カテゴリ:面白かった本など( 74 )

2015年 03月 30日
子供と庭の物語
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泊まりで子供たちがいっぱいいて、家が賑やか。

朝から庭でパタパタ足音がする。見れば裸足で遊ぶ子供たち。
以前一緒に種まきした家庭菜園を収穫してサラダを作ってくれたり、庭の花を摘んでテーブルを飾ってくれたりする。

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macchi〜!macchi〜!と呼ばれて出れば、木の上から・塀の上から笑い声がする。
樹上を見上げたら、ここがピノコのお気に入りの場所なんだー、ちょうど本棚になる枝もあるから、こ〜んなに分厚い本一冊ここで読んじゃったんだよーとか自慢している娘を発見。

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かと思えば、チビ友人の今の家は、窓の外でリスを見かけたりもする素敵な場所らしい。
みんなで遊びに来なさいよ、とチビ友人。行く行く〜!と娘。絶対だよ、じゃあまた明日ね、それから夏休みもね、と勝手に遊ぶ約束をしている。

うーん……家、海を越えてすごい遠いんだけど。わかっているのかなあ。

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子供たちの友情の前には、時間や空間の隔たりもなんのその。

『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス)

子供用にと思った本だったのに、自分が夢中になって読んでしまった。分野としては児童文学だけど、幻想小説、タイムトラベルSFって感触もあり。すごく面白い。

真夜中の13時を知らせる時計の音とともに少年の前に出現する、謎の庭園。その庭園で、少年はハティという少女と友達になり、毎晩の庭園探索を続けるが……という話。
 それ以降、トムは二度とこの小さなハティを見かけたことがなかった。そのつぎに庭園に出ていったとき、トムが見たのはもうすこし大きくなった、いつものハティだった。そのときも、それからあとになってからも、トムはハティに彼女の両親のことをたずねてからかうようなことはぜったいにしなかった。ときにハティが、もったいぶったようすをして、じぶんはとらわれの身の王女だという、あのいつかの話をくりかえすことがあっても、トムはぜったいにまぜっかえしたりはしなかった。

物語の筋としてはもしかしたら意外性は少ないのかもしれないけど、名作になるためには、ストーリーだけじゃなくて文章自体もとても大事なんだと感じた。とにかく優雅な庭園の描写が素晴らしい。こんな庭、自分だって絶対毎晩探索したくなる。


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by macchi73 | 2015-03-30 23:23 | 書籍など | Comments(0)
2015年 03月 16日
挿し木の誘惑(『自己流園芸ベランダ派』)
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末っ子が生花教室から持ち帰った花の名前を聞いたら、ガマズミだという。

ガマズミって、山に生えてるアレか!?
夏には白い花を咲かせ、秋には赤い実をつけるというアレか!?
その果実はなかなかの美味で果実酒にもなるという、アレか!?

で、末っ子から一本、一番エネルギーが充実した感じの枝をもらって庭に挿木をした。

ふふ。今年の秋の楽しみが一つできた。どうか根付きますよう、ナムナム。
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実は末っ子の花材から挿木するのは、これが初めてではない。
……というより、これはと思う花材は、たいてい挿木を試していると言っても過言ではない。

庭に来た小学生が嬉しそうに「あーネコヤナギだー」と言ってるそれ、それも生えてるんじゃなくて挿木してるだけなんだよね。やはり末っ子が花材として持ち帰ったものを、捨てるのが勿体なくて地面に挿してしまったのであった。
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でも我ながらおかしいと思うのは、数年前にもネコヤナギを挿木して、そして巨大化させてしまって、手に負えなくなって抜いたという経験もあるのだった……。なのにまた、このまま捨てるのは忍びないと言って挿木してしまう。このガーデナーの心性や如何に。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

そんなことを思っていたら、同じ症状を呈している人をみつけた。

『自己流園芸ベランダ派』 (いとうせいこう)

