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2015年 02月 26日
備忘
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友人の追悼で学生時代の馴染みの雀荘に行ったら、お店のおばさんに、お父さんお元気?と唐突に聞かれた。父が泊まりに来た時、ぶらっと打ちに来たことがあったようだ。長いこと病気でもうだいぶ悪いと話したら、会いに行った方が良いよと言われる。翌週、おばさんの言葉を思い出して1週間ほど休みをとって会いに行った。

東京から病院に直行し、病室に泊まって過ごす。
正直あまり親の近くに寄ったことがない子供だったので、二人きりで過ごすの大丈夫だろうか……と心配していたが、自分の子ども達を看病する時にとてもよく似た感触でケアできて、何事も経験なんだなーと思った。吐瀉物や血を何回も被ったが、全然嫌でもなかった。気づけばよく手を握られていて、見ると優しい顔をしていた。もうそろそろ終わりなんだなと感じたので、父が言って欲しいだろうと思うことを言ったら、私の手をつかんで、こうなるって分かってたんだ、といやにはっきり言った。

で、その週末に亡くなった。
最期は家族全員揃ってお別れできて良かったと思う。週末中に手続きを済まして東京に戻る。
ちなみにもう先が長くないと観念した頃、サラ金での何十年モノの借金を告白するというオマケつきで、弁護士に頼んだら大変な額の過払い金というものが戻って来た。ほんと馬鹿だよなあ。最後までびっくりさせてくれる。印象がチグハグでよくわからないところがある人だとずっと思っていたが、長い隠し事のせいだったのかもしれないなとか思う。

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父と孫。我が家に遊びに来た時。

父は、お前の家が俺の理想なんだと言い、孫たちの家族アルバムを送れと催促がうるさく、周りの人たちにずいぶん自慢していたようだった。時々うちの子たちに送ってくれる廃材で作ったドールハウスやオモチャを見ると、小さく可愛い細工が色々としてあって、子供というものに本当に興味があるということが感じられた。子供好きな面は確かにあったと思う。

その一方で、俺が死んだらお金と家は母と弟たちに遺るようにしてくれ、お前は必ず相続放棄してくれと昔から何かにつけて言う父に、いい加減シツコイなとうんざりもしていた。弟は言われたことがないというのに、私にはしばしば金貸せよと凄んでくるのも、多少傷つくぜと思っていた。

でも隠していた借金があったとなれば、なんとなく腑に落ちる。どうしようもないキャラだと決めつけずにもっと追求していれば、心配事から解放された違う父を見られたのかもなあ……と、詮無いことも考える。

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父と孫。我が家に遊びに来た時。

以下、父の姉に聞いた話の覚書。伯母は子供がいないせいか、いつまでも少女っぽい優しい人で父に全く似ていないが、姉弟仲はとても良かった。姉弟とも、ちょい自由すぎる自分の母親のことが好きだったように思う。

⚫︎父の両親は満州で暮らしていたが、終戦の年に祖父急死。身重の祖母と叔母と弟は樺太経由で引き揚げを試みる。⚫︎弟は道中で死亡。樺太で父が生まれる。⚫︎祖母は樺太でロシア脱走兵の人質になったり、脱走兵は山の中で死んだりする(?)⚫︎日本に戻るが、祖母の両親は離婚してそれぞれ所帯を持っていたので、伯母と父は別々に引き取られる。伯母に聞いても、その頃のことは辛すぎて話せないと黙ってしまう。⚫︎伯母が小学高学年、父が低学年の時に祖母に引き取られ、母子3人で暮らした時期が一番嬉しかったという。⚫︎久々に会う父は動物を殺したりする子でちょっとびっくりしたが、自分と同じく小さい弟も辛い目に遭ったのだろうと可哀想に思った。⚫︎伯母は中学卒業後は住み込みで働き始めなくてはいけなかったので、家族で暮らせたのは4年ほど。⚫︎恋多き祖母だったが、祖父が一番いい人だったとずっと言っていたという。

