カテゴリ:面白かった本など( 77 )

2015年 07月 04日
Tour de France 2005 / 2015
e0134713_0351776.jpg

いかにも梅雨っぽいジメジメ続きだ。

雨の重みで、庭の徒長した草花がクテッと倒れまくっている。つられて自分もグテッと気怠い。薄暗い部屋で、子供が退屈している。出かけようよー!暇だよー!とまとわりついてくる。いまお母さん本読んでるんだよー、たまの休日なんだからちょっとほっといてくれよー、と部屋から部屋へ逃げてたら、どこまでもついてきて、

ホ ン ハ ・ イ ツ デ モ ・ ヨ ル デ モ ・ ヨ メ ル デ シ ョ ー !

と、シューシュー唸りながら言う。目が据わってる。うわー、その顔は可愛くない……けど一周して可愛いかも。

仕方ないから一緒に雨散歩に出た。
娘はまだプリプリしてる。なんだよ言う通りにしたのに、と言うと、オカーサン遅いんだもん!もう午後になっちゃったし!と乱暴な歩き。怒りん坊だなあ、と言ったらギロッと睨まれ、手を伸ばしたらパシッと振り払われた。傘さしなよーと声かけても、小雨に濡れて歩くのが好きなの、なんて鼻息荒くいうので、一緒に傘無しで歩いていたら、窓から見るよりは意外と降ってて、前髪や顎の先からポタポタ水が滴り出す。通り過ぎる人たちが心配そうにチラッとこっちを見る。これは世間的には小雨ではないかもしれない。

で、雨宿りも兼ねて体育館でバドミントンしたり、花屋さんで猫たちと遊んだり、七夕イベントで短冊書いてお菓子と笹をもらったり、図書館で本を借りたりして、夕方帰宅。8.6km, 12000歩。いつの間にか機嫌は直ってて、買物の荷物持ちなどしてくれる。今日楽しかったー!明日もバドミントンに行こうね!絶対ね!と楽しそうに話しながら、もらった笹を水盤に活けて短冊を飾った後には、いつものように「えーまだ起きてるー」とかごねることもなく、速やかにベッドに移動。いっぱい運動したせいか、すぐにぐっすり寝てしまう。

それで静かになって、やっとのんびり読書ができた。
小学4年生かー、そろそろ反抗期くる子もいるのかな、とか思いつつ。
e0134713_0354253.jpg

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

今週の読書は、ロードレース一色。

2015年ツールドフランスが今日から始まったので、すっごい久々に中継を見たら、昔よく見てたバッソとかペタッキ、ボーネンが現役でちょい嬉しくなる。うう、ボーネン……昔イケメンだったよな……と夫が絞り出すような声で言う。ん?いまもけっこう格好良いと思うけど、髪型のことか?さすがに青年ではなくなったな。

そう言えば、2005年の今頃、先輩がツール会場付近に1年間の海外研修に行ってたんで観戦に行く計画してたんだよなあ。末っ子の妊娠で旅は取り止めたんだけど、レースが終わってみたらランスが7連覇を飾って引退という、見どころ満載、ツールが派手にキラキラした年だったんだ……。それが一転、翌年2006年にはオペラシオン・プエルト(スペイン国家警察のドーピング摘発大作戦)があって、ロードレーサー界はなんかボロボロな感じになったのだった。それがもう10年前か。

そんなことを思い出しながら、当時のドーピングについてのノンフィクションを読んだ。
告白者のタイラー・ハミルトンの当時の活躍も坊ちゃん風の見た目も、映像としてよく覚えてるので、共感を覚えながら引き込まれてグイグイ読めた。良い本だった。

『シークレット・レース』(タイラー ハミルトン)

非常な努力をしてやっと参入できた業界(ロードレース界)が、実は不正(ドーピング)に手を染めないと活躍できない世界だったら、自分は、人々は、どうするか?という話。それが、当時渦中にいたハミルトンの一人称で語られる。

結果としては、良い人間なのに薬に手を染めた選手もいたし、良い人間とはいえないのに薬には手を出さなかった選手もいた。恐れ知らずで堂々と糾弾した選手も数名いたが、彼らが排除されるのを見て、段々と誰もが「沈黙の掟(オメルタ)」に従うことになる……。

こういうのって、ロードレース界だけじゃなくて、けっこう色んな業界で、程度は違えどある話だと思う。それに手を出さないとこの世界でイッパシの人間になれないし、自分だけがクリーンに振舞って落ちこぼれたからってこの世界が変わる訳ではない。もしそうだったら、ライバルも誰もが同じことをしているんだったら、同じ条件で戦うために自分がコレをするのもある意味公平なことではないか?っていう考え方が広がって行くのはよく分かる。特に、それがその業界の中でもハードに働いて働いて、自分の努力の結果でやっとトップメンバーに入れたと感じている人たちの間であれば。

著者のハミルトンもこう語る:
罪の意識を感じそうになったら、いつもの台詞を自分に言い聞かせた。「これは同じ条件下での戦いだ。僕は一番ハードに働いた。そして、勝つのは一番ハードに働いた人間だ。僕はやり遂げた。だからそれに値するのだ」と。

正直、その業界に執着があって熱心にやってる人、成功してしまった人ほど、こういう暗黙の掟からは逃れ難いんだと思う。例えもし自分が直接手を染めてなくても、業界の崩壊は自分の居場所の崩壊でもある訳だから。そうやって起きるモラルハザードって、でも長期的にはその中にいる人たちの何かを殺す。何故かというと「これは外側の何も知らない人たちが言うように完全な悪ではない、必要悪だ」っていくら自分たちで思っても、やっぱりそれは外側の世界には絶対に隠すべき事であり続けるからだ。
これが僕が学んだことだ。つまり、秘密は毒なのだ。秘密は人生の喜びを奪う。秘密はその日、その瞬間を生きる力を盗む。秘密は、愛する人々との間に壁をつくる。

