば西にしずみ、しばらくの間は地球は太陽の周りを周り続けることでしょうって下りは、筒井康隆の『霊長類、南へ』とかの絶滅文学をちょっと思い起こしちゃったな。

