2017年 10月 01日
2017金木犀開花(ちょっと遅れて気づく)
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家族みんなでレストランに集まって、子供たちの誕生祝いのディナーをした。
お店の方がポラロイドで家族写真を撮ってくれたところ、良い写真だー、彼女に見せようっと!と、デレつきながら鞄にしまいこむ息子。食後にプレゼントを渡すと、良いねえ、これも見せようっと!とまたデレつく。うっへー。なんか恥ずかしいヤツだぜ。彼女に呆れられないように気をつけろよと思う。長女は静かに笑っている。

それから夜道を伝言ゲームしながら帰宅した。たった数人なのに全然ダメダメな結果でびっくりだ。「無灯火、ダメ絶対」→「舞踏家、たべちゃった」→「葡萄、かさねちゃった」→「葡萄から出ちゃった!?」……等々、耳が悪いのか滑舌が悪いのか?

クスクス笑う子供たちと家のそばまで来たら、庭からフワッと甘い香りがした。

金木犀咲いてんだね、と言ったら、そうだよ、もう地面にもちょっとだけオレンジ色が落ちてるよ、と末っ子が教えてくれた。えー気づかなかった。ここ2ヶ月くらいずっと祝日も土曜も仕事だし、日曜日は疲れて寝てるし、頭の中が別のことでいっぱいだった。見れば、庭の植物の顔ぶれも秋風に入れ替わってる……ほぼ雑草だが。

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そういえば今日は2ヶ月ぶりの週休2日だ。なんだか久しぶりに、妙にのんびりした気分だと思ったよ。庭に面する窓を開けて家の中に香りを呼び込む。

甘い匂い、冷んやりした空気、虫の声……

はー。生き返るなあ。こうやって時間に余裕ができれば、末っ子にリクエストされて、紅茶ケーキやサツマイモとリンゴとシナモンのクグロフを焼いたりもする。2連休って楽しいな。

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サツマイモとリンゴのシナモンケーキ。

レシピは、十八番のキャロットケーキの中身を、人参、林檎、サツマイモ、クルミに変えただけ。美味しい!

チョーお手軽に、もう材料も計量なしで目分量で作っているが、何を入れても、けっこう美味しくできるようだ。

これからも季節の美味しいものを入れて、いろんなバリエーションつけられそう。



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とか言いつつ、いまの忙しさはそんなに嫌でもない。たまに頭を抱えたくなることもあるけど、気付けば1日が物凄く短くて、なんとなく新しいことを習得中の時に共通する感触がある。だいたいこういう感じの時って「今はこれをやってる」って思っていることじゃないものを習得中なんだよな。それが何かは、後で分かる。うまく言えないが……。

プライベートで似た例だと、この家に引っ越してきて園芸というものを始めたが、園芸知識自体はいっぱい覚えていっぱい忘れ、楽しかったけれどそんなに園芸に詳しくなった訳じゃないと思う。結局、その繰り返しの中で得たものと言えば、自分たちは社会の中だけじゃなくて同時に自然の中で暮らしてる生物だっていう、どんな場面でも−−仕事中でも、人とのお付き合い中でも、ぼーっとしてても−−ずっと続く消えない認識だった。

子育てだって、なんか色々とそれなりに経験したつもりでも、熟練のお母さんっぷりは身に付かず、未熟なショボイ挙動は40過ぎてもそのまんまで多少ガッカリだ。それでも子供たちと過ごした二十余年で確実に得られたものは、全ての上に刻々と流れている時間の感覚と、その流れの中に自分も一緒にいるという感触だと思う(それ以前は、移り変わりを端から見ている感じだけだった)。

明示的な知識やら技能やらは、正直、必要なら外部にいくらでも参照できる情報やサービスがあって何とかなるもんだから、自分が勉強する必要って感じたことがないが(←いい加減)、こういう漠然としたものの方は、自分自身がモノにしたものしか使えないんだよなって思う。まあ、モノにしたから何に使うのかって言ったら、よく分からないんだけど。


『サルチネス』(古谷実)

少し前に読んで面白かった漫画。

私は面白く読んだが、不健全な雰囲気を全面に押し出す感が多少煩かったり、絵も気持ち悪いと思う人がいそうなので、園芸ブログで強くオススメするような本では無いかもしれない。
でも、何か一つの感覚を習得するのって、こんな感じのとこあるかもなって思った。最後はハッピーエンド。良かった。



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# by macchi73 | 2017-10-01 23:55 | 面白かった本など | Comments(2)
2017年 09月 26日
風呂場で会ったちびヤモリ
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先日、お風呂場で小さいヤモリが壁面からこっち見てた。あれ、左手首が無い。

手首の先端の表皮は滑らかで、動きも別に鈍くないから、いま怪我したという訳ではないようだ。ずいぶん前に怪我はしたけど生き延びて治癒したのか、もともとそんな風に生まれてきたのかもしれない。

お湯がかかると悪いので、窓辺の方に連れてったら、スルスルっとパイプをつたって外に消えていった。まだ小さな子供っぽかったから、うまく生き延びて大きくなれよと思う。
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それからしばらくした今日、風呂場の洗面台の下のパイプをみたら、蜘蛛の巣に小さなヤモリがかかってた。