それで疲れ果て、しかも外部からの薬物一掃の圧力がもうどうしようもなく強まって来た情勢の中、ハミルトンはコンタクトをとってきた捜査官に全てを告白する。捜査官の一番のターゲットは、もちろんスーパーチャンピオン、ランス・アームストロングだ。が、そのランスは桁外れに強くて酷いやつで、あらゆる勢力と手を組んで告白者たちを圧迫・恐喝、そして隠蔽工作などをするので、ハミルトンはさらにヨレヨレに疲れ果ててしまう。ランスほどの人気も権力もコネもないし。で、そのコネなどもあってか捜査中止になって、一瞬ランスが勝ったように見えたり、色んな経緯があって、最後は……。

最後まで読んで、自分の自転車生活中に溜め込んでしまった色んな品を整理しようとする時のハミルトンの気持ちが、よく分かった。ルールとして良い悪いというのとは別の次元で、力を尽くしたかそうでなかったかっていう次元の感慨っていうのは、個人レベルでは当然あるよな。
これらの品々をあらためて手にするのは嫌なことだろうと思っていた。見たくもない過去を思い出し、それらをすぐに埋めてしまいたいというような衝動に駆られると思っていた。実際、それはその通りだったーー僕の心は痛んだ。とても痛んだ。だけど、僕は思い出の品々から手を離せなかった。一つひとつ、それらを手にとっていった。そして、ひとつの真実に辿り着いた。これが、僕の人生なのだと。この異常で混乱した世界が、この驚きに満ち、生き生きとした現実こそが、僕の人生そのものだったのだと。

ちなみに、この本の出版の後しばらくして、続々と出てくる告白者と捜査結果に外堀を埋め尽くされて、ランスもついにドーピングを認めることになる。他の選手たちが悔いの感情を表明するのとは対照的に、ランスは全く感情を感じさせないたった5回のYesだけで告白したというのが印象的だった。

10年前、ツールを楽しく観ていた時、夫はウルリッヒを・私はランスを応援してたので(この二人とも、薬物使用として遡って勝利を剥奪されている)、ランスのこの先が、何かしらいい感じに転がってほしいなあと祈ったり。


* * * * * * * * * * * * * * * * *

さらにもう一冊、こちらはフィクションの、ロードレース・サスペンス小説。
正直、こっちの本は、私はそんなに面白く思わなかったけど、同じ題材のフィクションとノンフィクションを続けて読むことで、現実に生きてる人間って小説よりも複雑な存在だと、重みを持って感じる効果はあった。

『サクリファイス』(近藤 史恵)

Amazonでも200件近いレビューがついてて評価も高かったのでちょっと期待して読んで、なんとも言えない気分になった。読後感を一言で表せば、「サクリファイス過ぎ!」。

登場人物が少年漫画のキャラクターっぽい。人格=役割。こいつリーダー、こいつ補佐、こいつライバル、こいつ主人公、的な。

読んでて浮かぶ登場人物の様子が13-18歳くらいだったので、もしかしたら、中高生の部活が舞台とかだったら、こういうのも意外とアリだったかもとはちょっと思った。


* * * * * * * * * * * * * * *

他の関係者たちも、ドーピングを語る。

だいたいこんな論調が多いっぽい。
リーバイ・ライプハイマー「わたしがドーピングをした理由―自転車ロードレース現役選手の告白」
われわれが愛し、わたしが自らの職業として選択したスポーツがこうした状況にあったことは残念でならない。わたしが過去にやむを得ず下した決断を悔やんでいる。わたしはドーピングをしてでも夢を実現したいと思っていたことを認め、禁止薬物を使用したことを認める。(略)
もっと早く告白できたかもしれない。だが、そうしたからといって、わたしのキャリアに終止符が打たれる以外に何か達成されていただろうか。1人の選手が名乗り出て、自転車ロードレース界の暗黙のおきてに逆らって自らの過去を告白していたとしても、組織的な問題が是正されることはなかっただろう。(略)
検査手法の向上やこのスポーツの文化の変化のおかげで、自転車ロードレースは随分以前からはるかにクリーンなスポーツになっている。新しい世代の選手たちは、われわれが過去に下したような決断に迫られるようなことはない。この状態が続くようにするためにわたしの世代ができることは、自分たちの過去の行いに対する責任を取ることだ。

ジョナサン・ヴォーターズは、スマートなタイプ。
ジョナサン・ヴォーターズ「スポーツからドーピングを除く方法」
そして考えてみてほしい、正しい選択をし歩き去った才能あるアスリートたちのことを。彼らは自らの良心の導きに従ったことで罰され、取り残された。彼らはどうやって夢を失ったことに折り合いをつけるのだろう?それは彼らから盗まれた。(略)
私が知るほとんどのドーピングしたことのあるアスリートたちは、こう言うだろう。彼らはただ、公平な競争の場が欲しかったのだと。それはあることを教えてくれる。皆が求めるのは公平なチャンスで、それ以上ではないのだ。だから、私たちの若いアスリートたちに、ドーピングのない、公平な競争の場を与えよう。私たちの努力とリソースをスポーツを公平なものにするために投じよう。もう2度とその選択を迫られるアスリートがないように。

自転車界での未来を盗まれた側のバッソン。ドーピングを嫌って早々に自転車界を去ったポテンシャルある選手たちは、他にもきっともっといたと思う。
Christophe Bassons ~ a loner against doping
アームストロングに対し「僕は次世代の選手のために今のこの自転車界を正したいんだ。」とバッソンスは言い放った。それに対してアームストロングは「そう思うならお前が自転車界から消えろ。」と吐き捨てた。

