2018年 07月 15日
匂いは思い出せないという発見(→ 訂正:できる人もいるらしい)
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外がうだってる。家じゅうの窓をあけて風を通す。
うちは古い家の作りで、家の中が深くて暗いが、その分夏はそこそこ過ごしやすい。

風が庭から良い匂いを運んでくる。いまの時期はカサブランカが咲いてる。
私は夏の百合の匂いがすごく好き。夫は秋の金木犀の香りが一番好き。だけど金木犀の香りを今思い出せる?って聞いたら、ええっ、難しいな、嗅げはすぐ思い出すんだけど、と言った。嗅覚は思い出を芋蔓式に呼び起こすものだが、匂いそのものを思い出すのはすごく難しい。映像も音楽もある意味自由自在に思い出せるのに、匂いは匂いがきっかけでしか思い出せないって、これって大発見じゃないか?

大量のアワビが届いて、友達家族が遊びに来た。
お客様にクーラーかけようとしたが、夜風が気持ち良いからこれで良いよといって、生暖かい夜にみんなでアワビ料理の腕をふるってご馳走を食べた。刺身、酒蒸し、ステーキ、肝パスタ。貝殻が綺麗だと騒ぐ子供たち。
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お土産の冷え冷えの日本酒や白ワインなど飲みながら、呆けてしまったおばあさんの話を聞く。自分が誰で、今どこにいるのかも分からなく暮らしているのに、好きなもの嫌いなものは依然あり、毎日忘れこそするが興味の分野もそのままらしい。

記憶は失っても自分の中には残ってるっていうその現象(?)は、私たちも既に一度体験しているかもなと思う。物心ついたときには赤ん坊時代のことは覚えてないけれど、そこまでの経験が積もって、世界に対する親密さや居心地悪さの感覚として自覚されるんだろうと思う。物心つく前にも生きた日々はあり、物心ついてからの認識の土台の材料となってる。だから赤ん坊には安心する快適な生活を与えたい。同じように、年とって惚けて自分のことが分からなくなってしまっても、そこまで生きてきた日々はあり、自分を失った後の自分の素材としては残るんだろう。だから物心ある間に綺麗なものをたくさん見ておきたい。

おばあさんに手持ちの写真があれば、アルバムを作って手元に置いておくのはどうだろうと考える。忘れても忘れても、物心失う前の物語を何度でもなぞって、こういう道のりで今ここにいるとその都度思えれば、少し不安はおさまるものか、そうでもないのか。知りたい気がする。

それから死んでしまった知人たちの話をした。もし私が呆けてしまっても、生きてる間は、この夜風の百合の匂いを嗅いだら、その瞬間は新たな快さを感じるだろう(すぐ忘れても何度でも)。生きていれば日々新しいことが起きる可能性は残るけど、死んでしまった人とは新しい会話を二度と持つことができず、謎だけがずっと残る。もう絶対に知ることができないという感覚は、時々ものすごくストレスだ。一番好きなはずの金木犀の匂いをどうしても思い出せないのにも似てる。

呆けて生きるのと早く死ぬのと、どっちが良いのかは分からない。誰もが何かの死に方をするし、そもそも選べるものかも怪しいし。色々考えると、自分や知人の老いや死ってのは自分にとっては重くても、結局この地球上に泡のように絶え間なく大量に出現しては消えていく色んな現象のたった一つなんだよなと思う。人も虫も草も自然現象も、快楽も悲惨も大きいことも小さいことも、バリエーションという意味ではこの世に全て同じ重さで貢献している。まあ賑やかでゴージャスな話だ。自分が悲惨に当たったら嫌だが、かと言って自分だけが逃れられるとも思えない。でもその時には、この地球の賑やかさに対する愛着が、嫌な方の多様性の一端を担うこともあるだろうって思うための代償にはなるのかもなと思う。

あと、顔・声・仕草は思い出せるけど、匂いは何かないと想起が難しいと知ったので、早死になった時のために、香水でもつけとく習慣はありなのかもなと思った。前に長く不在にしたとき、夫が私の洗ってない服を嗅いで思い出してると聞いて、ちょっと困惑したし。嗅覚刺激のために汚れ物とっておかれるのも嫌だし。


