カテゴリ:面白かった本など( 74 )

2017年 06月 11日
子ども時代は永遠に年をとらないこと
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真夏日だった昨日と違い、今日は曇天で少し過ごしやすい。梅雨入りってもうしたんだっけ?

今年は紫陽花が遅い気がするが、それでも庭の西安も少しずつ色づき始めた。来週末くらいには見頃になるかな。

ノイバラ風のバレリーナが、今年は庭の一角でたくさん花をつけている。
数年前に下手な移植で大株を殺してしまったのだが、その時とっておいた挿木が育ち、やっとここまで育ってくれた。復活して嬉しい。……母の仇、とか思われてたら怖いけどな。
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リビングのテーブルでは、末っ子が学校で飼っている動物の世話の仕方のポスターを作っている。飼育委員で、1年生たちへの説明に使うそうだ。「うーん、毛並みをうまく表現するにはどう色塗りすれば良いかなあ」なんて言いながらのお絵描きが楽しそうなので、私もなんとなく、ソファから見えてる庭をクレヨンで落書き。緑ばっかりでつまらないので、窓にへばりついている末っ子の姿を描き入れた。私にとって見慣れた情景。

そしたら娘が、

−−それ、小さいときのピノ子だね。

−−えっ?


あ、そっか。言われて気づいた。もうこんなに小さくないんだな。

本物は、もうスラッと細長い。
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* * * * * * * * * * * * *

家にあった本を読んでたら、それどんな話?と聞かれた。うーん、山尾悠子って、何回読んでも過度にシンボリックな印象だけしか残らず、実はお母さんもよく分かってないんだよなあ。

で、「えーっと、冬眠者っていう一族についての短編集でさ、冬には冬眠するんだけど、冬眠中は死んだようになって年も取らないんだ……」と、子どもにわかりやすいように適当に要約して伝えてみたら、話しているうちになんとなく一つの像が結ばれて来て、「あれ?もしかしたら面白い話だったかも?」とか初めて思ったりして。

『ラピスラズリ』(山尾悠子)

一話目は【銅版】。
全体のプロローグのような話。
怪しい画廊で店主によって語られる3枚の銅版画、「人形狂いの奥方へのお使い」「冬寝室」「使用人の反乱」と、それから私の記憶にあるもう3枚の絵「痘瘡神」「冬の花火」「幼いラウダーテとその姉」が描写される。それらの絵の正しい並び順ってどうなんだ?という謎が一つ、話を聞いている「私」と、その母って誰なのか?というぼんやりした謎が一つ。


二話目は【閑日】。
とても短いが美しい話。これ一遍だけ独立した短編としても読めると思う。
冬眠者の少女ラウダーテが、冬のさなかに一人目覚めてしまったが閉鎖された館から出られず、そこに棲みつくゴーストと過ごす3日間の物語。銅版画のうち、「冬の花火」とは何かが語られる。


三話目は【竃の秋】。
ページ数的にはこの本のメインとなる中編。不思議な館に棲む、支配階級の冬眠者たちと召使の人間たちの話。

冬には一人寝室に閉じこもり人形と共に眠ってしまう冬眠者の習性、ラウダーテの母である奥方に最近みられる不眠と病気恐怖症の兆候、身ごもったまま冬眠に入ろうとしている姉、冬を越せそうにない病弱な弟トビアス、奇妙な双子のおばたちなど、貴族のようでもあり、冬ごもり前の獣のようでもある冬眠者たちの姿が語られる。銅版画の「冬寝室」「人形狂いの奥方へのお使い」の情景。

それから、冬眠者以外の住民たち−−使用人、ゴースト、森のやつら。

冬眠者の塔に連なる棟に住む使用人たちは、贅沢三昧の冬眠者たちに対し、畏れや反抗心やそれぞれの関心を抱いているようだ。生真面目な召使頭、同じく召使頭だが主たちに対して何か企むところがあるような優男、人形恐怖症の召使、性質は違っても見た目はそっくりのお小姓たち、冬眠者なんて世話してあげなきゃ死んでしまうと侮りもしている女中たち、竃番のアバタの少年、使えない医者。そんな面々が、迷路のような館の中でゴチャゴチャ動き回っている。

館には時々ゴーストが現れて棲みつくことも人々の会話から分かってくる。ゴーストになった者は自分が誰なのかを覚えておらず、それがわかった時にある変身が起こるのだが、どうも今のゴーストについては奥方が何か秘密を握っているらしい。一方ラウダーテは幼い頃に一度だけ体験した冬とゴーストとの交流が忘れられず、新しいゴーストとも交流を試みている。

館の外には広い庭園と温室。そこでは職人気質の園丁たちがひっそり働いているが、彼らは個人主義かつ非社交的で外の人間と交流を持たないため、何人いるかもよくわからない。館の召使頭の幼馴染で、園丁にしては幾らか社交的な一人が館と庭園のパイプとなっている。