ドーピング告白した選手の中でも、微妙な立ち居地にいるランディスのインタビューは面白かった。ランディスは、私のイメージとしてはヤケクソな選手。でも言ってることは一番理解しやすくて、自分の感覚にも近い気がする。
ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー
後悔は感じるよ。それがどうしてかはっきりさせよう…俺がした決断については、俺は特に罪悪感を持っていない。だけどその決断は俺の大切な人々ーー家族や俺の周りの人ーーをとても苦しめた。だからそれを後悔している。でもあまりそれを突き詰めていきたくはない。そうした決断を一度もしていなかったら、俺はそもそもツール・ド・フランスに出ることはなかっただろう。俺のキャリアや俺が加わることになったチームでは、もし俺がそれ(ドーピング)をしなかったら、俺はツールに行けなかっただろう。そこから俺が得た良いことも悪いことも、俺は経験できなかっただろう。だから俺にとっては、別にいいんだ。俺は何とかできる。でも他の人にも影響したから、だから俺は後悔している。
(略)
ーーだがきみはある人々に対しては不正をしていたんだ。2006年のツールにはドーピングしていなかった選手もいた。きみはそうした人々にどう対峙する?その事実にどう対処するんだ?

事実はこういうことだ。誰かは必ず彼らに不正をする、俺は不正をされる側にはなりたくない。善い筋書きはどこにもない。物事がそのうち正されることもない。俺はUCIに訴えに行く気もない―彼らは買収され、金を払われているんだ。

他の選手の告白が、悪いと分かりつつ避けられなかった、苦しかった……ってな感じがあるのに、その点はサラッと超えちゃってる感じもあるランス。ある意味ちょっと規格外っていうか、気の毒な(っていうと変か)気もする。一部だけ、スポッと感受性が低いってこと、割とあると思うんだよな……。
「もうパパを擁護しなくていい」元自転車王者の告白禁止薬物の使用認める
「勝つことが重要だった。今も勝つことは好き。意味はちょっと違うけれど」「(薬を使って)悪いと思わなかった?」と3度聞かれても答えは「ノー(思わなかった)」。「欺いていると思わなかった?」と聞かれ、「『だます』という言葉の定義がライバルや敵が持たないような利点を(自分が)得ることだとしたら、私はそうは思っていなかった」と語った。(略)
元チームメートに対して薬物の使用を強いたということについては否定したが、「いじめていたの?」と言い方を変えると肯定。「僕には(思い描いた)物語があって、それをコントロールしたかった。それに従わない人は嫌だった」。

[PR]

by macchi73 | 2015-07-04 23:55 | 面白かった本など | Comments(3)
2015年 06月 24日
ただモグラくんのズボンのためでなく
e0134713_863232.jpg
朝、庭をぐるっと歩いたら、見慣れない場所にエキナセアが咲いていた。
去年の晩秋に小さな苗を植えたところ、すぐ冬になって地上部が枯れちゃったので、「あー、ダメだったかな?」と諦めていたのに、土の中でちゃんと株を大きくしていたんだな。

免疫力を高めて肺炎予防などになるハーブティーを作れるっていう記事を読んで、あまり花色など気にしないで適当に3株植えたものだったけど、こんな花色だったとは。緑色の花が混じっていて面白い。
e0134713_864789.jpg
e0134713_865394.jpg

そういえば去年新しく植えたのって、このエキナセアくらいかも。庭ブログにあるまじき庭放置。

庭の園芸記録も、もう気づけば9年目くらいで目新しいことも随分減った。
だんだんと「この種類の植物ならこういう生態」みたいなノウハウも身についてきたせいか、草花の栽培記録をメモすることもあまり無くなって来たことに気づく。庭のログとして始めたブログだったけど、なんかもう植栽については変化もなくて、途中で育児ログ混じってきちゃってるしなー。しかもその子供も、そろそろ手を離れつつある……うーん、どうすっかなー。

……とかなんとか思いつつ、庭に宿根アマの種を蒔いた。
竜舌蘭の織物してたらなんとなく楽しくなってしまい、「そういえば子どもの時に見たアニメで、モグラが青い花の繊維をとってズボンを作ってたなー」なんて思い出し。あの植物は何だったろうと考えるに、たぶん亜麻(リネン)っぽいので、試してみようという訳。

e0134713_874060.jpg種袋には、『茎を利用して繊維をとるには、青い花が咲き始めたときに刈り取ると、すらりと伸びた美しい繊維がとれます。たねは果実が熟して黄色くなった頃、こぼれる前に茎ごと刈りとります。』とある。

種の蒔き時は春(4-6月)と秋(9-10月)で花期は夏(6-8月)だから、収穫は来夏になっちゃうかな。


なんか早起きして活動するのって、久しぶりだ。
ずっと朝起きられなくて出勤直前までゴロゴロする生活になってて、それが嫌でまた落ち込んだりしてたんだよな。それがちょっと変化の兆し。

残業抑えて3ヶ月目の効果がやっと出てきたか?それとも夜の散歩を再開した効果か?それとも先週ダンサーの人と飲む機会があり、嬉しい型をすれば嬉しくなるし悲しい型をすれば悲しくなるという話を聞き、嬉しい型をするように努め始めた効果か?今朝は、死んだ父がなぜかマイヨジョーヌのジャージを着てツールドフランス的な何かのレースに出ており、握手する夢を見た。自転車なんて乗らない父(たぶん運痴)だったが、後ろ姿を見送ったら、ヒョロい体型には意外と自転車選手姿が似合っていて、起きてから少し可笑しい気分だった。

