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2020年 08月 20日
人類の進化について、『ペット化する現代人』『すばらしい新世界』(ハクスリー)
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年々大きくなった庭木のせいで、家の中が薄暗い。鬱蒼とした庭の陰影が、そのまま屋内にも。
そのせいか、猛暑とはいうけど、朝夕は薄着してれば気持ち良い範囲。寝室にクーラーはないが、窓開けて扇風機かけて、目の詰まったツルツル硬い冷んやりした綿シーツの上、手足はむき出しでお腹だけタオルで隠して眠るのは割と良い。たまにアイスノンの枕して、枕下に掌を差し込んで涼をとれば快眠。

最近はペラペラ軽い絹の短いロンパースを制服のように毎日着ている。クーラー無しでもそこそこ快適に過ごせて気に入ってるんだけど、そのまま庭とかに出てると「それ下着だから!」と家族からは不評。急に人が遊びにきた時とかも、服着てと言われる。ポッケがいっぱいついてるから、下着じゃないと思うんだけど。



人間って、服を着ないといけないのが不便だよな……。動物は裸で歩いてても全然普通なのに。人間も、見せて好ましくないとされる部分は軽い羽毛や柔毛で覆われるとか、素敵な進化を遂げないものか。あー、でもそしたらきっと、「私も親と同じ三毛に生まれたかった」「変な模様がコンプレックスです」「長毛種が優勢な我が社。毛皮での差別が酷いです」とか、そういう悩みも出てくるのか。

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猫を見てると、昼間は木陰の草の上、夜には土が踏み固められた小径に寝てる。たぶん一番涼しいところを選んでるんだろう。昼は草の気化熱、夜は土の放射冷却って感じかな。

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夏の草がぐんぐん伸びるのに似て、あんなに小さかった猫もどんどん筋肉質に凛々しくなってきた。いつも軽やかに動き回って行動範囲も広くなり、伸び伸び猫ライフを楽しんでるなって感じがする。会えばじっとこっちをみて「にゃあ」と小さく一声、すり寄ってきて寝そべったり、こちらも寝そべれば鼻に鼻をくっつけてきたりで、何かコミュニケーション的なものを感じて、凄く可愛いなと思うんだけど。

成長を見るにつけ、去勢・避妊手術のことを考えてしまってモヤモヤし続けてる。情報収集すればするほど、猫にちょっとでも関わるなら、そうするのが人の務めみたいな感じだし。引いては猫の幸せでもあるっていう内容が殆どで、逆は見ないし。でも社会的プレッシャーでやることでは無い気がするし。一度やったら戻せなくて、一生それで生きるんだよなと思うと、迷ってしまう。今は子供らしい柔軟なスタイルだけど、近所をうろつく巨体で太々しいオス猫のようになった君も見てみたい。

ーーちなみに仔猫を通じて母猫とも距離はだいぶ近くなり、そばで洗濯物干したりしてても逃げないので、おっ安心してんのか?とか思うこともあるんだけど……。油断して歩き回ってると、急に「カハッ!」と叫んで爪を叩きつけられ、しゃれにならない流血、腫れ、傷などが生じたりする。イッッッテー!そっちが勝手にそばに座ってたんだろう!!!と非難をこめた視線を送ると、なんとなく決まり悪そうにしてるような、全然気にしてないような。でも決して人間には触らせないし、触られそうになったら即コロス!みたいな気迫は、これはこれで、なんか野性味を感じて、ちょっと良いなと思ったり。


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思い浮かぶのは、この本。
自分の基本的な嗜好として、野良猫・飼猫問題を考えるときも、この手のディストピアものの影響が大きい気がする。管理された幸福より、自由な不幸、みたいな。
でも、それはそれで、一つのステロタイプというか、冷戦時代に育った者として刷り込まれた思い込みの可能性もあるなっては感じてるんだけど。

『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)

ある長い悲惨な大戦後、人類は決めた。争いや悲惨のない、みんなが幸福な世界を作ろう。で、人間は管理された工場で生産されるようになり、生老病死や執着から完全に解き放たれた。そんな博愛と快楽しかない世界の物語。

文明化された地域では、人はもう人間からは生まれないので、「父」「母」という言葉を言う時に生徒たちは刺激が強すぎてドギマギする一方、先生はあえて専門用語として冷静さを務めて言うシーンとか、今の保健体育の授業でもきっとあるかもなーみたいな細かいネタがちょくちょく可笑しい。「みんながみんなのもの」が標語で、愛着を持って一人とばかり続けてデートしたりすると、「もっと社会規範を守りなさい」と、今とは逆の道徳的注意を受けたりする。