ベランダ園芸に勤しむ人間を「ベランダー」と呼び、その植えては枯らす不毛でありながら豊かな園芸生活の日々を綴った一冊。

その中で、著者が花束によく入っている「細くて緑色の茎がクネクネしてるだけのやつ」(←トクサか富貴竹のことか?)が挿木で根付き易いという事実に気づいた時の喜びについて書かれた一節を発見した。そうか……ケチな根性から挿木をしていたのか、私も。
もらった花束から鉢を作ろうとするケチな根性は、全ベランダー共通のものだろう。わらしべ長者的というか、無から有を生みたがるというか、カスピ海ヨーグルトの生産にも似たお得な感じが我々を刺激する。

正直なところ、同著者の園芸エッセイとしては、前に出版された『ボタニカル・ライフ』の方が、構成がちゃんと考えられているというか、いちいちオチも用意されていて読んでて面白い。『自己流園芸ベランダ派』は、ただもうそのまま、"オレの園芸覚書"くらいの内容で、よく言えば自然、悪く言えば漫然とした印象だった。ただ、同じようないい加減な園芸仲間だと、そういうのあるある、的な面白さはそこここにある。

私が、そうそう、そうなんだよなあ!と思った一節は下記。草木に対して、だんだん「こうすれば良いかも」ってな勘は磨かれてる気はするんだけど、それが本当かどうかは、実際のところ、分からないんだよな。
……(略)……
にもかかわらず、エンジェルズ・トランペットは咲いた。咲いたどころの話ではなく、むしろ花期が長くなった。

簡単にするとこうなる。
(1)剪定したら咲いた。
(2)剪定せずに咲いた。
さて、以上二つの事実から俺はどんな解答を導けばいいのだろうか。

……(略)……
また「基本的に剪定は欠かせないが、剪定せずとも咲く場合がある」という人もいるだろうし、「剪定はいらない。だが、剪定しても咲く」という人があるかもしれない。もう何が何だかわからない意見だが、実は園芸書がそんな感じだ。
植物というものは機械と違って、”こうすれば絶対にああなる”とは決まっていない。

……(略)……
だが、我々ベランダーはなるべくその事実を認めずにいたがる。自分の知識と判断と労働とで花を咲かせたと思いたいからだ。
エンジェルズ・トランペットが咲いた要因を、俺は結局は知り得ない。

ちなみに、この本を読んだ後、娘の花材の中にトクサを発見して、つい挿木してしまった。
特別に好きでもないし、庭に欲しい草木でもないんだけど。
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by macchi73 | 2015-03-16 00:45 | 本の感想など | Comments(5)
2015年 03月 03日
ひなまつり(に関係ない日記)
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ひな祭りだけど、ちょっと前から玄関に挿しておいた桃の枝の花は開かなかった。あらま。

その代わり、庭の梅が満開だ。
2008年に植えて7年目、こんなにたくさんの花が綺麗に咲いたのは初めてのことだ。
すこし埃っぽい庭で甘い匂いを嗅いでると、このまんま、一人でどっか遊びに行きたいなーと思う。

年度末の押し込みで、いつも数字とか進捗とかそんなことばっかり考えている。
先月父が死に、今月は子供たちが卒業して大学生になろうとし、毎日家族たちは色んな面白いことをお喋りしてるのに、そういうことは遠くで起きてることみたいに感じられたりする。私って、泣きもしなければ笑いもしない。なんかつまらない人間だよなー。

ずっと前からそうだったか?と考えたら、そうでもなかったと思う。感じはハッキリ思い出せないけど、出来事としては覚えている。

時期的に、これってプレ更年期とか鬱とか、そういう何かでは……と本気で怪しんで、生活にメリハリつけるなど試し中。可能な限り仕事は早めに終わらせて、末っ子に付き合ってちょっと駅前でバドミントンして帰ったりする。時に「夕方だからピノコを送って来たー」とか上の子たちまでやってきて、一緒にラリーしたりしてみんな凄く笑ってるのに、自分だけ、なんとなく平坦。