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# by macchi73 | 2018-07-15 14:30 | 【その他】日記 | Comments(11)
2018年 07月 13日
クロバネツリアブ(黒翅吊虻)
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虫なら何でも知りたいぜ!っていう熱い虫好きではなく、虫なんてどうでも良いよ……っていう無関心な人でもなく、ごく軽度の虫好きに図鑑のページをめくらせる虫ってのがいる。地味でもちょっとだけ珍しくて何故だか目についてしまって、「きっと何らかのエピソードや名のある虫に違いない」と思わせるような虫。ちょっとだけ模様がユニークとか、ちょっとだけ動きが特長的だとか……。

ツリアブもそんな感じ。ホバリングしながら宙で静止するような動きが面白く、空中に吊り下げられているように見えるので「吊り虻」と呼ばれるようだ。ホバリングする虫なんていっぱいいるが、そこがわざわざ名前になってしまうのが分かるような、微妙にくどいホバリング具合。

体と翅が黒くて腹部に白い帯模様があるこのアブは、クロバネツリアブ。ツリアブの仲間内では一番大きいので、ホバリング具合も目立つ。

成虫は花の蜜や花粉を食べるが、幼虫はハチに寄生して育つようだ。地面にお尻をつける動作を時々しているが、これは別に地面の幼虫に卵を産みつけてるとかじゃなくて、「尾端接触」という行動で、お尻にある砂室という器官に砂を取り込んで、卵にまぶしてからバラまくように産卵するらしい。

なんでそんなことを?と考えるに、針で卵を産み付けるハチと違って、寄生性のハエやアブって、たしか卵から孵った幼虫が、宿主が通りかかるのを待って寄生するんだよな。だから多分、卵を砂でコーティングするのも、孵化した幼虫が隠れて待ち伏せするのにちょうど良いからかなーと想像する。
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# by macchi73 | 2018-07-13 22:09 | 【生物】昆虫・その他の生物 | Comments(0)
2018年 07月 12日
人の目を通した景色(江上茂雄:風景日記@吉祥寺美術館)
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毎朝通勤時に通る角の生垣の葉が、虫食い一つなくてすごく綺麗だ。(自分の虫食い庭を恥じる)

みんな同じきちんと端正な形をして、でも思い思いに色んな角度で生垣を覆って、葉っぱ一枚一枚が中心から縁への滑らかなグラデーションを描きながら、さらに生垣全体でも大きな緑の塊を作っている。これって、こってりしたクレヨンか油絵にしたら面白いよなあ……写真撮りたいなあ……と迷って、でも他人の家の前を撮影するのも怪し過ぎるので、毎日立ち止まってしばらく眺めてる(←写真とらなくても充分怪しい)。だけど仕事から帰るといつも夜中でクタクタで、朝の感じは消えかけてる。

あーあ、つまんね、こうやってるうちにいつも綺麗なものは終わっちゃうんだ、とか思ってたら、古紙の束の上に置かれた自治体の広報誌に小さく載った絵が目に止まって、アッと思った。そうそう、ちょうどこんな感じ!


記事を読んだら、江上茂雄という人の絵で、近所の美術館で週末までやってる企画展らしい。それで、週末に散歩がてら見てきたら面白かった。画集が売り切れで買えなかったのが残念だ。

隣の展示室で見られた浜口陽三も、シーンと静かな銅版画が不思議な感じで面白いと思う。


『浜口陽三展図録~静謐なときを刻むメゾチントの巨匠』

夏が一番好きな季節のせいか、モワッとした空気の中を歩き回ってるとすぐに風景に見とれてぼーっとしてしまう。ちょっとしたものでも信じられないくらい綺麗で驚いてばかりだ。なのに写真ではなかなかその感覚が保存できない。

思うに、たぶん綺麗な景色っていうのは光の反射だけで成るものじゃなく、見る側の内にある五感のごった煮も投影して認識されるものなんだと思う。だから光学的に正確にその場を写しとった写真より、描き手の五感フィルターを通して歪んだり霞んだり省略されたりした絵の方が、綺麗なものを見た時の感覚が想起しやすいのかも。

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目でみると綺麗なのに・写真に撮ると汚いものの代表、それは我が家の庭。
うーん、不思議だなー。

しかし一つ言っておきたいのは(誰に?)、写真的には荒れ果ててるようにしかみえないけど、いつも風で揺れて光が動いてて・四季折々の良い匂いつきなんだ。そして昔この場所で見た、虫や子や鳥や人々の残像つき、残響つきでもある。(私にとっては)
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# by macchi73 | 2018-07-12 06:00 | 面白かった本など | Comments(0)