庭園の外には柵。周囲の森の中をさすらう「森のやつら」の侵入を防ぐためのものらしい。森の奴らは朽ちた病人とも亡霊ともわからぬ姿をして、何故か館を目指す習性がある。冬眠者たちは森の奴らを恐れ、忌み嫌っている。

そんな冬眠者を中心とする館世界に、奥方に荷物を届けに来た荷運び、負債を告げる借金取りなどの外からの来訪者が加わった時、大勢の登場人物の動きがそれぞれ小さく影響し合って繋がって、館の崩壊につながっていく。そこで語られるのは、銅版画の「使用人の反乱」「痘瘡神」に描かれる場面。「使用人の反乱」の時系列と、それから、えっ痘瘡神ってお前か、というのはちょっと意外で面白かった。


四話目は【トビアス】。
いきなり場面は変わって近未来の日本っぽい話で、ひとりぼっちの冬を過ごすことになった冬眠者の少女のモノローグ。第一話と繋がる話なのかな?(だとしたら、「わたし」は少年の可能性もあり?)
冬を越せなかった飼い犬のトビアス、それから森に姿を消した母。前の3つの短編と、重なりそうで重ならない単語や世界。


五話目は【青金石】。
舞台は中世ヨーロッパ。聖フランチェスコが冬眠者とみられる細工職人の若者と会話を交わしている。前の四つの物語に現れたシンボルたちが次々現れて、冬の花火の最後の秘密が明かされ、全てが繋がりそうに思えるような、そうでもないような、最後の一文へ。



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そうやってまとめてみると、使用人たちは日々の生活、冬眠者は際限なく巡るように見える倦んだ時間、森の奴らは老醜、トビアスや胎児は繰り返す時間の輪に取り込まれる前のぽっかり浮いてる幼年、ゴーストは死と再生の象徴なのかな、なんて思う。

ま、本当は、そんな風に無理やり整合性をつけずに、不思議な世界や場面を絵画のように楽しむ系の物語かもだけど。すっきりする解釈つけたくなっちゃうんだよなあ。


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by macchi73 | 2017-06-11 20:00 | 面白かった本など | Comments(12)
2017年 05月 10日
春の夜の菜園
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夜が生暖かくなってきたので、夫が晩御飯の支度をしている間に草薮を開拓して菜園を復活させた。

草薮とは言ってもさすが元菜園。
地面に鎌を入れるたび、タイム、セージ、フェンネル、ヤロウなどが素晴らしく香って強烈に爽やか。このモジャモジャは雑草じゃなくてハーブだったか……。地面に這いつくばって、掘り返した土の中から雑草の根を取り除いてハーブだけ埋め戻しておく。

娘が寄ってきて「ピノはピクルスが食べたい」と言うので、ピクルスに使えそうな野菜の種を蒔いた。
夫が寄ってきて「俺はルッコラが食べたい」と言うので、ルッコラの種も蒔いた。まあ、ルッコラは多分その辺にも生えてるんだけど、もう雑草と混ざっちゃってよくわかんないんだよな。我が家はいつも、適当な場所の土を掘り返したらいきなりの直播き。それでもまあまあ、一夏分の収穫は望めると思う。

晩御飯は親子丼とお吸い物とサラダ。
どの皿にも巨大なミツバがふんだんに使われていて妙に香り高いな、ミツバ食だなと思ったら、「これ庭の。ミツバ、大量に生えてるね」と夫が言う。とても美味しいです。
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連休明けに一輪だけ咲いたと思っていたバラが、いつのまにかいっぱい咲いて、そこいらじゅう良い匂いをさせている。もうすっかり暗い中、近寄って数えてみたら二十輪以上も咲いていた。蕾もまだまだあるので、咲き始めの花は摘み取って念入りに洗ってバラジュースを仕込んでおく。夜中の台所で。
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それでクタクタになって、深夜もだいぶ過ぎ、お風呂入っておやすみなさい。
体は痛いが、満足感あり。春って楽しいよなあ。

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そこここに点々と咲いている小さなスミレの花や巨大なミツバを見て、先日読んだ本を思い出した。スミレが好きな女の子。

『こちらあみ子』(今村夏子)

主人公のあみ子は、今だと発達障害って呼ばれるのか?