これは中年みんなが通る道なのか?それとも個別の問題なのか?自分のことだと判断しにくいもんだ。

e0134713_0522179.jpgいっぽう、君はいつもたのしそうだ。感服する。

それで今日も子供たちと運動して帰って、それからあまり熱心でもないひな祭りをしたのに、眠る時、末っ子がいつものように私の首に腕を回して、すっごい楽しいひな祭りだったよ……と囁いた。えっ?そうか?それほどの何かがあったか?と自分としては腑に落ちないが、つくづく思うのは、子供の声って甘い。いまはお母さんは感受性が鈍ってて分からないが、本気でそう感じてくれてることを強く祈る。

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脳内リピート曲はCream of Gold
数年前までは、疲れた時とかピンチの時とかには夫の顔が思い浮かんだものなのに、今では力一杯思い出そうとしてもまったく思い浮かばないのがコワイ。
(これも中年みんな通る道か? 個別の問題か? PNRなのか? 判断できず)

Time is a one way track and I am not coming back,
I dream in beige why'd you leave me so far now,
Time tired you're tainted through,
wind, songs and substitutes,
I dream in beige why'd you leave me so far now.



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お、ひなまつりの日に合わせて、『ひなまつり』の新刊でてる。
読んで笑った。(←笑ってるじゃん!)


『ひなまつり 8』(大武 政夫)


いま、全8巻、安定走行中。

これは揃えて良い漫画。子供に読ませてもOKだ。


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by macchi73 | 2015-03-03 23:55 | 本の感想など | Comments(8)
2015年 02月 08日
夜と梅(と煙)
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仕事が終わったのが深夜2時近く。外に出たら、どこからか微かにいい匂いがする。
どうせ急いで帰宅してもみんな眠ってる時間だしなーと、同僚とちょっと話しながら匂いの方へとぶらぶら歩きした。

そしたら梅が咲いてた。街灯もない場所で、月光に白い花が浮き上がってて綺麗。
この冬は暖かかったね、もう春だね(←気が早い)と、ホット缶飲んで暖まる。湯気の向こうに梅の花。早春の匂い。

それで家についたら、予想に反して居間には煌々とあかりが灯り、ドアを開けたとたん濃厚な肉の匂いに襲われる。奥から夫が厳かに登場し、今日はみんなで焼肉をしたんだ、美味しいので食べるが良いと宣言されて、夜と朝の間の時間にジューシーな肉を食べた。煙の向こうに夫。強烈な肉の香り。

胃薬飲んで、窓を開け放して眠る。(寒っ!)

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夜つながりで。

『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル 著、池田 香代子 訳)

ユダヤ人精神科医フランクルの収容所体験記。また、そこから考えた生きる意味についての本。だいぶ昔に読んだ旧約は難解な印象だったが、長女に「面白かったよ」と言われて新訳を読んでみたら、とても読みやすくなっていた。

収容所では多くの人が、「ここを生き延びさえすればこの苦しみにも意味がある」「こんな生に意味はあるのか?」などということを考えた。となれば、生き延びられない生には意味がないのか?我々の生の意味は結果によって左右されるのか?

著者のフランクルは、そうではないはず、と考えた。
人が生に対して生きることの意味を問うのではなく、生きることが人に意味を問いかけているのだと。どんな状況でも人間には少なくとも一つの自由は残されている、それは自分の態度を決める自由だと。

そこから人としてその自由をどう行使するかという話に発展していくところは倫理的な話になってしまうので、もしかしたら文化や性格によってだいぶ共感度が違うかなーと思ったけど、生の経験自体に意味があるというのは納得。それは私は、倫理抜きの虫とか花とかの生を見てもそう思う。収容所から見える風景に、自然はなんて美しいんだ!と人々が震える場面は印象的だった。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

私たちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたしたちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかで、永遠に保存されるのだ。なぜなら、過去で「ある」ことも、一種の「ある」ことであり、おそらくはもっとも確実な「ある」ことなのだ。