最安コストで社会を回すため、胎児の頃から人口比率を決めて、生まれついての単純労働者・知的労働者・支配層となる人間を生産するが、その際には、どの階層も自分の役目にもっとも幸せを感じられるような条件付けを行い、誰もが辛い思いをしないようにする。それって、今の動物愛護やアニマル・ウェルフェア的な考え方にも通じる−−この社会維持のため、労働力や食料にはしてしまうれけど、生きてる間はせめて幸福に−−人道主義。実際、自分も日常レベルではそれに賛同した消費行動をしてるので、改めて戯画化されると、ウッ!と思って、決まり悪い。あと、ホルモンコントロールなどで幼形成熟の形をとるため、みんな死の直前まで肉体的にも精神的にも若者でいられるってとこも、ペットの避妊・去勢手術に通じるかなって思ったり。

しかし果たして苦痛がない世界が幸福な世界なのか?幸福の対価で禁じられたものって、一体何なのか?


「つまりきみは」とムスタファ・モンドが言う。「不幸になる権利を要求しているんだね」
「ええ、それでいいですよ」と野人が喧嘩腰で言った。「僕は不幸になる権利を要求する」
「老いて醜くなり、無力になる権利はもちろん、梅毒や癌にかかる権利、食糧不足に陥る権利、虱にたかられる権利、あしたどうなるかわからないという不安をつねに抱えて生きる権利、腸チフスになる権利、あらゆる種類の言語に絶する苦痛に苛まれる権利も」長い沈黙が流れた。
「そのすべてを要求します」と、ようやく野人が言った。
ムスタファ・モンドは肩をすくめた。「では、ご自由に」


そうやって苦痛も含めた自由を求めた野人の行き着く先は……かなり忘れられないラストシーン。バタン!と扉が閉まる感じ。



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しかしハクスリーも後期は「いや、やっぱ苦痛を取り除いたラブ&ピース世界がもう一歩先の幸福世界だよね」って、肯定派に変わったりしてるっぽいんだよな。LSDやヒッピーという時代の流行の影響もある気はするが、この生にわざわざ苦痛や老いや悲惨なんて無くて良くない?ってのも、間違いではない気がするし。

世の中に家畜化現象に関する本は多く、どれも「そうだよなあ」って感じに思わされることは多い。
野生動物を家畜化するとどんな種も一律、脳が小さくなるのは有名。ペット化すれば子ども時代が伸びる。選んだ一能を伸ばすことで、予期せぬ性質もセットで顕れ出る。それは退化や歪みなのか、それとも大きな機会にもなり得るのか?ちょっとフラットな目で考えてみようぜ、だって我々、もうそうなっちゃってんだから、という話で一冊。

『ペット化する現代人−−自己家畜化論から』(小原秀雄・羽仁進)

人間の自己家畜化の話から、もう一歩進んで、ペット化という視点で考えてみている本。

現象の指摘という感じで、だからどうという結論はないが(まあ、結論出る話でもないから当たり前だが)、人間の自由の課題は文明の発達に伴って形を変えてきてるんだなってことは認識。羽仁進監督の子育てエピソードの章は、身近で具体的で、エッセイみたいで面白かった。

何の課題についてもそうだが、ついつい、ステロタイプとして既に浸透済みの、一つ前の前提で考えちゃうんだよな……。「60歳ってご老人じゃん」って昔の感覚で一瞬思うが、実際、今一緒に働いている60歳たちはとても若くて自分たちとあまり変わらない、みたいな印象と現実のズレ。自由についても、つい一昔前の、個々人の叙情的な視点で考えちゃう。

家畜化の方向から抜けるのは難しいとしたら、その上で自分たちのシステム内だけが世界ではないことを常に認識はしておくため、成長の中でシステム外にある野生を感じられる仕組みは、今後の人類に大事になってくるのかもしれない。一生システムの内側から出ないとしても、外側あっての、内側だぞと。

以下、例のごとく、自分勝手な解釈入りの、不正確かつ雑なサマリ&メモ。

【家畜化について】ここでいう家畜化っていうのは「社畜」(くそっ!)とかの比喩的・個人的な話ではなくて、種としての生態パターンの意味合いが強い。人間は、社会システムを作って自己飼育をする生物だ。地球をずっと上空から眺めれば、サンゴ礁のような人間の生息地、建築群の殻の中で働く微生物が人間で、都市の生存のために動いているように見えるだろう。栄養は直接獲得して摂取というよりは、複雑な流れで各パーツへと運ばれる。