でもそれとはまた別に、そういえば遠い昔はこんな風に友達関係もその他諸々もむきだしの感触だったよなあ……と、何かよく知った感覚が呼び覚まされるような。あんまり言葉を尽くして説明されないから、書かれてない生活や空気まで、かえって自分の手持ちの経験から広がりを持って想起されるのかも。こういう子っていたし、自分の中にも幾分かはあみ子成分ってある。

今村夏子って初めて読んだが、面白いかも。他ももっと読みたいかも。


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by macchi73 | 2017-05-10 01:00 | 面白かった本など | Comments(3)
2017年 03月 22日
氷の涯
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春だ庭だ花だとさんざ浮かれておきながら、家族をおいて一人で雪山なんか行ってる。

でも、雪山ですらもう春を感じた。

一面に広がる粗目雪が、クラックグラスみたいに陽光をキラキラと反射して春っぽい。真冬の雪のマットな質感とは全然違う。手にとって見ると、日中に溶けて夜にまた凍り……を繰り返して、小さなアイスキューブの集合体みたいになっているのが分かる。
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夜にも気温が下がらず無風状態のせいで、濃いガスが発生して視界が真っ白。
霧の白さは吹雪の白さとは違って、薄着でもほんのり暖かい感じがする。雪の上にウサギの足跡。幻想的でとても楽しい。夜の雪原でハイになる心。
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家族も一緒だったら良かったなーって時々思うが、でも一人の楽しさもあったりする。
まあ、家族全員、だんだんそうだろうな。
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地平線まで続く雪原を見ると常にワクワクしないか?夢野久作の『氷の涯』って、そんな感じ。



夢野久作っていえば、『ドグラ・マグラ』がチョー有名。

でも、『ドグラ・マグラ』、言うほど面白いか?面白くないことはないが、チャカポコ・インパクトによる過大評価じゃないか?という気がするのは、『氷の涯』の方がずっと面白いのになーって思うから。

シベリア出兵の下っ端一等兵が軍内の横領事件に巻き込まれ、濡れ衣を着せられ、どん詰まりになって、ロシア娘ニーナと氷の涯に逃避行するラストが凄く良い。二人とも死んでもいい(たぶん死ぬ)っては思ってるんだけど、その瞬間は未来はまだオープンなまま、スカッとした終わり方。スパイ・冒険・探偵小説の趣あり。

夢野久作って私の中ではB級作家ポジションなんだけど、氷の涯のラストの余韻だけは『グレート・ギャツビー』のラストに並んでもOKくらいの軽やかさと格調高さだと個人的に判定する。かなり好き。


註文した馬と橇はモウ下の物置の中に、鋸屑を敷いて繋いで在る。張り切っている若馬だから一晩ぐらい走り続けても大丈夫だと、世話をしてくれた崔が保証した。

僕等は今夜十二時過にこの橇に乗って出かけるのだ。まず上等の朝鮮人参を一本、馬に嚙ませてから、ニーナが編んだハンド・バッグに、やはり上等のウイスキーの角瓶を四五本詰め込む。それから海岸通りの荷馬車揚場の斜面に来て、そこから凍結した海の上に辷り出すのだ。ちょうど満月で雲も何も無いのだからトテモ素敵な眺めであろう。

ルスキー島をまわったら一直線に沖の方に向って馬を鞭つのだ。そうしてウイスキーを飲み飲みどこまでもどこまでも沖へ出るのだ。
そうすると、月のいい晩だったら氷がだんだんと真珠のような色から、虹のような色に、変化して眼がチクチクと痛くなって来る。それでも構わずにグングン沖へ出て行くと、今度は氷がだんだん真黒く見えて来るが、それから先は、ドウなっているか誰も知らないのだそうだ。

(中略)

「もし氷が日本まで続いていたらドウスル……」
と云ったら、彼女は編棒をゴジャゴジャにして笑いこけた。


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by macchi73 | 2017-03-22 18:00 | 面白かった本など | Comments(0)
2017年 02月 11日
立春の候、世界の片隅で君の名を
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直行直帰の仕事で、いつもより少しゆっくり目に家を出たら、庭の梅が咲いていた。
花の満開はもう過ぎたっぽいけど、それでも庭を通って門扉まで、近くを通ればふんわり梅の香りがする。春だなー。

まだ寒い時期に「春だなー」って思うのって、なにか新品感があって嬉しいもんだ。新春とか立春とかいう言葉の、めでたい感じ。

先月今月は、一人でいろいろと馴染みのない場所に行く仕事が多くてちょっと楽しい。

昼間乗り物に揺られて遠くまで足を伸ばしたり、いろんな人に話を聞いたり、珍しい設備使わせてもらったり試験受けたり、いつもと少し違う動きをしていると、仕事もそろそろ飽きたと思ってたけどやっぱり楽しいかもなと思ったり。一人で移動すること、シーンとした知らない建物を歩きまわること、ずらっと並んだ資料や設備を見ることが、けっこう好きかもなと思う。あまり仕事の本質に関係ない部分なので、そんなに人には言えないが。

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出先からの帰り道、以前よんで面白かった漫画の映画がやってたので観て帰った。