生きるって、自分の中にいろんな経験や感触が溜まっていくことだと思う。それと同時に、世界の方にもいろんな生の痕跡が溜まっていくんだろう。誰でも生きてるだけで世界の記憶装置としての意味は果たしているし、周囲の誰かの経験の登場人物になったりもしている。

そういう自分の中の記憶や愛着が生き延びる力になるのは、もしかしたら人だけでなく他の動物もそうかもしれないけど、倫理的なものが力になり得る(個体がしばしばいる)ってのは生物として珍しい気がする。多分、時間や死の概念があるかどうかが関係するのかもな、なんてことを考えた。
本の趣旨とは、ズレた感想かもしれない。


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by macchi73 | 2015-02-08 23:30 | 書籍など | Comments(2)
2014年 12月 02日
あらゆるものが変化する
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日付が変わる頃まで仕事して土日もNO休日で2週目、しかもトラブルの報告続きで焦る。常に気重。
そんな状況なのに新設部門立ち上げ兼任になったとのお知らせを受けた時、あー来年も……と一瞬鼻の奥がツンとして焦った。ニヤッとしてごまかすが、職場で泣きたくなるとは、すごい心が弱ってる人ではないか。やばい。

私が職場で気に入っているのは環境。
散策に来る外来者も多い、ちょっと珍しいくらい綺麗なとこだと思うんだ。今の時期だと紅葉が綺麗だ。

学校が休みの日、紅葉見物をかねて末っ子が初めて一人で職場に遊びにやってきた。
公共交通機関に一人で乗るのは初めてだから緊張したよーという。
いつもお世話になってるセキュリティの方とかに、お子さんですか!と話しかけられて、紹介しつつも何か気恥ずかしい。

広場で遊び飽きたら書店やカフェとかで過ごしてて良いよと伝えてゲストカードを渡し、その日は超特急で仕事を終わらせる。来客があって約束の時間より少し遅くなってしまい、慌てて構内のめぼしい場所を走って探したら、夜の広場に橙色の灯が見えて、ガラス張りのラウンジで娘がお菓子を食べながら電子書籍に熱中しているのが見えた。ちょこんと座ったその姿に笑いがこみ上げて来て、しばらく外から眺めてる。

そう言えば、上の子たちも小学生の頃はたまに職場にやってきて一緒に食事したりしたもんだった。そもそもは双子たちが小学に上がる時、夏休み保育のことなども考えて、バカンスのあるとこに転職したんだよな……。

仕事や生活で改善したいところは山積みだけど、その時その時の解決策で色々と変えて来て、けっこう要望が叶っているところも多いのだから、まだまだ頑張ろうと思ったり。もう少ししたらまた家族の形態なども大きく変わって、そしたらまた次の新しい形があるんだろう。

新設部門も、他メンバーはやる気と理想に満ちた若々しい顔ぶれなんだから、ヨレヨレの私は後方実務に徹してサポートしようと決める。くたびれモードで汚染せずに楽しい仕事にしないとなー。

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トンプソン博士曰く、あらゆるものが変化するーーとくにガーデニングでは。

『自然から学ぶトンプソン博士の英国流ガーデニング』(ケン・トンプソン)

ガーデニングに関する話というよりは、ガーデンで起こっている自然の作用の話。いつも見ている現象の仕組みが説明されていて、「あーなるほど」って腑に落ちる。

● トンプソン博士の教えによると、紅葉ではカロチノイドとアントシアニンが重要な働きをしている。

カロチノイドはあらゆる葉に存在し、秋になって葉緑素の緑が消えると姿を現してくる美しい黄色の素。
アントシアニンは紅〜紫の紅系バリエーションの素で、葉内に糖濃度の高まる秋にだけ大量に生産される。褐色の葉にはタンニンが多い。