そして父の借金は、祖母や養父たちの作った借金の肩代わりから始まっていた(ま、本人のギャンブルも相当あった)。母からまとめて色んなことを聞き「俺の中で祖母の株が急激に下がっていく……もともとよく知らないけど」と末の弟。私は子供時分に揉めているのも見たし、長い手紙なんかを母からもらったりしていたのでその辺の出来事は認識していたが、その物語を覆うトーンについては判断をペンディングだなと思っていた。大人になった今もそう思う。

父よりは私の方が、私より我が子たちの方が、暮らしが快適になっているように見えることを思えば、祖母もその土台となるようなことは何かしらしたのかもしれない。出来事には語られない部分が絶対あって、それは外側からは絶対にわからない。人にはやった事の他に、やらなかった事というのもある。

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父と私と上の弟。

父はヤクザ風に小綺麗な時もあったが、ヨレヨレの時はひどかった。一番ヨレヨレだった時、駅に迎えに行ったことがある。そしたら向こうから来た女性たちが父を大きく避けて、酔っ払い?浮浪者?と話すのを聞いた。私はその時、ちょっと複雑な気分で、まあでも娘の身なりはちゃんとしている、とか考えたんだった。その時の気分が、基本的に私にとっての父の感触だ。

私は父の工具をもらった。
我ながら常に両親を微妙に警戒している変な子であったけど、最後はお互いで何とか丸く収めようとするもんなんだなと感じた。父の工具でこれから私も色んなものを作って、そのうち残るのは、愛着と懐かしい話ばっかりになるんだろう。

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漫画好きな父に、生前に読むよう勧めるべきだった……(かえってマズイか?)

『闇金ウシジマくん』(真鍋 昌平)

面白いけど、ダメ過ぎる人々が出てきてどんよりする。

逆説的に、やっぱりちゃんと暮らさないとなーと思わせる漫画、かも。


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by macchi73 | 2015-02-26 23:37 | 出来事・その他 | Comments(9)
2015年 02月 14日
八朔のオランジェット風
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金曜日、ランチで時々行っている喫茶店から、庭にすずなりの柑橘類のおすそ分けをもらった。
これなんだろう、八朔かな。鼻をくっつけると、スーッと爽やかな匂いがする。
皮が剥きにくいしそのまま食べるのは酸っぱいからマーマレードにすると良いと聞く。無農薬だから皮ごとOK。

夜。
ソファでうたた寝してたら、末っ子が「独自のチョコ製法を確立したから、食べてみて」と口に小さな何かのカケラを放り込んできた。冷たくて舌の上で溶けていくソレは、確かにチョコの味がする。
これどうしたの?と聞いたら、バレンタインのチョコの代わりだよという。チョコもココアもカカオが原料なんでしょ、だからココアの粉と砂糖とバターを練り合わせて冷やして固めてみたんだ、ピノコ特製チョコレートだよと得意そう。

そういえば、ずっとチョコを買ってくれと言われていたのに、忘れていた……。バレンタインだったのか。

で、ちょうど良いから、ピノコ特製オランジェット作ってみる?と、レシピを教えた。
⚫︎柑橘ピールの作り方:きらきらレモン・オレンジピールの作り方!
(上記を参考に、果汁で皮を煮る感じでやってみたら、甘酸っぱくて美味しいピールになった。
前に柚子で作ってみた時の様子。)

翌朝はやくから、カーテンも開けずに金色に染まった部屋で、八朔ピールを作る娘。
ピノコ特製チョコでコーティングされた、ほろ苦くて美味しいオランジェット風のお菓子が出来上がった。
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それから一緒に散歩に出かけて、帰りに製菓用チョコを買って帰宅。
八朔ピールの煮汁(ジュレみたいになってる!)と一緒に煮溶かして、柑橘風味の生チョコを作った。