いずれにせよ、植物に季節があるように、人にもなんかのリズムがあるというのは実感。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

子どもなら誰でも憧れるもぐらくんの青いズボン。


『もぐらとずぼん』(エドアルド・ペチシカ)


子どもの頃にテレビでやってた「もぐらくん」。絵本もあって馴染みのキャラクターだったが、チェコのアニメだったんだ。

大人になってからは近所の映画館などでも「クルテク」とかいって上映されてたり、ちょいオシャレな雑貨になってたりするのを見かける。



そして、マイヨジョーヌというのは、この黄色いジャージ。
ツールドフランスで総合優勝すると着ることができる。

そんなこととも知らずに単なる格好いい運動着として購入し、マイヨジョーヌを着てママチャリを乗り回していた若かりし頃の自分が恥ずかしい……。


『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』(ランス・アームストロング)


昔この本を読んで、自転車界の嫌われ者のアームストロングを好きになった。

と同時に、こりゃー嫌われるよなというアクの強さも感じられたし、アメリカ的なやり方を嫌うヨーロッパ自転車界のあり方も面白いと思った。

その後、ドーピングが発覚して「そうか……」とは思ったけど、まあ本を読んだ感じでも、勝ちへの執念がすごいというか、ドーピングでもなんでもアリっぽい雰囲気はあったもんなーとも思ったり。

スポーツ的にはアレなんだろうけど、とにかくレースにも病気にも何にでも絶対絶対負けたくない人の自伝という意味では、今読んでもたぶんある意味感動的だし、面白いのではと思う。


[PR]

by macchi73 | 2015-06-24 07:00 | 面白かった本など | Comments(3)
2015年 06月 20日
龍舌蘭のコースター
e0134713_251182.jpg

土曜の朝、長男は大学に・長女はバイトに出かけて行った。
ほかの家族は寝ていて手持ち無沙汰だったので、私は機織りの続きをする。

前回は経糸(たていと)も緯糸(よこいと)も竜舌蘭を使ったのが原因でちょっとゴワゴワした感じになっちゃったと思うんだよな。なので、今回は経糸は毛糸を使って、緯糸だけを竜舌蘭にしてみた。

そしたら、適度に柔い、良い感じの布ができた。嬉しい。
先日の布と縫い合わせ、コースターにしてみる。
端っこがクルンとしてしまうのでしばらく割箸やグラスで抑えて形を整えたら、そのうち良い感じに落ち着いた。
e0134713_251355.jpg

お昼。
夫と末っ子と一緒に街に出かける。
風が強くて天気が良くて、爽やかな休日だ。歩くと風で服がバホバホいう。

大学帰りの息子と待ち合わせて、少年王者舘とパスカルズのダンスライブを観た。すごく楽しんで、夜みたいな気分でぼーっとして劇場を出たら、まだまだ明るかったので「変な感じだねえ」と末っ子と笑う。

息子はそのまま週末一泊旅行する予定だというのでお茶して別れ、私たちはその足で長女のバイト先に行ってみる。

長女の大学界隈の小綺麗な街並みに「レイクはこんな都会の住人になってしまったのか……」と、何かうなだれる末っ子。可愛い門構えのお店を見つけてレジに並んだら、長女が少し頰をピンクにして「うわー」と言って、それから笑いをこらえながら「こちらとこちらとこちらも美味しくておススメです、どうぞ」というので、つい大きなホールケーキやおすすめのアレコレなんかも買い込んでしまう。
「レイク、頑張ってたね……嬉しいような寂しいような気持ちがする……」なんて、末っ子が呟くのが可笑しい。

風に吹かれてしばらく歩いたら後楽園遊園地が見えた。親子3人で遊んで帰る。
キラキラのイルミネーションやら心浮き立つ音楽に、顔を輝かせて走り回る末っ子。子供はこういうの好きだよなあ。

そんな末っ子の様子に二重写しみたいに、上の双子たちが同じくらいの年頃に家族4人で遊びに来た時の様子を思い出す。ついこの間のことのように。そしてそれが10年くらい前のことだと気づいて、ちょっと驚く。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

糸を紡ぐつながりで。



竜舌蘭を叩いて解して作った繊維の塊から、繊維の端を引っ張り出して指で依りをかけて糸を紡いでいたら、だんだんと指の先が荒れてきた。ちょっと痛い。

アンデルセンの童話『野の白鳥』を思い出して、姫はこうやってイラクサの糸を紡いで11人分の王子のマントを織ったのか……それは大変な仕事だったね……と、妹姫の苦労を偲んでしみじみ。

自分でもやってみて、初めて人の苦労が実感できることってある(ってほどのことでもないが)。


[PR]

by macchi73 | 2015-06-20 23:55 | 面白かった本など | Comments(4)
2015年 05月 10日
『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(万城目学)
e0134713_205046100.jpg

先日仕込んだバラジュースの花びらを漉していたら、末っ子が、母の日のプレゼントだと言って、万城目学の『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』の読書感想文をくれた。さらに、「本日わたくしは執事でございます」と言いながら、TVで見たという手作りお菓子を出してくれた。「クラッカーにトッピングを載せてハチミツをかけて冷凍庫で寝かせると、ハチミツが具をサンドするように固まって良い感じなのでございます」と口上を述べる。

e0134713_2051037.jpg

トッピングはバナナ(分かる)、梅干し(ちょっと驚いたが美味しかった)、そして鰹節(!)。
甘い物の後ってしょっぱいお菓子が食べたくなるよねーと、いつも私が言っていることへの配慮っぽい。斬新だ。