『この世界の片隅に』

原作つきの映画って原作の方が面白いことが多いけど、これは映画もかなり良かった。

特に、小さい子の悲しい場面の表現が、映画ならではの見せ方で、派手ではないのに衝撃的だった。

振り返れば、喪失したものたちとの過去も含んで、この世界が続いていくのは美しい、かも。



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そのちょっと前に子供と観た映画のことも思い出した。
どっちも「喪失に対してどうするか」を含んでいる部分で、少し共通するところもあるような、無いような。

コメントにも書いたが、二つの映画で解決方法が全然違うのが面白かった。

『君の名は』

現実には絶対に起こりえない「あの時こうだったら……」の実現が許容される世界の話だった。その時点で「え、それアリなの?」と、私は少し脱落気味。

が、実は喪失の痛みの最中にいる場合は、こういう物語が心惹かれたり癒やされたりするのかも?と、後で思い直したり。無くした場所、無くした人の、そうではない未来が生き生きと実現される世界を夢想する……。

そういう意味で、失われなかった世界の物語、取り零した分岐の先の物語も、この世には必要なのかもしれないね……とか言ったら、息子にはそういう話じゃないよ!と強く言われた。息子は監督のファンっぽい。適当な見方ですまない(←脱落してたからな)。


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by macchi73 | 2017-02-11 23:55 | 書籍など | Comments(2)
2016年 12月 27日
マダム・イン・コタツ
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雨の休日。
みんな忘年会やら何やらで今日は家には末っ子と私しかいない。薄暗い部屋でコタツに入ってごろごろして過ごす。

今ものすごくピクルスが食べたい気分、と子供が言うので、「んじゃー庭からハーブ適当に摘んできて」と、自らはコタツを出ずに言う。はいどうぞ、と雨の外界から娘が持ち帰ったのは、フェンネル、タイム、ローズマリー。

それで覚悟を決めてコタツを出て、台所でピクルス液を調合していたら(→うちの定番レシピはこちら)、娘も隣で鉄瓶でお湯を沸かし始めた。コーヒー入れてあげる、わたしコーヒー入れるのは学校でいちばん上手かもしれないよ、他の子はたぶん、豆挽いてこうやってコーヒーいれてないと思うんだ……と、得意そう。

ピクルスを大小二つの瓶に詰め、コーヒーも入ったので、続けて朝ごはんの用意。
って言っても、クリスマスイブに料理をいっぱい作ったので、ここしばらくは残り物を適当に温めたり、少しアレンジするだけで軽食は事足りているのだった。ふっふ。楽ちん。
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漬けて1時間も経ってないけれど、ピクルスも遅い朝食のお供にしてみる。
浅漬けすぎかな?と聞くと、「じゅうぶん美味しい!」と娘。確かに。バターとクリームたっぷりの料理には、ピクルスの酸味がよく合う。二人して、小瓶をペロッと全部食べてしまう。

それで、年賀状書いたり、本を読んだりして、一日こたつで過ごした。たまに洗濯、片付け、洗い物。ソファの隣のランプ以外の電気はつけないで、ずっと薄暗く。娘が、「外は雨の音、中は時計の音だ……」とつぶやく。それと紙をめくる音。無言で聴いていれば、同じ雨音でも、南と東の窓からはそれぞれ違う音色が響く。

こういうだらだらした日が一番好きだな、と娘。
えー、でも何にもしない無意味な一日だったなーって、日の終わりに後悔しちゃわないか?お母さんはそうだな、と言ったら、いやあ、色々やったらやったで、何にもしないことをしない一日だった、って後悔するから同じだよ、なんて言う。その辺りの感覚は、よくわからず。

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夜はインドカレーを食べた。そしてインド映画をみた。こたつで。

『マダム・イン・ニューヨーク』

英語を話せないインドの母親が、英語を話せる夫や子供達(学校教育が母の時代と変わり、子供たちは英語を準公用語として話せるっぽい)に軽んじられているが、ニューヨークに住む姉家族の結婚式の手伝いで、一ヶ月間、家族と離れてアメリカに滞在することになる。そこでも英語がわからずに傷つくことがあり、見つけた英語教室にこっそり通って勉強したり、クラスメートと交流したりして、自分も周囲も変わっていく話。

……ってあらすじだと月並みな感じがするが、母親役のインドの女優が落ち着いた中にも剽軽な雰囲気があり、魅力的ですごく面白かった。

素敵な女性なのに色々と傷つく場面が多くて、そんな時には私も泣きたくなった。そっか......忘れがちだが、みんなができる何かができないって一面を切り取って、何もできないみたいに扱うことはできないんだよな。

最後、こっそり勉強した英語で新郎新婦へおくったスピーチも良かった(あとで英語の先生から赤ペンコメント入っていたが)。

夫婦は対等で助け合うものだが、長い生活の中でそれを見失うことがある、そんな時は…… という話で、
It means marriage is finished?
No, that is the time you have to help yourself.
Nobody can help you better than you.
If you do that, you will return back feeling equal.
Your friendship will return back.
Your life will be beautiful.

