2018年 02月 12日
春の子どもたち
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もう梅が咲いてた。いい匂い。春だ。子供たちが旅行から帰って来るので、仕事は早めに終わらせて風呂と晩御飯を準備して待つ。

帰宅した末っ子は、楽しかった出来事を就寝の直前までずーっとおしゃべりして、「じゃあ、おやすみ!」と颯爽と寝室に去って行った。声色、身振り手振り付きの迫真の様子が面白くて笑う。うちでお喋りなのは長男と末っ子だけなんだけど、長男の話もこうやって聞いてやれば良かったなあ。小さい頃、お喋りな息子の話の後に無口な長女からもゆっくり話を聞こうとしてると、息子が私の顔をグイッと掴んで無理やり自分に向かせて話し続けようとしたりするので、しばしば注意して我慢させていたのを思い出す。きっとアレも、こうやって最後まで付き合えば満足する時点があったんだろうな。

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この頃お呼ばれが続いて、年明けから続けて色んな友達と会っている。たまたまだが向こうはお子さん連れという形態が多い。

友人たち本人に関して言えば、すごい活躍してんなーいったい今どうなってんだとか思っていても、久々に会ってみればやっぱり皆よく知った馴染みの佇まいで、そんなにびっくりするようなことはない。だけど、その子どもたちの代になると、思いもしなかったバリエーションの豊かさに、何かしみじみ驚くところがある。これは学生時代には想像できなかった、自分たちより一つ先の未来の世界だ。

小さい頃からよく知ってる子たちが大人になって、進学やら就業やら結婚やらしていくのは感慨深い。一緒に遊んだり、たまに泣いたり半可を言ったりしてた様子も思い出されて懐かしく可笑しく、心から幸せを祈らざるをえない。だけど向こうにしてみたら、親の友人なんかにそんな感慨を抱かれてるとは想像もしないだろう。こういうのって、年配者から若者への一方通行の視線だと思うと何か笑える。自分も若い頃には、よく知らない酔っ払いたちにオムツ時代の思い出話されたりすると「誰だお前」くらいに思っていたものなあ。でも今ならば彼らのことも理解しよう。そして他山の石として、お子たちへの振る舞いには気をつけよう。

一方、まだまだ小さい子たちを育児中の友達の様子を見ると、このチビっ子たちもどんどん育っていくんだよなと考えてしまう。充分成熟してからの親である友人たちは、総じてユニークで教育熱心だ。我が子の可能性を広げるということについて確かな考えを持っている。私は若く産んでしまったせいか、その手のことは考えずに来てしまったので、なるほどなあと思うことが多い。すごく子どもに良いことだろうなと思う。

もう一回育て直せるなら、そういうこともするだろう。悪かった足りなかったと思うことは繰り返さないようにするだろう。でも全部の選択肢を辿ってやり直したらもっとピカピカの幸せな子になるとして、そしたら今知ってる子どもたちは無かったことになってしまうのかと思うと、やっぱり悔いも含めて一回きりで良いのかと思ったりもする。

上の双子たちが二歳半くらいまで、昼間は三人で家にいた。生まれたばかりの頃はまだ会話できず(当たり前)、ただ隣にぴったりくっついて、湿った柔らかい体温を感じて動物みたいに過ごしてた。赤ん坊は時には不都合に泣いたりすることもあって、この泣き声を止める方法を私は知ってるって思ったけど、でも自分はそれをしないだろう、全然したいと思わないからって考えた時、そっか、これは自分固有の育児ってヤツで人はそれぞれやり方が違うんだと、急にはっきりと分かって、たいへん愉快な気分になったのだった。それで時間も気にせず全リズムを子供たちに合わせて、子供達が眠れば一緒に寝て、起きれば一緒に起きて、泣けばゆっくり相手して、機嫌が良ければ公園に散歩に出かけた。とても楽しい毎日だった。風にあたりながらお堀の水面を一緒に眺める様子が赤ん坊ながらに気持ち良さそうだったり、水鳥や鳩にあーあー言いながら手を伸ばしてたり、歩くようになったら覚束ない足取りでひたすら坂道を下りたり登ったり、すぐ隣でめきめきと外界を吸収していた様子を凄くハッキリ覚えてる。他のことでそんなにずっと覚えていることって無いのに。多分そういうのも全部、取り返しがつかないくらい、一回きりのことだからなんだと思う。

ちなみに、世間でよく聞く家事と赤ちゃんの世話との両立の苦労を殆ど覚えてないのは、おそらく夫や当時よく出入りしていた友人たちの労働によるものだと想像する。その辺、全く記憶に無いけど。感謝している(と、覚えてないくせに言う)。
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by macchi73 | 2018-02-12 23:55 | 【その他】日記 | Comments(4)
Commented at 2018-02-15 12:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by macchi73 at 2018-02-18 22:31
ピカピカ、ならない可能性もありますね……。
遡っても遡っても、分岐は多すぎて、どれがどう影響して今に至るか、誰にもわからないことでしょう。
全能でも何でもない親が、最良ルートを見通してあげられるってことでもないですよね、本当に。

なるほど、お弁当作りは確実に何かを残しそう。
自分の時間と労力を割いて毎日誰かに何かするって、大変なことだと、大人になればわかりますもんね。
Commented by africaj at 2018-02-19 07:50
読んでるうちに、吉田兼好の「徒然草」読んでる気分になりましたわw
ほんと、取り返しつかない一度きりの体験なのですよね。私はよく覚えてるんですが、双子だと嵐の中みたいなんでしょうね。
手伝いに出入りする友人がたくさんいるなんて日本で少ない話な気がします。中央線ライフのイメージそのもので、皆が寄り集まって支え合って生きてる感じが羨ましい。いいなあ。
Commented by macchi73 at 2018-02-19 23:24
うおー、徒然なるままに日暮したい。せかせか暮らし中。

双子の育児中、周りの友達は学生とか学生に毛が生えたみたいな人が殆どだったからなー。
あれは支え合いだったのか?というと、違う気もする。みんなヒマだったから、時間潰しの一種だったかな、と思ったりしますが。
夫も私も、まだどんな大人になるのか形が定まらず、ふわふわした生活でした……。でも全くの能天気だったのは、若さってヤツですね。

あ、でも末っ子が小さい時も他人が家にいること多かったな。
小さい子がいる家って人の出入りが多くなるのかもですね。
子供達が大きくなって(or 自分たちが中年で用事が増えて忙しくなって)、段々と今、静かな生活になりつつあります。

性格的には面倒臭がりで一人の方が好きと完全に言い切れるんですけど、昼間にふらっと来た相手と社交も何もしなくて良い、なんとなく昼寝しちゃったりもするあの変な時間、まあ経験して良かったなって感じです。
そんなに打ち解けない性格なんで、そういう経験も、若いその時のタイミングがなかったらなかったろうなと思うと。


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