それではこっちのジュースもどうぞ……と、子供たちにバラジュースを出したら、末っ子が目をカッ!と見開いて「うわっ、すごい美味しい!」と素に戻ったのが、なんか凄くて笑った。
せっかく漉しとった花びらも食べようとするので、そっちは美味しくないよと止めたら、「ううん、美味しいよ!」と鼻を膨らませて言う。試してみたら、本当に美味しかった。多分、ローズドレッシュとマダムイザークの花びらって薄くて柔らかいからかと思う。これは捨てるのは勿体ないと思い、パウンドケーキに焼いた。

「執事として、そして娘として……」と、かしこまって子供がジュースとケーキをサーブしてくれる。良い母の日。
e0134713_20513878.jpg

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

中高生向けっぽいけど、小学生にも読みやすく、大人が読んでも面白い一冊。

『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(万城目学)


実は前の週に、母の日に欲しいものある?と聞かれて、「本棚のこの枠から本を一冊選んで、お得意のビブリオバトルを披露してほしい」とリクエストしたのだった。

対象年齢が末っ子より上だけど、小学生ならもう読んでも大丈夫だと思われる本を並べてある棚だ。常々、是非トライして読んで欲しいなーと思っているのだが、あまりチビッコの喰い付きはよろしくなく、喰い付くのは漫画とか動画とかばっかりなんだよな。まあ、文字が細かかったり漢字も多いからパッと見がとっつきにくいのかもしれない。読んだら面白いと思うんだけどなあ。

で、「うーん、そうだなあ」と末っ子が選んだのは万城目学の『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』だった。狙い通り、一旦読み始めたら笑いながら読んでいる。ごはんだよーと呼んでも、「いまこれ読んでる〜」とか熱中していて、なんとなく嬉しい。しめしめ。

そうして今日、感想文をもらってみたら、良い感想も書かれてはいたが、一番強調されていたのは「『う⚪︎こ柱』の話がおかしいのです」という部分だった。少し大人の本を読んでも、やはり目の付けどころは小学生。


[PR]

by macchi73 | 2015-05-10 23:55 | 面白かった本など | Comments(0)
2015年 03月 30日
子供と庭の物語
e0134713_23154862.jpg

泊まりで子供たちがいっぱいいて、家が賑やか。

朝から庭でパタパタ足音がする。見れば裸足で遊ぶ子供たち。
以前一緒に種まきした家庭菜園を収穫してサラダを作ってくれたり、庭の花を摘んでテーブルを飾ってくれたりする。

e0134713_23161795.jpg

macchi〜!macchi〜!と呼ばれて出れば、木の上から・塀の上から笑い声がする。
樹上を見上げたら、ここがピノコのお気に入りの場所なんだー、ちょうど本棚になる枝もあるから、こ〜んなに分厚い本一冊ここで読んじゃったんだよーとか自慢している娘を発見。

e0134713_23163729.jpg

かと思えば、チビ友人の今の家は、窓の外でリスを見かけたりもする素敵な場所らしい。
みんなで遊びに来なさいよ、とチビ友人。行く行く〜!と娘。絶対だよ、じゃあまた明日ね、それから夏休みもね、と勝手に遊ぶ約束をしている。

うーん……家、海を越えてすごい遠いんだけど。わかっているのかなあ。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

子供たちの友情の前には、時間や空間の隔たりもなんのその。

『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス)

子供用にと思った本だったのに、自分が夢中になって読んでしまった。分野としては児童文学だけど、幻想小説、タイムトラベルSFって感触もあり。すごく面白い。

真夜中の13時を知らせる時計の音とともに少年の前に出現する、謎の庭園。その庭園で、少年はハティという少女と友達になり、毎晩の庭園探索を続けるが……という話。
 それ以降、トムは二度とこの小さなハティを見かけたことがなかった。そのつぎに庭園に出ていったとき、トムが見たのはもうすこし大きくなった、いつものハティだった。そのときも、それからあとになってからも、トムはハティに彼女の両親のことをたずねてからかうようなことはぜったいにしなかった。ときにハティが、もったいぶったようすをして、じぶんはとらわれの身の王女だという、あのいつかの話をくりかえすことがあっても、トムはぜったいにまぜっかえしたりはしなかった。

物語の筋としてはもしかしたら意外性は少ないのかもしれないけど、名作になるためには、ストーリーだけじゃなくて文章自体もとても大事なんだと感じた。とにかく優雅な庭園の描写が素晴らしい。こんな庭、自分だって絶対毎晩探索したくなる。


[PR]

by macchi73 | 2015-03-30 23:23 | 面白かった本など | Comments(0)
2015年 03月 16日
挿し木の誘惑(『自己流園芸ベランダ派』)
e0134713_0182371.jpg

末っ子が生花教室から持ち帰った花の名前を聞いたら、ガマズミだという。

ガマズミって、山に生えてるアレか!?
夏には白い花を咲かせ、秋には赤い実をつけるというアレか!?
その果実はなかなかの美味で果実酒にもなるという、アレか!?