(尊敬と友情を失ったとき、)
それは結婚の終わりを意味するでしょうか?
いいえ、その時こそ、自分で自分を助けなければならない時です。
誰もあなたよりも上手くあなたを助けることはできません。
あなたがそうするなら、対等の感覚を取り戻せるでしょう。
あなたの友情は戻ってくるでしょう。
あなたの人生は美しくなるでしょう。

家庭内で忘れがちなリスペクトの感情だが、大事なんだなと反省。
しかし、それでもそれが失われた時は、相手じゃなくて自分がそれを取り戻すべく動く時なんだ、っていうのが現実的で良かった。

ちなみに、国際結婚などで家族間の母国語が異なる場合、マイナー言語を母国語とする親の地位が家庭内で下がってしまうことがあるというのをどこかで読んだことがあるが、その話も思い出したりして。日本だとあんまり直面することが無い問題だが、親子で生活や教育水準が違ったりする時とかは、起こり得る話かもなと思ったり。


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by macchi73 | 2016-12-27 23:55 | 面白かった本など | Comments(6)
2016年 12月 15日
冬の公園散歩
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平日休みをとって、冬の公園散歩。
今年は久々に仕事を綺麗に片付けて、気がかりなく冬休みに入れそう。嬉しい。

森の中に時々ある食堂で、ホットワイン飲んだりして温まりながらぶらぶらする。
なんか昼間の屋外って良いよなあ……。毎日お昼に自由に歩き回れるだけで、人間の幸福度って飛躍的に上がるんではないか?とか思ってしまう。

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サクサク落葉を踏みながら歩き回ったら、色んな鳥や虫が、色んな場所に潜んでいた。
キジバトが半分落葉に埋まるようにして座りこんでいることが多く(布団みたいで暖かいのかな?)、気づかず歩いていると足元から慌てて移動するのが可笑しくって、ちょっと申し訳ない感じ。

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ウラギンシジミの越冬が見られないかなーと思って、大きな椿の茂みの中を探して歩いたけど見つからず。
なんか首がチクチクするなと思ったら、頭上には毛虫の抜け殻がいっぱいだった。あらま。チャドクガか。

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それから読みたかった本を探したりして、家に帰る。
ぼちぼちとカードやプレゼントが届きだし、家の中にクリスマスの浮き足立った雰囲気が漂ってきたのを感じる。
これから楽しい時期がやってくる。

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フユシャクについて調べていた時に読んだ記事に何かフックがあったので、一冊読んでみた。面白い!

『裏山の奇人:野にたゆたう博物学』(小松貴)

著者が多少暑苦しい感はあるが(奇人だから?)、一人の生物好きの子供がそのまま好きでかつ得意な道に進んで大人になって、なんて幸せな話だろうと思った。わくわくする観察エピソードがいっぱい。社会的、職業的には大変そうな話もあったけど、自由な仕事をするなら、まあ若い時ってそうかもなって思ったり。

好蟻性の生物の研究が専門のようで、それらの記述も面白く、ウェルベルの『蟻』の世界を思い出しちゃった。蟻に関する図鑑や本も共著で色々出してるようなので、そっちも読んでみようっと。

それと、著者に倣って、この冬休みは私も庭のヒミズとネズミをじっくり待ち伏せ観察してみよう!と決心。

虫だけでなく、色んな動物を見るのも好きな著者が、テンに出会って最初は楽しく見てたのに、途中でふとビビりが入るところとか、すごく想像できて笑った。一人で何かしてる時って、そういうことままあるかも。でも一人じゃないと経験したり感じられないことって多いから、一人って怖くて楽しい。
目の前で普通に振る舞うテンを見るうち、私はだんだん恐ろしさを覚えはじめた。もともと、テンは古くから毛皮をとる目的で人間に撃ち殺されてきた動物である。そのため、野生のテンなら、普通人間を避けて行動するはずだ。なのに、この個体は私を見てもまったく恐る様子がなく、すぐ吐息がかかりそうな距離で当然のように振る舞っている。もしかしたら、こいつは私に襲いかかる用意があるのではないかと思えてきた。
...(中略)...
この一件で、私は餌など使わなくても、動かないことと音を出さないことを徹底すれば、まったく人慣れしないてい野生生物さえ至近で観察できるというのを学んだのだった。
あと、著者がスズメバチを手懐ける方法を読んで、前にシダクロスズメにソーセージをあげた時のことを思い出した。鷹匠ならぬ蜂匠、いかす!

