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2016年 03月 03日
ひなまつりの娘(たち)
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ひな祭りの日。PTAの会議があって、仕事を休んで朝から小学校に行った。河津桜がもう咲いてる。春だ。

学校の廊下で末の娘と遭って、今日は一緒に帰る?と聞いたら、「今日はピノコは空手だよー」と、シュシュッ!と格好良いポーズをされた。ははは。

で、PTAの会議幾つかと作業が終わったら、もう夕方(長い……)。
これじゃあそろそろ空手教室も終わる頃だなと思って、その足で迎えに行ってみた。窓の外から覗いていたら助手の先生に招き入れられ、他のお母さんと並んで見学になる。初めての見学だ。

が、娘と目があったその瞬間、揺れる視線を見て、「あっ、見に来ちゃダメだったか」とすぐ分かった。娘、運動のせいもあって上気した顔がもっと赤くなって、こっちをチラチラ見る表情が複雑だ。一生懸命に型をしつつも、しきりに首を捻ったり、口を尖らせたりしている。

練習が終わって帰り道、とても饒舌だが、何か言いたいのを回り道してる雰囲気がひしひし。他は長くやってる子たちで、娘だけ入ったばかりなので、色々と動作が遅れたり分からなかったりするのを見られたくなかったんだろうなと感じる。

手をぎゅっと繋いで、暗くなった街を引っ張られながら、今日のひな祭りは豪勢にやろうぜーなんて話をしつつ何となくお互いに様子を窺ってる感。空手のあの型って、架空の敵を想定して作ってんだろうね、こう、手を受け流したりして……で、最後のあの形は何なんだ?とか話したり、説明してもらってるうちに、だんだんとコアに近づいた感じがあって、「お母さんも受け身やってみてよ」とか言う。見よう見まねでゴロリとやって地面に伸びたら、頭の上の方から、「ピノコはまだ新しいから分かんないとこあるけど、けっこう面白いんだよ」と言われた。もちろん、そう見えたよーと返しつつ、すげえ可愛い娘だなあ!と、無性に大笑いしたくなる。笑ったら怒るから笑わないけど。なにか分からないけど、子どもって、たまに凄く新鮮な感じがして、感動する時がある。

前は、なんでも「見て!見て!見に来て!」とうるさかったのに。見に行ったら、絶対大喜びすると思ったのに。気付かないうちに、なにか大きくなったもんだなー。これからは気をつけよう。

家族みんな用事があって、今年のひな祭りは二人きりになっちゃったけど、帰宅後には二人で一緒にガーッとご馳走を作って、乾杯して、それから残りの家族のためにテーブルセッティングして眠る。

そして翌朝、夜遅く帰ったらしい上の娘からの「ひな祭りの料理、美味しかったよ!ごちそうさま!」の絵文字のついたメッセージを発見。何だそのソツない感じ(私にはできない系……)。知らぬ間に、こちらも大きくなったもんだ。
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by macchi73 | 2016-03-03 23:55 | 出来事・その他 | Comments(4)
2016年 02月 13日
ゆきてかえらぬ
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目が覚めたけど、なんだか薄暗い。

窓を開けたら雨が降ってた。けど、全然冷たくない。そっか、今日って4月並みの暖かさになるとか言ってたっけ。こんな変な天気の日って、なんかワクワクする。

すぴーすぴー、むう、すぴーと安らかな寝息をたてている夫を起こさないよう乗り越えてリビングに行ったら、既に末っ子が起きて外を見ていた。今日は暗いね、雨の日って静かだよね……とか話しながら、変な空気を肌で感じるために庭に出る。足元で、今年初の福寿草が濡れて咲いてた。空気もザワザワして妙に生温く、優しい感じの霧雨で、植物たちが喜びそうだ。菜園でタイムをちょっと摘んで、末っ子と一緒に朝食のピザを焼く。そして皆を起こす。
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朝食後。
末っ子に散歩行こうかと誘ったけど、今日は家で本を読んだり遊んだりしてるという。夫も今日は寝てるという。

それで一人でサイクリングに出た。午後は快晴。2月なのに23℃超えという暑さで、空は真っ青。上着も全部脱いでTシャツになって、ズボンをまくって自転車を漕ぐと、皮膚の上を暖かい風が流れて行って、ものすごく気持ち良い。せっかく一人だし、でたらめに知らないところに行ってみようと思い、上水や川をどんどん辿って行ったら、河津桜が咲いてるところがあった。土手にはフキノトウも出てる。うわー、春だなあ。
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途中、見知らぬ長閑な公園でザリガニ捕りしてる子供にザリガニの巣の探し方を教えてもらったり、喫茶店で水分補給したり、小さな自然観察園みたいなところで在来生物の水槽を眺めたり、行き止まりの多い住宅地の細い路地でジグザグしたり、畑の広がる平らな場所を通り抜けたりして、良い感じに迷子になったところで、ざっくり方向転換して自宅方面に戻らんとす。たぶん、おそらく、こっちが家だと思うんだ……。