で、末っ子から一本、一番エネルギーが充実した感じの枝をもらって庭に挿木をした。

ふふ。今年の秋の楽しみが一つできた。どうか根付きますよう、ナムナム。
e0134713_0183520.jpg

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

実は末っ子の花材から挿木するのは、これが初めてではない。
……というより、これはと思う花材は、たいてい挿木を試していると言っても過言ではない。

庭に来た小学生が嬉しそうに「あーネコヤナギだー」と言ってるそれ、それも生えてるんじゃなくて挿木してるだけなんだよね。やはり末っ子が花材として持ち帰ったものを、捨てるのが勿体なくて地面に挿してしまったのであった。
e0134713_0191356.jpg

でも我ながらおかしいと思うのは、数年前にもネコヤナギを挿木して、そして巨大化させてしまって、手に負えなくなって抜いたという経験もあるのだった……。なのにまた、このまま捨てるのは忍びないと言って挿木してしまう。このガーデナーの心性や如何に。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

そんなことを思っていたら、同じ症状を呈している人をみつけた。

『自己流園芸ベランダ派』 (いとうせいこう)

ベランダ園芸に勤しむ人間を「ベランダー」と呼び、その植えては枯らす不毛でありながら豊かな園芸生活の日々を綴った一冊。

その中で、著者が花束によく入っている「細くて緑色の茎がクネクネしてるだけのやつ」(←トクサか富貴竹のことか?)が挿木で根付き易いという事実に気づいた時の喜びについて書かれた一節を発見した。そうか……ケチな根性から挿木をしていたのか、私も。
もらった花束から鉢を作ろうとするケチな根性は、全ベランダー共通のものだろう。わらしべ長者的というか、無から有を生みたがるというか、カスピ海ヨーグルトの生産にも似たお得な感じが我々を刺激する。

正直なところ、同著者の園芸エッセイとしては、前に出版された『ボタニカル・ライフ』の方が、構成がちゃんと考えられているというか、いちいちオチも用意されていて読んでて面白い。『自己流園芸ベランダ派』は、ただもうそのまま、"オレの園芸覚書"くらいの内容で、よく言えば自然、悪く言えば漫然とした印象だった。ただ、同じようないい加減な園芸仲間だと、そういうのあるある、的な面白さはそこここにある。

私が、そうそう、そうなんだよなあ!と思った一節は下記。草木に対して、だんだん「こうすれば良いかも」ってな勘は磨かれてる気はするんだけど、それが本当かどうかは、実際のところ、分からないんだよな。
……(略)……
にもかかわらず、エンジェルズ・トランペットは咲いた。咲いたどころの話ではなく、むしろ花期が長くなった。

簡単にするとこうなる。
(1)剪定したら咲いた。
(2)剪定せずに咲いた。
さて、以上二つの事実から俺はどんな解答を導けばいいのだろうか。

……(略)……
また「基本的に剪定は欠かせないが、剪定せずとも咲く場合がある」という人もいるだろうし、「剪定はいらない。だが、剪定しても咲く」という人があるかもしれない。もう何が何だかわからない意見だが、実は園芸書がそんな感じだ。
植物というものは機械と違って、”こうすれば絶対にああなる”とは決まっていない。

……(略)……
だが、我々ベランダーはなるべくその事実を認めずにいたがる。自分の知識と判断と労働とで花を咲かせたと思いたいからだ。
エンジェルズ・トランペットが咲いた要因を、俺は結局は知り得ない。

ちなみに、この本を読んだ後、娘の花材の中にトクサを発見して、つい挿木してしまった。
特別に好きでもないし、庭に欲しい草木でもないんだけど。
[PR]

by macchi73 | 2015-03-16 00:45 | 面白かった本など | Comments(5)
2015年 03月 03日
ひなまつり(に関係ない日記)
e0134713_0521851.jpg

ひな祭りだけど、ちょっと前から玄関に挿しておいた桃の枝の花は開かなかった。あらま。

その代わり、庭の梅が満開だ。
2008年に植えて7年目、こんなにたくさんの花が綺麗に咲いたのは初めてのことだ。
すこし埃っぽい庭で甘い匂いを嗅いでると、このまんま、一人でどっか遊びに行きたいなーと思う。

年度末の押し込みで、いつも数字とか進捗とかそんなことばっかり考えている。
先月父が死に、今月は子供たちが卒業して大学生になろうとし、毎日家族たちは色んな面白いことをお喋りしてるのに、そういうことは遠くで起きてることみたいに感じられたりする。私って、泣きもしなければ笑いもしない。なんかつまらない人間だよなー。

ずっと前からそうだったか?と考えたら、そうでもなかったと思う。感じはハッキリ思い出せないけど、出来事としては覚えている。

時期的に、これってプレ更年期とか鬱とか、そういう何かでは……と本気で怪しんで、生活にメリハリつけるなど試し中。可能な限り仕事は早めに終わらせて、末っ子に付き合ってちょっと駅前でバドミントンして帰ったりする。時に「夕方だからピノコを送って来たー」とか上の子たちまでやってきて、一緒にラリーしたりしてみんな凄く笑ってるのに、自分だけ、なんとなく平坦。

これは中年みんなが通る道なのか?それとも個別の問題なのか?自分のことだと判断しにくいもんだ。

e0134713_0522179.jpgいっぽう、君はいつもたのしそうだ。感服する。

それで今日も子供たちと運動して帰って、それからあまり熱心でもないひな祭りをしたのに、眠る時、末っ子がいつものように私の首に腕を回して、すっごい楽しいひな祭りだったよ……と囁いた。えっ?そうか?それほどの何かがあったか?と自分としては腑に落ちないが、つくづく思うのは、子供の声って甘い。いまはお母さんは感受性が鈍ってて分からないが、本気でそう感じてくれてることを強く祈る。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

脳内リピート曲はCream of Gold
数年前までは、疲れた時とかピンチの時とかには夫の顔が思い浮かんだものなのに、今では力一杯思い出そうとしてもまったく思い浮かばないのがコワイ。
(これも中年みんな通る道か? 個別の問題か? PNRなのか? 判断できず)

Time is a one way track and I am not coming back,
I dream in beige why'd you leave me so far now,
Time tired you're tainted through,
wind, songs and substitutes,
I dream in beige why'd you leave me so far now.