昆虫絡みのエピソードではないが、著者とカラスの群れとのエピソードも笑った。
そういえば私が子どもの頃に仔ガラスを拾って庭隅で育ててた時、ピョコピョコ跳ねる仔ガラスをひざに乗せて餌を与えていると、大人のカラスが近くの木にたくさん集まってきてコッチを見てて面白かったんだよなー。あれ、仔ガラスがぐったりしてたら、敵と見なされて攻撃されたりもしたのかな。

ちなみに、その仔ガラスはとても懐き、私の肩にガッシリ爪をたてて留まるようになって(痛い)、鷹匠ならぬ蜂匠ならぬ烏匠の気分を味わわせてくれた。そして無事に飛べるようになって林に帰って行ったが、その後もかなりの間、呼べば応えてくれたものだった。だから今でも私はカラスは特別に好きだ。餌を見せればカア!と口をあけて赤いV字型の舌を丸見えにさせてたこと、嘴の側面についてた斜めの傷を撫でたときの手触り、ピョンピョンと庭の柿の木で飛行訓練してた姿、そんなことも思い出してみたりして。

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by macchi73 | 2016-12-15 21:00 | 書籍など | Comments(4)
2016年 11月 30日
青ばら、白菊
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秋の青バラが本格的に咲き出して綺麗だ。朝、家を出る時に眺めるのが楽しい。
青バラはレモン菓子のような強い芳香があるんだけど、その隣に本物のレモンが実っているので、なんだかおかしな感じがする。
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−−なんて毎朝、花と香りにうっとりしていたら、いきなりの雪。

せっかくの秋バラが根本から倒れて雪の下敷きになってしまった。ショック。11月の積雪ってありか。なんと54年ぶりか。
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がっくりして項垂れて門を出たら、門柱の周りに白菊が咲いているのに気づいた。白い雪の中に白い菊が流れる雲のような形に咲いていて、眼球が冷んやりする。冷たく湿った冬の朝の感覚。

途端に日本画のような白菊の一場面が思い浮かんで、あれ、こういうの詠んだ和歌があったな……と思ったが、伊勢物語の白玉の歌ばかりが頭の中でぐるぐる回って、白菊の歌が思い出せない。最近、記憶力が壊れ始めてるのを感じる。加齢現象、つらい。

で、職場に着いてしばらくして、花のことなんて忘れてコーヒー飲んでたら、いきなり思い出してスッキリする。置き惑わせる。

e0134713_2284918.jpg別日の白菊。

雪の日は、写真を撮るのも思いつかずに見とれていたが。

心あてに 折らばや折らむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花


古今集だった。


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むかし男、面白すぎ。白玉の女は鬼に喰われて消えてしまう。

ばらばらの短編が連なって一人の男の姿を浮かばせる構成も面白く、古代の人たちも娯楽小説読んで楽しんでたんだろうなーと想像できて、昔と今って、装置は変わっても地続きなんだよなあ……と感慨深い。


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by macchi73 | 2016-11-30 23:55 | 本の感想など | Comments(0)
2016年 10月 09日
2016年の金木犀(雄しかいない樹)
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9月末から10月頭にかけては金木犀が満開だった。庭も家の中もずっと甘い香りで、なんだか浮かれる。

夜も窓を開け放して香りを楽しんでいたら、「今年は金木犀が早いよね、普通は10月も半ばくらいが花の時期だけど……」なんていう、道行く人の会話が聞こえて来た。

思わず、「そうなんですよ!私もそう思ってたんですけど、でも確かここ数年はずっと9月に満開日が来てんですよね……」と家の中から相槌を打ってしまいそうになる。が、夜中にびっくりさせては悪いので、実際には発声はしない。見知らぬ人への、脳内でのみの相槌だ。

それで植栽メモを引っ張り出して、ここ10年ほどの金木犀の満開日をチェックしてみると、やはり2014年からの3年間は9月後半が金木犀の満開日になっていた。

これってどういうことだろ?
単にここ3年の花期が早いと言えるのか、それとも寧ろ、10月後半が金木犀の時期だったのは昔の話で、今は9月後半が金木犀の季節と言うこともできるのか?

ねえ、そこのところ、あなたはどう思います?……くらいに脳内で見知らぬ人に話しかけ続けるとこだったが、その頃には当然、通りすがりの人たちはずっと先に行ってしまっているのだった。で、真っ暗な窓の外には、金木犀の香りだけ。


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そういう訳で、花の盛りが9月末なのは、ここ最近の流れから言うと実はそんなに驚くほど早いという訳でもないのだけれど、今年は花が散るのも早かった……と思う。迂闊なことに、毎年花の盛りばかり気にしていて花の終わりは記録していなかったので、もしかしたら感覚で言ってるだけかもしれないが。