そうして、お日様の位置がだんだん低くなって影が伸びて、光が赤みを帯びた黄色になって来たところで、周りがなんとなく知った風景に変わり、夕方には無事に家に着いた。日が長くなったなあ。

迷子中って、行き交う人たちの言葉も一枚膜をかけたように聞こえたり、自分がどっちに進んでるのか東西南北を見失ったりして、いきなり周りの景色が曖昧化する。そのくせ肌にあたる風の感触や、木の枝の細かな造形、流れてくる音楽なんかは、逆に妙にハッキリ迫って来たりして。なんとなく夢の中と共通する感触がある気がする。

そのせいか、迷子から脱する時は、夢から醒める時の気分に少し似てる。安心するけど、ちょっとだけ名残惜しい。
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* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

迷子から醒めなかったら、どうなるか?−−向こう側に行きっぱなし。

『在りし日の歌―中原中也詩集』

中原中也の「ゆきてかへらぬ」なら、ちょっと甘い。

迷子の時、空気の中に蜜があるのを、私も感じる。
僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒ぎ、風は花々揺っていた。

木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。

棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者なく、風信機の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適していた。

(中略)* * *

林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。

さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。


一方、ボウルズの迷子は悪夢っぽい。

『優雅な獲物』(ポール・ボウルズ)

ボウルズのこの短編集の中身は、行って戻れなくなった主人公の物語ばかりだ。迷子になるのは、いつもアメリカの知識層の男性(またはそれに類する何か)。行く先は、アフリカ的な呪術と混沌に満ちた地。そこでは人々は男とは違った話法で話し、行動する。そしてその混沌の中で迷った男は、もう二度と、馴染みの明晰な世界には戻れない。

どの短編もほぼ同じテーマを扱っていたけれども、一編だけ『学ぶべきこの地』は、女性主人公がアフリカからアメリカへと出て行く物語で、逆方向の行きて戻らぬ物語なのが珍しい感じがした。「学ぶべきこの地」っていうのが、主人公マリカが学ばなくてはいけない、アメリカ世界のこと。

ボウルズがよく書く明晰から混沌への迷子ストーリーには、胸苦しくなるような切迫感があるけど、『学ぶべきこの地』の混沌から明晰への迷子という逆ルートの物語だと、あんまり圧迫感はなくて、むしろ虚脱感がある。つまり混沌側には残酷と恐怖があり、明晰側には虚無があるのかも。

アメリカに渡った主人公マリカは思う:
何週間もの間、彼女は町の人々の生活ぶりを眺めていたが、いかなる法則も見出すことができなかった。人々はつねにどこかへ行く途上であり、急いでいた。彼らがみな似たりよったりだと思いこむほど愚かではなかったが、それでもだれがだれなのかを知る手立てはなかった。モロッコでも、ヨーロッパでも、一方に忙しくしている人がいれば、もう一方にそれを眺めている人がいるはずだった。いつもだれかがなにかをしているときには、必ずその観察者がいた。アメリカではだれもがどこかへ行こうとして、だれもそれを坐って眺めてなどいないという印象がした。このことが彼女を混乱させた。彼女は自分が旧知のあらゆることから遠くに、限りなく遠くにあるような気がした。

『優雅な獲物』を読むと、混沌側の人間は学ぶことで明晰側に来られるけど、いちど明晰側に渡ってしまった人間は、どこかを壊さないでは混沌側に行くことはできないんだと思わされる。(まあ観念的な話で、実際はそうとも限らないよなと思うけど)

こういう強いエキゾチシズムって、ボウルズ自身の人生の反映(アフリカに渡って、戻らなかった)ってのもあるだろうけど、白人文学には似た感じのものをしばしば見るように思う。西洋から見た西洋以外の世界って、こんな風に混沌としていて、動物的で、恐ろしくもあり嫌でもあり強烈に惹きつけられたりもするものなのかもしれない。日本もちょっと前なら、主人公側じゃなくて、混沌側の世界だったかな?