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

お、ひなまつりの日に合わせて、『ひなまつり』の新刊でてる。
読んで笑った。(←笑ってるじゃん!)


『ひなまつり 8』(大武 政夫)


いま、全8巻、安定走行中。

これは揃えて良い漫画。子供に読ませてもOKだ。


[PR]

by macchi73 | 2015-03-03 23:55 | 面白かった本など | Comments(14)
2015年 02月 08日
夜と梅(と煙)
e0134713_2148851.jpg

仕事が終わったのが深夜2時近く。外に出たら、どこからか微かにいい匂いがする。
どうせ急いで帰宅してもみんな眠ってる時間だしなーと、同僚とちょっと話しながら匂いの方へとぶらぶら歩きした。

そしたら梅が咲いてた。街灯もない場所で、月光に白い花が浮き上がってて綺麗。
この冬は暖かかったね、もう春だね(←気が早い)と、ホット缶飲んで暖まる。湯気の向こうに梅の花。早春の匂い。

それで家についたら、予想に反して居間には煌々とあかりが灯り、ドアを開けたとたん濃厚な肉の匂いに襲われる。奥から夫が厳かに登場し、今日はみんなで焼肉をしたんだ、美味しいので食べるが良いと宣言されて、夜と朝の間の時間にジューシーな肉を食べた。煙の向こうに夫。強烈な肉の香り。

胃薬飲んで、窓を開け放して眠る。(寒っ!)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

夜つながりで。

『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル 著、池田 香代子 訳)

ユダヤ人精神科医フランクルの収容所体験記。また、そこから考えた生きる意味についての本。だいぶ昔に読んだ旧約は難解な印象だったが、長女に「面白かったよ」と言われて新訳を読んでみたら、とても読みやすくなっていた。

収容所では多くの人が、「ここを生き延びさえすればこの苦しみにも意味がある」「こんな生に意味はあるのか?」などということを考えた。となれば、生き延びられない生には意味がないのか?我々の生の意味は結果によって左右されるのか?

著者のフランクルは、そうではないはず、と考えた。
人が生に対して生きることの意味を問うのではなく、生きることが人に意味を問いかけているのだと。どんな状況でも人間には少なくとも一つの自由は残されている、それは自分の態度を決める自由だと。

そこから人としてその自由をどう行使するかという話に発展していくところは倫理的な話になってしまうので、もしかしたら文化や性格によってだいぶ共感度が違うかなーと思ったけど、生の経験自体に意味があるというのは納得。それは私は、倫理抜きの虫とか花とかの生を見てもそう思う。収容所から見える風景に、自然はなんて美しいんだ!と人々が震える場面は印象的だった。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

私たちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたしたちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかで、永遠に保存されるのだ。なぜなら、過去で「ある」ことも、一種の「ある」ことであり、おそらくはもっとも確実な「ある」ことなのだ。

生きるって、自分の中にいろんな経験や感触が溜まっていくことだと思う。それと同時に、世界の方にもいろんな生の痕跡が溜まっていくんだろう。誰でも生きてるだけで世界の記憶装置としての意味は果たしているし、周囲の誰かの経験の登場人物になったりもしている。

そういう自分の中の記憶や愛着が生き延びる力になるのは、もしかしたら人だけでなく他の動物もそうかもしれないけど、倫理的なものが力になり得る(個体がしばしばいる)ってのは生物として珍しい気がする。多分、時間や死の概念があるかどうかが関係するのかもな、なんてことを考えた。
本の趣旨とは、ズレた感想かもしれない。


[PR]

by macchi73 | 2015-02-08 23:30 | 面白かった本など | Comments(2)
2014年 12月 02日
あらゆるものが変化する
e0134713_0371792.jpg

日付が変わる頃まで仕事して土日もNO休日で2週目、しかもトラブルの報告続きで焦る。常に気重。
そんな状況なのに新設部門立ち上げ兼任になったとのお知らせを受けた時、あー来年も……と一瞬鼻の奥がツンとして焦った。ニヤッとしてごまかすが、職場で泣きたくなるとは、すごい心が弱ってる人ではないか。やばい。

私が職場で気に入っているのは環境。
散策に来る外来者も多い、ちょっと珍しいくらい綺麗なとこだと思うんだ。今の時期だと紅葉が綺麗だ。

学校が休みの日、紅葉見物をかねて末っ子が初めて一人で職場に遊びにやってきた。
公共交通機関に一人で乗るのは初めてだから緊張したよーという。
いつもお世話になってるセキュリティの方とかに、お子さんですか!と話しかけられて、紹介しつつも何か気恥ずかしい。

広場で遊び飽きたら書店やカフェとかで過ごしてて良いよと伝えてゲストカードを渡し、その日は超特急で仕事を終わらせる。来客があって約束の時間より少し遅くなってしまい、慌てて構内のめぼしい場所を走って探したら、夜の広場に橙色の灯が見えて、ガラス張りのラウンジで娘がお菓子を食べながら電子書籍に熱中しているのが見えた。ちょこんと座ったその姿に笑いがこみ上げて来て、しばらく外から眺めてる。

そう言えば、上の子たちも小学生の頃はたまに職場にやってきて一緒に食事したりしたもんだった。そもそもは双子たちが小学に上がる時、夏休み保育のことなども考えて、バカンスのあるとこに転職したんだよな……。

仕事や生活で改善したいところは山積みだけど、その時その時の解決策で色々と変えて来て、けっこう要望が叶っているところも多いのだから、まだまだ頑張ろうと思ったり。もう少ししたらまた家族の形態なども大きく変わって、そしたらまた次の新しい形があるんだろう。