ある日気づいたら、ちょっと前まで樹上にあったオレンジ色が全部地面に移動してしまっていて、「え、もう終わり?」と、ちょっとびっくりしたんだった。今年はずっと暑さが続いて、いきなりバタバタっと肌寒くなったからか?
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地面に落ちてしまった金木犀の花は、オレンジ色の絨毯みたいで綺麗ではあるけれど、踏ん付けて歩いても、もう、あの魅惑の香りはしないのであった。受粉のための虫を呼び寄せるための花の香りだと思えば、そりゃそうか。

だけど、金木犀は雌雄異株の樹木なのに、原産地の中国からはオスしか運び込まれなかったと聞く。そしたら、幾らたくさんの花を咲かせて虫を呼んでも、花粉がメスまで辿り着くことは無いんだな。さらに言えば、金木犀の香りは日本の蝶や蚊にはむしろ忌避効果となることが多いらしい。原産地では、その香りに呼ばれて来る虫がいたんだろうと思うけど。

呼ばんとする虫も雌もいないのに、それでも毎年辺り一帯を甘い香りにするほどたくさんの花を咲かせてると思うと、金木犀、ちょっと寂しい感じもする。

(でも、その芳香のせいで人の手によって挿木で殖やされてることを思えば、メスなしでも、実は繁殖戦略には成功してると言えるのか?)
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ブラッドベリの『霧笛』を思い出した。
呼んでる相手はもういない、というつながりで。


『ウは宇宙船のウ』(レイ・ブラッドベリ)


ブラッドベリの短編集。どの話もすごく良い。

『霧笛』は、ずっとひとりぼっちで何百万年も海底で眠っていた地球最後の恐竜が、仲間の声に似た灯台の霧笛に呼ばれてやって来て、霧の中、灯台に向かって、もうどこにもいない仲間を求めて鳴く話。

ブラッドベリが書くSFって、いつもなにかポエジーがあると思う。

(→萩尾望都の漫画版もあったので読んでみた。こちらも原作の詩情そのままで面白かった。)


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by macchi73 | 2016-10-09 22:20 | 本の感想など | Comments(5)
2016年 06月 03日
自ら歩きまわって穴を掘る植物の種子
この間、なんかの拍子に歩く樹木のニュースを読んで、「そういえば、ずっと前に何かの本で、”歩いて土地を探す種子”ってのを見たはずなんだよなー、あれってやっぱり夢だったのかなー」と、久しぶりにモヤモヤした。懐かしいモヤモヤ。
Exciteニュース:
 → 毎年20mも移動するというエクアドルの歩く木「ソクラテア・エクソリザ」の噂を検証

私の記憶によれば、ずーっと前にどこかで読んだその本(図鑑だった気がする)には、昆虫のような脚を生やした種子が、歩きまわって発芽に適した場所を自分で見つける図解が載っていたんだった。

もう一度見てみたくて、時々思い出しては探してるのに、全然見つからないんだ……。
e0134713_047584.jpg
↑↑↑ イメージ図(適当)↑↑↑
物凄く朧な記憶だけど、こんな感じの絵だったような。


そうして今となっては、「うーん、やっぱり夢で見ただけかな?そういえば、面白く読んだ気がするのに他のページを全く思い出せないしな……」という気分になって久しいのだった。もやもや。

ちなみに、載っている本が実在するとしても、古代ローマの博物誌とか中世錬金術系とかの空想まじりの植物なんだろうとは、今は9割がた思ってはいるが。でも、本当の本当のオリジナルの記憶は、「へえええ!色んな植物があるもんだなあ」と驚いたような記憶なんだった。……実在は、でも、さすがにしないよね……?


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歩く木といえばコレ。私の子ども時代の愛読書。

『あるきだした小さな木』(テルマ・ボルクマン)

入手した時にすでに古本だった気がするが、やたら気に入って、ボロボロになるまで繰り返し読んだ本。

思い返すに、動物みたいな植物(またはその逆)ってのが、小さい頃からの我が心の琴線ポイントだった感はある。



若い娘のなる果樹や植物羊、マンドラゴラなど、植物と動物の中間種についての記録は、昔から世界中にあった。

『幻想博物誌』(澁澤龍彦)

果実の娘にもマンドラゴラにも動物的な知能はなさそうな感じが、半植半動の絶妙のバランス。「え、なんかそういう種って存在するかも」って半信半疑ながら思ってしまいそうな。

これが喋ったり長靴はいちゃったりしちゃうと、おとぎ話になっちゃうんだよなあ。



半分動物・半分植物といえば、猫草を忘れることはできない。

『ジョジョの奇妙な冒険 (42)』(荒木 飛呂彦)

小学生時代に荒木漫画を読み始め、ジョジョリオン以外はほぼ全部読んだかな?と思っているが、その中でも猫草はベスト25くらい(←あまり高くもないか?)には入る面白エピソードだと思う。

