眠いハロウィン
2011年 10月 30日
どんよりした、ハロウィンの朝。
お泊りで興奮して朝早くから起き出した子供たちが「朝の散歩いきたい〜」というので、近所の公園まで、早朝散歩に出た。
子どもって元気だな。私は眠い。
その後、ずっと半分居眠りしながら相手をしていたら、子どもを迎えに来た友達が、今度は子供たちを近所の学園祭に連れ去ってくれた。
あー、眠れる。助かる……。
そして夜になり、子供たちが帰って来たので、カボチャ料理を作って形ばかりのハロウィンをば。
学園祭で仮装した大学生と遊んで面白かったという子供たちの話など聞きながら、なんかまだボンヤリしてる。
料理(カボチャの肉詰め)は子どもたちに好評。
大きなカボチャを丸ごと一個食べてしまった。
すごい。また今度作ろう。
レシピはこちら:カボチャのハロウィン肉詰めオーブン焼き by ホネリ
背面にも顔を彫ってしまった。
蛇足。
包丁で真っ二つ。
心持ちスプラッタ。
しかし今日は、薄暗い静かな家で夫とウトウトして過ごしてしまい、役に立つことを殆どしない一日だった。
あーあ、無為に過ごしちゃったなーって、気重な気分だ。
そういえば、なんか毎年ハロウィンって眠い記憶ばっかりだ。繁忙期。
真実―パトリシア・ニール自伝
今日、ベッドでつらつら読んだ本。
パトリシアは、ゲーリー・クーパーの愛人の後、ロアルド・ダールの奥さんになった女優。
銀幕臭紛々のドラマチックな人生のような、その逆のショボイ人生のような……。
お嬢さん育ちの可愛いパトリシアが、自分をコントロールできなくて、ゴツゴツ色んなところにぶつかりながら、あまり幸せでない年配の女性になって行く様子は、なんか悲しくなる。
パトリシアにとっては、ずーっとゲーリーが理想の恋人でロアルドの出る幕無し。
前にロアルド・ダールの自伝も読んでたから、あのイタズラっ子の家庭は上手くいかなかったんだな……とか思うと、その扱いにもちょっと悲しくなったりもする。
でも、ロアルドも面倒くさそうなオッサンになってるし、何十年も連れ添った後で離婚してるからな。
本当に好きじゃなかったのか、色んな意地とか悲しい気持ちとかが入ってそういう扱いなのかは分かんないなと思った。
伝記物(あまり読んだことないけど)で、誰かの話を子どもの時から通して読むと、嫌な大人になったもんだなーと思っても、やっぱりそれも諸事情あってのことだし、どうかここはなんとか幸せになってくれよと思ってしまう。そうならないと、どんよりする。
……という訳で、読後感は「人生って辛いわあ」というだけだったが、これを発展させて、現実で嫌なヤツに会った時には、「しかし彼も昔は子どもであり、ここまで来るのに色々あったんだ。自分はその色々を知らないだけで」という考え方は使えるかもしれない(偉そうでダメか)。
最後、パトリシアは宗教に救いを求めるんだけど、それも「ずっと子どもの時から通して自分を知ってる存在(=神様)なら、ここまでの道筋を全部分かって寄り添ってくれるはず」ってのもあるのかも、なんてことを思ったり。
ちなみにパトリシアがクーパーを褒めれば褒めるほど、なんかクーパー嫌いになってしまう本でもあった。