【家畜と人間の共通点/野生との違い】それは期待される型があり、保護と管理の下でそれを目指した成長が促進されていること。そこではシステマチックな品種改良や教育、優劣を競うコンクールや品評会、金メダルが存在する。一つの目標を定め、それに向かって進む。ペットも家畜の一種だが、期待されるのは労働や効率性ではなく、愛や楽しみ。/他方、複雑な自然に直に晒されている野生動物の場合は活かせる能力は単一ではない。変化する環境の中で理想的な野生動物は存在しえないため、多様性が非常に重要となる。たとえば理想的なライオン像などは存在しえず、ライオンには品評会も金メダルも不可能である。速いライオン・大きいライオン、どちらが良いとも言えず、良いライオンとは生き抜いたライオンだ。

【家畜と人間の違う点】家畜は人間のためのシステムの一部である。人間も同じ社会システムに帰属し、パーツの一つとして自己訓化を強化するが、システムは自分たちのためにある(はず)。

【文化史における不可逆の問題】退化というのは後戻りのことではなく、あくまでも進化の中の「できてたことができなくなった」という1パターンとしてあるだけ。自然回帰を目指しても、本当に農耕以前の状態に戻ることはできない。もう身体機能を含む生態自体がそうなっている。進化の道は曲がりくねっていたとしても一方通行で、私たちは本当に単純な意味では、昔に戻れない。

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(靴はいて鞄もって、そのまま出かける気満々の人たち……やはり下着感は、中年のブヨブヨした体が原因か?要精進!)



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by macchi73 | 2020-08-20 18:30 | 面白かった本など | Comments(6)
Commented at 2020-08-25 12:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2020-08-25 12:40 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2020-08-25 12:42 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2020-08-25 12:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by macchi73 at 2020-08-26 23:53
脳内で動物愛護派の批判の声が聴こえてしまって、勝手にストレス感じるの、すごく分かります。きっと架空の視点なんでしょうけどね。同じです。気にしいの性分ですかね。
それから、一匹目、二匹目、の流れもウンウンと読みました。多分、我々は考えがかなり似てるタイプだと思います。
そして最後のウサギ。オチにタハっと笑いつつ。その感覚も分かってしまう。

モラルやポリシー系については、急いで立場を表明する必要ってないですよね。
グレーゾーンで均衡をとるような固有の経験抜きに「整合性もとれてて正しそうだから」ってことで慌てて既存の立場を選んじゃうと、「Xについてはルールに照らしてどうするのが正解か」っていう感じの一枚噛ませた考えになってしまって、「Xについてどう対するか」というダイレクトな何かの(何の?)機会喪失って感じがします。

関係ないですが、タイムリーな話題で、つい先日、急に遊びに来た友人が、近所で野生のウサギを見たと話しておりました。緑は点在しつつ、すっごい車ビュンビュンのところで、ええっあり得ないだろーって感じだったんですが……。
その時いきなり、コンクリートジャングルを縫って駆けてくギザ耳坊やの姿が脳裏に広がり、ちょっとロマンのようなものを感じたのでした。もし、そういう野良ウサギの姿を見たら、またウサギについても違った想念が広がるのかも……なんて想像しつつ。
でも、とりあえず今は猫で。

Commented by もひかん at 2020-08-28 14:10 x
尊敬しているmacchiさんに、『考えが似ている』と、言っていただけるなんて嬉しい限りです。
私も、おそらくmacchiさんなら分かって下さるだろうと無意識に思って、コメントをさせていただいたんだろうと思います。

『グレーゾーンで均衡をとるような固有の経験抜きに〜』の件、よく分かります!
多数決で決めるものでもなければ、常識なんてすぐに変わるし、世の中矛盾だらけだし…。それぞれにちゃんと向き合える軽やかな柔軟性が持てたら良いな〜、と思います。

コンクリートジャングルを走り去る野生のウサギ、かっこいいですね!(自然をコンクリートにしてごめんという気持ちもあるので、もう矛盾だらけ。)
うちのウサギは自分の居る部屋の外へすら、怖くて出られないみたいです。
もし今、野生に離したら、“秒”でトンビかカラスに咥えられて去る姿が目に浮かびました。(怖い!)
先日は雷が怖かったみたいで、私が座っているお尻にペッタリとくっついてきました。『まったくぅ〜、臆病なんだから〜。』と言いながら、まんざらでもない私…。
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