今の時期、そういうことを思って葉っぱの変化を見るとなんだか面白い。

そして、何気に私の長年の混乱に答えてくれた一節は次の通り。『軽井沢誘拐案内』の頃から、リトマス紙と反対だなーと、ずっと心にひっかかっていたんだよ〜!
疑い深い性格の人は、そろそろアジサイのことが気になり初めていることでしょう。誰でも知っているように、アジサイの花は土壌のpHに応じて色が変わります。ただしアジサイの花は酸性土壌では青、アルカリ土壌ではピンクになり、先に説明したpHに対する反応とは正反対です。これは、ここで働いているアントシアニンが基本的にはピンク色なのですが、アルミニウムと結合すると青い色素を形成するためです。したがって青い紫陽花にするにはアルミニウムが必要ですが、アルミニウム化合物は酸性土壌でのみ可溶性になります。

● 博士によれば、施肥なんてものは畑以外では必要ない。

よし、博士!来年は全く施肥しないぜ!!と決心した。(←楽なことを決めるのだけ早い)
ちなみに博士は、天然の緑肥としてコンフリーを推しているが、途中までコーンフラワー(矢車菊)と勘違いして「おおっ!うちの庭にもいっぱい生えてんじゃん!」とか思って読んでいた……。
植物が人工肥料なしで何百万年もの間生き延びてきたことを考えると、普通の庭に実際どれくらいの量の肥料が必要なのかという疑問はとても興味深いものです。一言で答えるなら、庭に肥料はまったく必要ないということになるでしょう。
(中略。チッソやリンの話など)
必要ならば、肥料の使用を控えたほうがよい理由をもう1つ挙げましょう。成長が非常に速いとあなたがすでに感じている植物は、今後さらに成長が速まってしまうでしょう。一方、あなたがもう少し速く成長して欲しいと思っている植物には、肥料はほとんど効かないでしょう。

● 博士によれば、芝生だって簡単。

定期的に刈り込むってところを除けば、うちの芝生の方式もまったく一緒。ふふん。
芝の種子を売る業者をはじめ、あまり認める人は少ないでしょうが、管理さえきちんとしていればどんなものでも芝生と呼んで構いません。
(中略)
理由は簡単。たび重なる刈り込みに耐えながら元気に育つことのできる植物はとても少なく、そのほとんどがどこにでもあるイネ科植物だからです。


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by macchi73 | 2014-12-02 23:55 | 書籍など | Comments(3)
2014年 09月 12日
誕生日の子どもたち
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夏も終わって、なんだか少し寂しい。

夏の終わりの常で、庭が薮だ。
というか、この状態が毎年恒例であることを思えば、うちに関しては、寧ろもう「薮が庭だ」と言う方が正しいのかもしれない。

薮には当然、獣が住んでいる。こんにちは。

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そして私の子供たちはみんな一つずつ年をとる。おめでとう。

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誕生日つながりで。
バディという少年が主人公の短編群は、『草の竪琴』の原型といった感じで、懐かしさと喪失感にむせる思い。

『誕生日の子どもたち』(カポーティ)

いつもは好きじゃない村上春樹の翻訳を、初めて良いかもと思った。
今まで読んだカポーティの中で一番良かった。
この翻訳の中では、誰も「好むと好まざるとに関わらず」とか、あんまり言わない(ちょっとは言ってた)。スッキリ読めた。

六つの短編全てに漂う強い郷愁は、過去に引きずられるカポーティの属性なんだなーって思った。

郷愁って何かと言えば、無くなっていくことを惜しむことかと思う。
無くなるっていうのが何かと言えば、誰も知らなくなることかと思う。
おばあさんが死んで、おじいさんが死んで、おとうさんもおかあさんも死んで、友達も自分もいつかは死んで、この世には、もう誰も知らなくなった、でも確かにあった出来事や場所ってのが、綿々と存在しては消えて行く。この世には、その人しか知らなくて、その人と一緒に消えて行く秘密がいっぱいだと思う。

誕生日のキャンドルに照らされた子どもたちの産毛の光る丸いほっぺとか、私にとってはとても強烈で、多分ずっと忘れないだろうと思うけど(上の子たちの小さい時もたまに鮮やかに思い出す)、それもいつかは誰も知らなくなるんだなあ。ピノコお婆さんの子供時代とか想像できないよーとか、私の知らない未来の若者に言われたりもするんだなあ。

