七草粥
2016年 01月 07日
正月七日、七草粥を炊いた。蒸気で台所の窓硝子がみるみる曇って行く。
冬の朝らしい風景だけど、例年のシンとした底冷え感はない。裸足でも全然平気。やっぱり今年は暖冬だ。
この気温だと、いつもなら家族5人分の朝飯を炊くのに11分。だけど今日はお粥だからちょっと勝手が違うかも。夫がピカピカに磨いたガスコンロの五徳や受皿にふきこぼれやしぶきが飛ぶのを恐れて、何もしないで、ただ鍋をじっと見守る。蓋の間から、ぷしゅ、と最初の微かな一吹きがあったのを察知して、電光石火で火を止める。我ながらシュッとした動き。
斯様に毎日注意して使っているおかげで、まだコンロはピカピカだ。
しかし家族が誰も起きてこない。まだみんな冬休み。
ひっそりした台所で、皆の無病息災を祈りながら今年も粥を食べて、一人ぼっちで「行ってきます」なんつって、出勤。七草粥、美味い。
そうそう、クリスマスのご馳走、正月のおせち、冬至のかぼちゃ、七草粥、恵方巻きとか。
私も自分の子ども時代にそんなものは食べたことはなくて、だから今はゴッコ遊びの気分で作ってるだけです。季節に伴うあれこれ、昔より増えてる気がしますね。まあ流行の一種かもですね。
お母さんも、同じようなこと、ちょっとした機会ごとに思い出したかもですね。
でも、何か家族っぽいというか、悪い記憶じゃない気がします。むしろ大事な記憶の一つの可能性も。気まずいも後ろめたいも後悔も、愛着とか楽しい記憶と同じくらいの価値、あると思います。
あと、立場が違うと思い出し方も違ったりもするかも。見方によっては、そりゃ子供らしい全幅の甘えん坊だわーって、もの懐かしさを覚えさせるエピソードの気もするし(違ったらすみません)。私が、もし子どもに「お母さんにわがまま言ったな……泣かせたな……」とか思い出されたら、照れ臭くてフヘヘって笑っちゃいますね。いえいえ、こちらこそ至りませんで……と思うかも。
まあ、いつも威張った母なので、そういうしんみりエピソード持ってないくせに想像ですけどね。(うちの子には、「お母さんにわがまま言うと、ケッ!とか言われたなー」とか思い出されそう)
みんな違ってみんな良い……ってのは、なかなか思わないですが、違わないと面白くないからなー、自分がうまく出来なかったかもって思ってることも、この世のバリエーションの一端を担ってるんだからまあ良いか、とたまに思ったりします。
ちなみにこの休みは、定点観察していた蛹がいきなり無くなっていてショックでした……。くそー、誰だー!カラスかー!とか憤ったりして。
このあいだ読んだ本に、時間がたった蛹は、ドライバーで外せるほど硬くて丈夫って書いてあったんで、やるか?やらないか?と迷っていたら、無くなってしまうとは……。
全然関係ない話ですみません。でも凹む私の一方で、これも経験だし、カラスか誰かは喜んでいるんだ……まあそれも良いか……と思ったり思えなかったり(サナギの気持ち無視!)。