荒木漫画って、誰もクヨクヨしなくって、話はぐんぐん進んで、堂々巡りがないから好きだ。


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by macchi73 | 2016-06-03 23:55 | 書籍など | Comments(7)
2016年 04月 05日
庭仕事の喜び(ダイアン・アッカーマン)
『庭仕事の喜び』(ダイアン・アッカーマン)

この間読んで、とっても面白かった本。庭で感じたあれこれを、春・夏・秋・冬の章に分けて綴っている。

ものすごく知識量のある人らしく、連想が連想を呼び、話があっちこっち飛び回るが、それが躍動感があってとても面白い。どこを切り取って読んでも、元気いっぱい、溌剌とした詩のようだ。

夜に裏庭で月を眺めて「人間はあそこまで行ったんだ」とアポロ月面着陸について考えを巡らせてみたり、かと思えば、古代ギリシアの博物学者の思想に想いを馳せて、地球は宇宙の庭であり、私たちはそこで花開いた命の一部なんだ、って面白がってみたり。庭からどんどん、いろんなところに思考は広がっていく。

全体的に、ふざけた論調なのも楽しくて良い。
バラの復活を目にした時の気分を例えて、「弱って死んだ叔父が、ある朝目覚めたら、重量級のフットボール選手になって戻ってきたような驚き」とかなんとか書いてた部分(うろ覚えだけど)は、思い浮かんだ絵面のおかしさに思わず笑ってしまった。そりゃ嬉しいよなあ!
庭づくりをする者は瞬間に生きているが、同時に未来にも生きているし、過去はつねに心にある。どの花にも歴史があり、諍いの物語があり、たぶん病気の物語もあるのだろう。どの花も希望や期待とともに植えられる。庭を褒めそやす訪問者は、その日その時間の庭を味わっているのだろうけれど、そこに住み、長い年月をかけて庭を手入れしてきた園芸家にとっては、あらゆる瞬間が記憶と織りあわさっている。そして、未来図の背景にある景色を思い描くとき、庭はさらに美しく、あるいはあたかも新しい植物が花開くように、ちがう美しさを湛えている。
庭は世話をして、手をかけてこそ庭と呼べる。(略)庭は変化し成長する生き物なのだ。あなたがよく知っているだれかのように、庭は時とともに変化し、それでいながら元のままでもある。庭を比喩やありとあらゆる暗示で染めよう。たとえば「思いやりの庭」。そんな比喩の中では、庭も思いやりも、人生における特別な喜びだ。「教室の庭」では若者たちが育てられる。「不確かな記憶の庭」は、「はるか彼方でかすんでいる、子どものころの不確かな記憶の日々を集めた庭」である。
庭は、成長はしても完成することはない。つまるところ、人間も成長を完成させることは決してなく、運がよければ止まらずにひたすら成長をつづける。成長の足取りは、連続的でもなめらかでもなく、ときによって、ごくわずかしか進めなかったり、つまずいたりしながら、非常にゆっくりとあるいは駆け足で、思いがけない幸運であるいは大きな努力の結果、進んでいく。私たちが成長するのは、生きることは成長することだからであり、そして私たちが、頭で考えるだけでなく、衝動に駆られて、全身全霊で生命を愛するからである。好奇心も、愛も、野心も、信念も、そして多種多様な欲望も、すべて私たちの一部であり、それらが私たちを季節からつぎの季節へと導き、最終的に私たちを形づくる。そうして私たちは成長している。

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私も作者に倣って、月を見上げて38万キロ彼方の地面でも想像してみるか……と真夜中過ぎに散歩に出たけど、あいにくの霧雨で月は見えなかった。

それでも月と自分の間には、頭上を覆う夜桜があり、空との間を埋める細かい雨粒、もっと上には雲の層、地球を包む大気圏、それから静かで冷たい宇宙空間、そうしてやっと月の土があるんだなーと感じられた。

それから水平方面に感覚を伸ばせば、後方にはハアハアと荒い呼吸で追ってくる夫(運動不足)、さらにもっとずっと地面を辿れば、今まで行ったことがあるどんな場所にも、行ったことがない場所にも、野を越え山を越え海を越えて、地面は繋がっているのが体感できる気がした。地面は大小色とりどりの庭や景色に覆われていて、その中に、私の愛着ある庭もある。(と、そんなに世話してないのに言う)

それから、空間と同じ広がりを持って、いまここから過去と未来に伸びていく時間の塊を感じた。アッカーマンは、生きることは成長することだって書いてたけど、私は、何もない暗いとこから発生して、また暗いとこに消えて行くんだなと思った。それって成長なのか、ただの現象なのか。でも自分も、この賑やかな地球上の自然現象のうちの一つで、好ましく思うあれやこれやと等価な何かだと思えば、悪くない気はする。


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by macchi73 | 2016-04-05 23:55 | 面白かった本など | Comments(4)