そういう世界の有り様を思った時、肯定して笑える人と、胸痛む人とがいると思う。カポーティは後者。私もなんだかちょい、後者っぽい。


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by macchi73 | 2014-09-12 23:55 | 本の感想など | Comments(7)
2014年 07月 20日
構造色
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出張でこっちに来た麻雀友達に会った時にタマムシの話をしたら、翌日、いいものあるよと同僚が書いたという構造色シミュレーションの論文を送ってくれた。
なんと。この中に、玉虫色の発現の秘密が盛り込まれている……!?
しかしそちらの素養が全然ない私であれば、図解を見て何となく分かった感じはしつつも、並んだ数式を見ても「なるほど!」とは全く実感できないのであった。ふ。

でもせっかくだから構造色についてちょっと知ってみようと思う。

構造色とは、実際に色がついていないのに光の干渉により色が見える現象。
タマムシの場合は、多層膜構造色という仕組みで、体表に屈折率の違う薄い膜が何層も重なってるせいで光の干渉が起こって複雑な色味を出してるらしい。見る角度によって光の入射角が変わるので、出現する色も変わって見えるという仕組み。
ふんふん。複数の波が重なって違う波形ができるのは水面なんかもそうだから、きっとそのイメージだな(と、何でも卑近なイメージで捉える文系)。

ちなみに家にあるオオルリアゲハ標本の青い羽も構造色らしいが、こっちは多層膜ではなく、鱗粉に入った規則正しい溝のせい。溝の間隔が青色光の波長のちょうど半分のため、光の中の青だけを反射する構造になっているという。
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実際どんな感じなんだろ?と、試しに翅を顕微鏡で見てみたが、溝の間隔は200nm(ナノメートル)。nmってのは、0.000001mm。当然、うちのチビ顕微鏡では全く見えない。

けど、質感としてなんとなく存在は感じるような気はするかな?
なんとなくね……。(←想像力を働かせ中)
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鱗粉つながりで。


  Things Come Apart (The Charlottes)

病院のベッドで貰った論文を読みつつ、イヤホンで音楽聞いてた。

ふと、この曲いいな、誰だっけなと思ってプレーヤーの画面を見たら、ちょうど蝶の鱗粉ジャケットが表示されてて「おお!(↑)」と思う。

で、曲名を見たら “We’re Going Wrong” と表示されてて「あー(↓)」と思う。


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by macchi73 | 2014-07-20 18:47 | 面白かった本など | Comments(0)
2014年 07月 19日
入院日記
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ちょっと入院。
ずっとベッドで読書したり音楽聴いたりしながら寝そべって過ごす。

大きな窓に面したベッドなのが気に入った。
窓の方に脚を伸ばして、全身にお日様浴びながらドリンク片手に目をつぶると、ここはプールサイドだ……て錯覚できなくもない。6人部屋だけど。

窓の外では、真っ青な空に入道雲がムクムク盛り上がったり、夜には質素な夜景が見られたり、流れる雲がやたら速かったり、急に豪雨がやってきて空にギザギザの雷が走ったり、大きな二重の虹が出たりで意外に飽きなかった。
こんな風に、一日中ずっと空だけ眺めてる機会なんてあまりない。

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そしてなぜか日に焼けて退院。まだバカンス前。


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ぐうたらひとりぼっちの気分を満喫。

『ぼくのともだち』(エマニュエル・ボーヴ)

人恋しくてたまらない、貧しく孤独な男の独り言日記。
ともだちを求めて日々さすらう。

だいたいこういう小説って、孤独な主人公に読者は共感と好感を抱いちゃうぜ!っていうのが多いけど、この本の主人公にはなかなか好感は抱けないと思う。今でいうニート。ショボくて幼稚な小狡いことばっか夢想している。