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我が家の生チョコレシピはこちら。

今回はいつものレシピに柑橘ジュレをスプーン2杯くらい加えたら、柑橘風味の美味しい生チョコになった。


それから学校から帰って来た上の双子たちが紅茶を入れてくれて、みんなでバレンタインのお茶会をした。普通のチョコで作ったものも美味しいけど、ピノコ特製チョコのほろ苦さが、お母さんの好みにはバッチリでした。

e0134713_201733.jpg左がピノコ特製チョコで、右が普通のクーベルチュール。

子供達は右を好んでたけど、苦くてざらりとした感じの左側も、コーヒーのお伴にすごくいい感じだと思う。

ココアと砂糖とバターで、本当にチョコっぽくなるんだなあ!よく思いついたなあ!と感心。


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by macchi73 | 2015-02-14 20:29 | 庭料理 | Comments(3)
2015年 02月 08日
夜と梅(と煙)
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仕事が終わったのが深夜2時近く。外に出たら、どこからか微かにいい匂いがする。
どうせ急いで帰宅してもみんな眠ってる時間だしなーと、同僚とちょっと話しながら匂いの方へとぶらぶら歩きした。

そしたら梅が咲いてた。街灯もない場所で、月光に白い花が浮き上がってて綺麗。
この冬は暖かかったね、もう春だね(←気が早い)と、ホット缶飲んで暖まる。湯気の向こうに梅の花。早春の匂い。

それで家についたら、予想に反して居間には煌々とあかりが灯り、ドアを開けたとたん濃厚な肉の匂いに襲われる。奥から夫が厳かに登場し、今日はみんなで焼肉をしたんだ、美味しいので食べるが良いと宣言されて、夜と朝の間の時間にジューシーな肉を食べた。煙の向こうに夫。強烈な肉の香り。

胃薬飲んで、窓を開け放して眠る。(寒っ!)

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夜つながりで。

『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル 著、池田 香代子 訳)

ユダヤ人精神科医フランクルの収容所体験記。また、そこから考えた生きる意味についての本。だいぶ昔に読んだ旧約は難解な印象だったが、長女に「面白かったよ」と言われて新訳を読んでみたら、とても読みやすくなっていた。

収容所では多くの人が、「ここを生き延びさえすればこの苦しみにも意味がある」「こんな生に意味はあるのか?」などということを考えた。となれば、生き延びられない生には意味がないのか?我々の生の意味は結果によって左右されるのか?

著者のフランクルは、そうではないはず、と考えた。
人が生に対して生きることの意味を問うのではなく、生きることが人に意味を問いかけているのだと。どんな状況でも人間には少なくとも一つの自由は残されている、それは自分の態度を決める自由だと。

そこから人としてその自由をどう行使するかという話に発展していくところは倫理的な話になってしまうので、もしかしたら文化や性格によってだいぶ共感度が違うかなーと思ったけど、生の経験自体に意味があるというのは納得。それは私は、倫理抜きの虫とか花とかの生を見てもそう思う。収容所から見える風景に、自然はなんて美しいんだ!と人々が震える場面は印象的だった。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

私たちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたしたちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかで、永遠に保存されるのだ。なぜなら、過去で「ある」ことも、一種の「ある」ことであり、おそらくはもっとも確実な「ある」ことなのだ。

生きるって、自分の中にいろんな経験や感触が溜まっていくことだと思う。それと同時に、世界の方にもいろんな生の痕跡が溜まっていくんだろう。誰でも生きてるだけで世界の記憶装置としての意味は果たしているし、周囲の誰かの経験の登場人物になったりもしている。

そういう自分の中の記憶や愛着が生き延びる力になるのは、もしかしたら人だけでなく他の動物もそうかもしれないけど、倫理的なものが力になり得る(個体がしばしばいる)ってのは生物として珍しい気がする。多分、時間や死の概念があるかどうかが関係するのかもな、なんてことを考えた。
本の趣旨とは、ズレた感想かもしれない。


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by macchi73 | 2015-02-08 23:30 | 書籍・CD | Comments(2)