新設部門も、他メンバーはやる気と理想に満ちた若々しい顔ぶれなんだから、ヨレヨレの私は後方実務に徹してサポートしようと決める。くたびれモードで汚染せずに楽しい仕事にしないとなー。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

トンプソン博士曰く、あらゆるものが変化するーーとくにガーデニングでは。

『自然から学ぶトンプソン博士の英国流ガーデニング』(ケン・トンプソン)

ガーデニングに関する話というよりは、ガーデンで起こっている自然の作用の話。いつも見ている現象の仕組みが説明されていて、「あーなるほど」って腑に落ちる。

● トンプソン博士の教えによると、紅葉ではカロチノイドとアントシアニンが重要な働きをしている。

カロチノイドはあらゆる葉に存在し、秋になって葉緑素の緑が消えると姿を現してくる美しい黄色の素。
アントシアニンは紅〜紫の紅系バリエーションの素で、葉内に糖濃度の高まる秋にだけ大量に生産される。褐色の葉にはタンニンが多い。

今の時期、そういうことを思って葉っぱの変化を見るとなんだか面白い。

そして、何気に私の長年の混乱に答えてくれた一節は次の通り。『軽井沢誘拐案内』の頃から、リトマス紙と反対だなーと、ずっと心にひっかかっていたんだよ〜!
疑い深い性格の人は、そろそろアジサイのことが気になり初めていることでしょう。誰でも知っているように、アジサイの花は土壌のpHに応じて色が変わります。ただしアジサイの花は酸性土壌では青、アルカリ土壌ではピンクになり、先に説明したpHに対する反応とは正反対です。これは、ここで働いているアントシアニンが基本的にはピンク色なのですが、アルミニウムと結合すると青い色素を形成するためです。したがって青い紫陽花にするにはアルミニウムが必要ですが、アルミニウム化合物は酸性土壌でのみ可溶性になります。

● 博士によれば、施肥なんてものは畑以外では必要ない。

よし、博士!来年は全く施肥しないぜ!!と決心した。(←楽なことを決めるのだけ早い)
ちなみに博士は、天然の緑肥としてコンフリーを推しているが、途中までコーンフラワー(矢車菊)と勘違いして「おおっ!うちの庭にもいっぱい生えてんじゃん!」とか思って読んでいた……。
植物が人工肥料なしで何百万年もの間生き延びてきたことを考えると、普通の庭に実際どれくらいの量の肥料が必要なのかという疑問はとても興味深いものです。一言で答えるなら、庭に肥料はまったく必要ないということになるでしょう。
(中略。チッソやリンの話など)
必要ならば、肥料の使用を控えたほうがよい理由をもう1つ挙げましょう。成長が非常に速いとあなたがすでに感じている植物は、今後さらに成長が速まってしまうでしょう。一方、あなたがもう少し速く成長して欲しいと思っている植物には、肥料はほとんど効かないでしょう。

● 博士によれば、芝生だって簡単。

定期的に刈り込むってところを除けば、うちの芝生の方式もまったく一緒。ふふん。
芝の種子を売る業者をはじめ、あまり認める人は少ないでしょうが、管理さえきちんとしていればどんなものでも芝生と呼んで構いません。
(中略)
理由は簡単。たび重なる刈り込みに耐えながら元気に育つことのできる植物はとても少なく、そのほとんどがどこにでもあるイネ科植物だからです。


[PR]

by macchi73 | 2014-12-02 23:55 | 面白かった本など | Comments(3)
2014年 09月 12日
誕生日の子どもたち
e0134713_2245567.jpg

夏も終わって、なんだか少し寂しい。

夏の終わりの常で、庭が薮だ。
というか、この状態が毎年恒例であることを思えば、うちに関しては、寧ろもう「薮が庭だ」と言う方が正しいのかもしれない。

薮には当然、獣が住んでいる。こんにちは。

e0134713_2245741.jpg

そして私の子供たちはみんな一つずつ年をとる。おめでとう。

e0134713_225154.jpg

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *

誕生日つながりで。
バディという少年が主人公の短編群は、『草の竪琴』の原型といった感じで、懐かしさと喪失感にむせる思い。

『誕生日の子どもたち』(カポーティ)

いつもは好きじゃない村上春樹の翻訳を、初めて良いかもと思った。
今まで読んだカポーティの中で一番良かった。
この翻訳の中では、誰も「好むと好まざるとに関わらず」とか、あんまり言わない(ちょっとは言ってた)。スッキリ読めた。

六つの短編全てに漂う強い郷愁は、過去に引きずられるカポーティの属性なんだなーって思った。

郷愁って何かと言えば、無くなっていくことを惜しむことかと思う。
無くなるっていうのが何かと言えば、誰も知らなくなることかと思う。
おばあさんが死んで、おじいさんが死んで、おとうさんもおかあさんも死んで、友達も自分もいつかは死んで、この世には、もう誰も知らなくなった、でも確かにあった出来事や場所ってのが、綿々と存在しては消えて行く。この世には、その人しか知らなくて、その人と一緒に消えて行く秘密がいっぱいだと思う。

誕生日のキャンドルに照らされた子どもたちの産毛の光る丸いほっぺとか、私にとってはとても強烈で、多分ずっと忘れないだろうと思うけど(上の子たちの小さい時もたまに鮮やかに思い出す)、それもいつかは誰も知らなくなるんだなあ。ピノコお婆さんの子供時代とか想像できないよーとか、私の知らない未来の若者に言われたりもするんだなあ。

そういう世界の有り様を思った時、肯定して笑える人と、胸痛む人とがいると思う。カポーティは後者。私もなんだかちょい、後者っぽい。


[PR]

by macchi73 | 2014-09-12 23:55 | 面白かった本など | Comments(7)