その感じがリアルで、「うん、こういう奴だから孤独なんだよな。ってか、誰にも構われないとそうなっちゃうんだよな。人格も人との交流で学習する面って大きいし、孤独が先かダメ性質が先かって分からないところがあるよな。こんな風にこの先いきてて良いこと起こることってあるのか?」って、なんだか身につまされた。だって突き詰めてみれば、生の無意味さ程度は私だって似たようなもん。

全然良いとこなしの人間でも、いつか自分にも本当の愛と尊敬を示してくれる理解者(という都合の良い存在)が現れることを夢見てる。ダメな奴や嫌な奴だって、毎日自分に何か楽しいことが起こるのを期待して待っている。それって当然だし、自然だよなって思う。

ショボい私にも私のともだちにも、楽しいことがありますよう。


BGMは、なんかふざけたMathieu Boogaertsあたりで。


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by macchi73 | 2014-07-19 11:10 | 面白かった本など | Comments(4)
2014年 06月 20日
ジューンベリー(6年目の結実)
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6月。英語で言えばJune。そんな今月。
2008年に植えたジューンベリーが、6年目にしてやっと、ある程度の量の実をつけた。

じつは全然実をつけないのに痺れを切らし、2011年頃に薄暗い庭隅に移動してそのまま忘れていたのだったが、今年は鮮やかな赤い色が遠目からも目立っていて「そう言えばあれはジューンベリー!」と思い出した次第。

ジューンベリーは、赤い実が黒く熟したら食べ頃らしい。
で、我慢して待っていた。まだ赤いな、まだもう少しだな、黒くなったら何作ろうかなーとウキウキして待っていた。

そしたらそのうち、手術やらサッカーやら何やらで、しばらくの間だけジューンベリーのことを忘れた。
再び気づいた頃には、なんと実は熟しきって全て地面に落ちてしまっていた。ガーン。
ちょっとの間、目を離していただけなのに。

という訳で、今年も収穫できなかったジューンベリーだが、緑の中の赤がとっても綺麗だったので記念に写真だけアップしておく。

来年こそはきっと。
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地面に落ちて痛んでしまった果実たちを見て思い出すのは、リョサの『子犬たち』。
手術とサッカーと遺失の物語(←なにか間違った要約)。

『ラテンアメリカ五人集』

バルガス=リョサ、オカンポ、アストリアス、パチェーコ、オクタビオ パスの5人の中短編集。

リョサの『子犬たち』が躍動感のあるテキストで面白い。子犬のようにじゃれ合う少年たちの底抜けに明るい日々と友情。でもその中の一人がある日、犬に<ちんこ>を噛み切られてしまう。みんながどんどん子ども時代を卒業していく中、彼一人だけ、絶対に次の段階に進めない……。

どんな瞬間にも忘れられない気がかりっていうのは、人の行動を制限して、ついにはすっかり元々の形質まで変えてしまう。どんなところにもついてくるこの気がかり、何をやっても最後はこの気がかりにぶつかってしまう……ってのは、程度の差こそあれコンプレックス持ちなら分かる気持ちかも。

でも輝くような子犬の日々を失ったのは、本当に彼一人だけだったか?とか考えると、まあ、そうでもないかなとも思う。誰でもみんな子どもだったし、誰でもみんなずっと子どもでいられない。順調に成長しても、しなくてもそう。
(クリャエルは)いい奴だけどガリガリ亡者さ、勉強ばっかりしていて、スポーツにはちっとも身を入れない、とチョート、するとラロが、あいつのせいじゃないさ、おやじさんがわからず屋なのにきまってるよ、チンゴロも、そうさ、あいつはぼくたちと一緒に来たくてうずうずしているのに、マニューコが、チームへ入れるのは難しいだろうな、身体もないし、キックも耐久力もなくて、すぐにへたばってしまうしさ、いいとこなしだよ。でもヘディングは上手いよ、とチョート、それにぼくたちのチームのファンだから、どうしても入れてやらなくちゃ、とラロ、チンゴロが、みんなで一緒にいられるようにね、うん、あいつを入れよう、どんなに難しくてもな、とマニューコ。