現在の自分がいるのは、混沌側の世界ではないなと思うと、ちょっと安心する。でも一方通行の終わり側にいると思うと、ちょっと残念だ。迷子になった時に、迷子を終わらせようとはしてるんだけど、もっと続いて欲しくもあるのと似てる、かも。



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by macchi73 | 2016-02-13 23:55 | 書籍・CD | Comments(3)
2015年 03月 22日
春の山菜さがし(近所で!)
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日曜の遅い午後。
ねえお休みだし山菜とりに行きたい、フキノトウとか食べてみたいの、と子供にいきなりリクエストされた。

ええー、今からか。お母さん山菜のある場所なんて知らないし、これから山に行ったら夜だよーと答えたら、「そっか、残念……」と大人しく引き下がる。そんな風に引き下がられると、ちょっと気になる。

あ、そういえば庭にもフキは少し生えている……と思い出して確認したが、フキノトウは見つからなかった。
でもフキならその辺の野原や土手なんかでもたくさん群生してる場所があるよなーと思い、フキノトウの季節はもう過ぎてるかもしれないけど、ダメもとでちょっとサイクリングがてら行ってみる?と提案。「行く!」と、なぜか縄跳びとか遊び道具を持ってはりきる娘。
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それで川沿いをサイクリングしながら見ると、フキはけっこういろんなところに生えている。
ここなら色んな汚れや農薬も関係ないねと思われる場所を見つけては、フキノトウを探してみる。
すると、フキノトウ狩りをする人々は割と存在するらしく、フキノトウのあったと思われる茎はいつも途中で切られていることが判明した。そっかー、フキノトウって人気なのか。結局、見つけられたのは開きかけのヨレっとしたフキノトウ、一株だけだった。
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ありゃま、がっかりかな?と思ったら、意外に喜んでいる娘。
やったー!本当にあった!と小躍りし、フキと一緒に摘んで帰って晩御飯に食べてみよう!と言う。
ちょっと健気さを感じ、「あ、これも食べられるんだよ」と柔らかい新芽を出しているヨモギも少し摘んでみる。それに庭にいっぱい生えてるユキノシタも食べられるって聞いたことがあるから一緒に料理してみようか……とか話しつつ、夕焼けの川辺をしばらく歩いた。

暖かい夕方、土手には色んな花木が満開で、もうすっかり春だなーと感じる。
山茱萸、河津桜、日向水木、白木蓮……色とりどりの花が、すでにハラハラ散っては地面を染めていたりする。
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あ、春のはずだよ、そういえばもうお彼岸じゃん!とか思い出し、途中のお店に入っておはぎを買った。
そしたら、隣の八百屋さんでフキノトウやらタラノメやらが売られているのを発見。ラッキー。

夜、庭のユキノシタも摘んで、晩御飯は野草の天ぷらにする。
フキノトウ、ほろ苦くってふっくらしてて美味。ヨモギ、ユキノシタ、タラノメもとっても美味しい。
すごーい!全部おいしーい!春の味だねーと、満足な子供を見て、私も満足。
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しかしなんでまたフキノトウなんて食べたくなったの?と聞いたら、田舎でもらった漫画に出てきたからと言う。見せてもらったら、フキノトウを摘んで食べるシーンが美味しそうに描かれていた。
あー、これは真似したくなるねえ。

『ふらいんぐうぃっち』(石塚千尋)

のんびりした田舎の若者の日常漫画。

こんな風にゆっくりした時間で暮らせたらいいよなー。

雰囲気は『よつばと!』に似てる感じだけど、主人公が幼児ではなくて高校生で、ちょっとファンタジー要素含む。


「そして次はコゴミを食べたい!」と新たな野望を語る娘。
先日の生花の花材がコゴミ(食べられない硬い品種)だったけど、同じような形で山菜として食べられるコゴミもあると聞いたらしい。
コゴミってクサソテツだよな?
園芸品種のクサソテツと同じもので良いのなら、裏庭にもあるんだけど……。
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by macchi73 | 2015-03-22 22:41 | 庭料理 | Comments(4)
2010年 03月 12日
河津桜(カワヅザクラ)
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近所に梅と並んで生えている。
梅と同じく2月には咲き始めているが、明らかに梅じゃない。
梅の花が肉厚で丸っこい花であるのに、こちらはひらひらと薄い桜の花びらだ。

たぶん河津桜だと思う。
ソメイヨシノよりも濃い目の桜色。
たまに冬にもちょくちょく咲いてるし、花期は長いし、「桜=春・儚い」っていうイメージにはちょっと反する。
緋寒桜(寒緋桜だっけ?)と大島桜の交雑種らしい。
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by macchi73 | 2010-03-12 01:05 | 栽培日記:春の植物 | Comments(0)