あ、あいつだ、と思う。

干からび具合からみて、罠にかかったのは少し前のことだろう。ペンライトで照らしてよく見てみたけど、手足を縮めた状態で干からびてしまっているので、本当に先日みかけた片手のヤモリなのかは分からなかった。

傍には蜘蛛。
まるまる太ってはいるが脚を入れても2cmもなさそうな小さな蜘蛛で、ヤモリってこんな小さなヤツにもやられちゃうんだなとちょっと不思議な感じがした。もし先日見かけた個体だとしたら、それって、失くした左手首も影響した結果だったのか、それとも単にタイミングだったのか。
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以前見かけたことがあるものを、次に見かけたら姿が変わってたっていうのは、時々あることだ。

その間に彼らに何が起きたかを知ることはできないんだけど、日々自分にもいろんなことが起きるように、他の者の上にもいろんなことが起きてるんだと感じる。



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# by macchi73 | 2017-09-26 23:55 | 【生物】爬虫類・両生類 | Comments(0)
2017年 09月 24日
【夏休みの自由研究】透明骨格標本を作る
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ずいぶん前に友人家族に誘われて日本科学未来館に遊びに遊びに行った時のことだが、子供たちがミュージアムショップで初めて透明骨格標本を見て、魅了されてしまう。しかし小学生のお小遣いで買える価格帯ではなく、その時は残念ながら諦めたのであった。

そしたらこの夏、近所で小学生向けの標本作りワークショップを発見。夏休みの自由研究を兼ねて、参加してみることにした。

ということで、これまでは夏休みの自由研究といえば母娘である程度一緒に楽しんだものだけど、今年は娘一人での作業だった。まあ、もう小6だもんな……手を離れる年頃か。
【透明骨格標本の作り方】
http://yumeirokokkakudo.kamihata.net/toumeihyouhon/tsukurikata.html

(1) 標本となる生物をホルマリンに漬けて固定する(のちの分解作業中にバラバラにならないように)
(2) アルコールで体内の水分を置換
(3) 軟骨を、酸性染液で青く染めてから中和
(4) 酵素でタンパク質を分解
(5) 硬骨を、カルシウムと結合して赤くなる染液で染める
(6) 水酸化カリウムでタンパク質を溶かしつつ、グリセリンで水分を置換して透明化を進める

【透明骨格標本作製キット】
http://www.wako-chem.co.jp/siyaku/product/education/skeletal_specimen_kit/index.htm

ワークショップでは、実際は何日も薬品に漬け込むところを3分間クッキングよろしく「はい、その状態で数日置いたものがコレになります」などとスキップして早送りで進めながら、解剖図に沿って魚の内臓を並べてみたり、各染液で染まる組織の違いをレクチャーうけたりして、標本作りの一通りの流れを学んだようだ。
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その後、自分が実際に作業した魚は1ヶ月ほどで透明化が完了し、完成した標本を家に持って帰って、学校用の夏休み自由研究用レポートにまとめていた。インターネットやプリントで色々と調べながらも、時々手を止めては標本を眺め、「綺麗だよねえ……この魚を選んで良かったなー」とかニヤつく娘。「時間につれて、もっと透明になっていくんだってさー、楽しみだね」と言う。なるほど。水分をグリセリンに置換することで透明化が進むという話だが、瓶の中ではまだ置換進行中ってことか。

私なんかは、そのままなら腐敗や分解にむかう塊が、別物質による置換で一つの状態に固定されてしまうってのが、運動や時間を止めてるような、形だけ写して違う物になるようなで面白いなと思うんだけど(レーニンやロザリアの死蝋を思い出した)。娘としては、透明骨格標本というものの変遷の方に興味があるようで、そもそもなぜこのような技術が必要とされたのか、それが今ではアートのようになっているのはどういう事情なのか、というようなことについて調べて教えてくれた。親子でも興味を持つ点が違っていて、そこが面白いなと思う。
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ちなみに、夏休み自由研究は、全校の子たちが見られるように学校のホールにしばらく展示されていたのだが、先日、透明標本の瓶だけ行方不明になってしまったようだ。

えっ、そんなの酷い!あんなに綺麗に出来てたのに!!と、強く慰めようとする上の子たちを他所に、まあ仕方ないね、と至って呑気な娘。はは。わかる。私も色々と執着薄いとこがあって子供の頃はよく怒られた。そこは似てんのか。

あれば嬉しくて何度も見ちゃうけど、無ければ無くても困らないものだしな。体験して覚えたこと、見て知ったこと、その感触とかは無くならないし。本体が無くなっても、あれ綺麗だったよなーって思い返せること自体が、自分の中の一つの標本みたいなもんだと思う。

グリセリンの瓶の中で透明化が進むみたいに、脳内の標本ってのも時間と共に置換が進んで、そのうちいつか、記憶の中で燦然と、5cmくらいの小魚も10cmくらいに育つはず。( ≈ 釣り人の釣果自慢)

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魚だけでなく、昆虫、鳥類、哺乳類なども透明になる。
成分置換等の時間は大きさに比例するようなので、人間も透明化できそうだが、すごく時間がかかりそう。





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# by macchi73 | 2017-09-24 23:55 | 【こども】自然学習、自由研究 | Comments(5)