  しかし、物事を諦めない性で、何としてでもチームに入りたい一心のクリャエルは、その夏猛練習し、翌年にはクラスチームのセンターフォワードのポジションを獲得した。(中略) ここに、ふくらはぎに触ってごらんよ、締まってるだろ! はい、ほんとうに、とても進歩しました、チョートがブラザー・ルシオにいう、身のこなしが素早くて、よく動くフォワードです、攻撃の組立もうまいし、それに何より、どんなときにもファイトがあって、とチンゴロがいえば、マニューコも、敵が攻勢のときはゴール下まで球を追って行くのを見られたでしょう、ブラザー・ルシオ? あいつをチームに入れるべきです。クリャエルはうれしそうに笑い、爪に息を吹きかけて、袖が青くて身頃の白い四年A組のアンダーシャツにこすりつけている、これでよし、君をチームに入れてやったぞ、でもいい気になって天狗になったりするなよ。

つくづく日本と異質な文化だよなー、その感覚よく分からないかもなーって感じさせるラテンアメリカ作家の中で、リョサは日本人にも理解しやすくて読みやすいと思う。有名な『緑の家』も、構成の読みにくさにも関わらず面白い。ただ、『継母礼讃』なんかまで行くとスイスイ読み易過ぎて、面白かったとは思うけど、逆に小品っぽくて印象に残らなかった感もあり。


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by macchi73 | 2014-06-20 00:30 | 書籍など | Comments(3)
2014年 05月 28日
湿気と繁茂
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このところ、時々雨が降ったりして、でも暖かくって、モワモワした湿気を感じることが多くなってきた。
「熱 + 湿気 = 繁茂」これが毎年の公式。

恐怖のジャングル化を防ぐために、このあたりで一度庭仕事をしなくては……。

「熱 + 湿気 + 繁茂 = 薮蚊」にグレードアップするのは避けたい。がんばろう。がんばってくれ、私。
うごけー、体! ひらけー、ごま!
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しかしそんな風に考えながらも実際は体は動かず、湿気に満ちた薄曇りの庭を見ながら、暗い台所でコトコト料理とかするのって意外と良い気分だったりする。怠惰&無気力に宿る快感。眠い目で、ぼんやり麻痺して逃避。

そんな腑抜け状態で。
庭に点在する野良イチゴを摘んで、近所の果物屋さんの閉店セール苺と合わせてジャムを煮た。体が重い。眠い。

これは前にAmeliaさんから教えてもらったレシピ。
苺に砂糖をまぶして滲み出してきた果汁だけでジャムにする。
苺の粒を崩さないように煮て、最後にレモンとラム酒を少々加えて加熱して完成。
バターを塗ったパンに挟んで、子供の手抜き弁当とする。

あーあ、こうやって逃避しつつぼんやり過ごしている間に、勝手に色んな問題が片付いたら良いのになあ。
あーあ、今からでも「あなたはイギリス貴族の末裔でした」なんつって郵便屋さんが電報持って来て、馬に乗って美しい領地を駆け回る生活とかになんないかなあ。あ、それかその領主の庭番の末裔ってことでもOKだなー。
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子供が巡らせがちな(?)甘い妄想プロトタイプ。
今読んでも面白い『小公女』と、著者のイラスト込みで幸せすぎて笑ってしまう『あしながおじさん』。
もう少ししたら、娘にもきっと読ませたい。




こっちは、それが現実だったとしたらきっとこんなだぜ……という、逆妄想。
『不幸な子供』ではお父さんが迎えに来るけど、変わってしまった子を我が子とはもう認識できない。
キプリングの『めぇー、めぇー、黒い羊さん』では、やっと迎えに来てくれた大人にも、辛かった子供の時間(と、大事な何か)はもう取り戻せない。




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by macchi73 | 2014-05-28 23:55 | 書籍など | Comments(2)