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2016年 02月 17日
冬の犬
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父の一周忌で末っ子と帰省、夜中に実家着。その後、大学生も深夜バスでやってきて合流。北国は遠い。そしてとんぼ帰り。

現代のSNSの力が何か働いて(?)ずっと会ってない地元友達がプチ同窓会をアレンジしてくれた。みんなは時々会ってるらしいが、私は短期間の同級生だったので一人だけ30年ぶりだ。会場のお店に行ったら入口に人々が集まっていた。あ、年齢的にあのグループか?と笑顔で近づき、やっぱ30年は長いなー、全然わからん、とかしみじみしたら、違う人たちだった。

それで座席まで行ったら、見覚えある懐かしい顔が揃ってた。みんな想像よりずっと若い、ってかローティーンの時の面影がそのまま。これが同輩フィルターか……。話してるうちに、当時のことがどんどん思い出されて、懐かしく楽しかった。その場にいない人たちの近況なども聞いて驚いたり、でもみんな何かしら子供の頃のイメージに合った仕事についてるもんだなーと感心したり。総じて、みんなピカピカで生き生きしてて、経歴が面白かった。まあ、お家も良くて賢い子たちが多い学校だったからな。

面白かったので、みんなと別れてから、以前風のたよりで聞いていた、学校関連でない友達のところにも行ってみた。年下ですごく小さい子だと思ってたのが2m近い立派な大人になっててビックリした。小さかったから私のこと覚えてないかな?と思ったけど、覚えてるよという。本当かどうかはわからない。当時一緒に過ごしてた年長の子のこととか聞く。

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子供のとき、ピカピカの学校友達と、そうでない友達がいた。後者の予後を前者と比べてしまうと、ものすごく気重な嫌な気分になる。
そうでない友達の家にはちょっと似てる匂いがあって、入ると床が見えなかったり、ずっと壁の方を向いて寝ている大人がいたり、急に怒鳴られて追い出されたりした。うちはこの先、どっちに転ぶかな?と私は様子を窺っていた。我が家も時にシャウト&クライ&ブラッドシェッドが勃発するスリルとサスペンスに溢れた状況ではあったが、時たまある何か根本的に陽気なところが頼みの綱だった。結果、大人達は治療したりなんなりで、特に問題ない家庭に落ち着いたと言える。子供の私にはわからなかったが、たぶん常に問題ない家より、ある意味頑張った面もあるのかもしれない。

でも、そのゴタゴタした時期に私は自分のやり方を身に付けている最中だったので、家からはどんどん遠ざかってしまった。それを責められればもっと逃げ腰になり、決して大人に近づかなかった。しかし自分が親になってみれば、我が子たちというのは警戒心薄く家によく居るもので、びっくりするほどスキンシップが多く、勝手にペラペラ喋り笑い賑やかだ。そして、そういう子供の近しい態度が、大人の幸福度にはけっこう影響するものだと知った。

私は大人の幸福度に貢献できなくて悪かったなあと思ったり。でもまあ、人懐こい孫たちが充分返してくれたろうと思ったり。祖父母たちとの顔立ちなどの相似を見れば、この子らの人懐こい性質も、違う育ち方をした場合の、彼ら大人たちの本来の持ち味だったりしたのかもなと想像したり。

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思い出や記憶って、一つ一つはバラバラのスナップショットみたいだ。

バラバラのそれらに因果関係は、実はそれほど無いと感じる。「AだからBだった」という言い方もできるし「AなのにBだった」とも言えるし、違う要素を組み合わせて「いや、CがBに繋がった」とも言えるだろうし、だから要はその人が、バラバラの思い出の間にどういう線を引くかで、いろいろと違ったストーリーが出来てくるのではと思う。夜空の星はただの散在した光の点なのに、星座の線の引き方で、動物に見えたり人に見えたりするのに似てる(しかし、星座の線の引き方はちょっと強引だよな)。

なので、大人になってから色々なことを知り、点と点をつなぐ線を引き直して、子供の時とは違う見方をすることっていうのは、よくありそうだ。親になって知る親心、とかそういう系。学習であり、成長であり、言い訳だったり、悟りだったり、一般論への落とし込みだったり。

でもそれとは逆に、手持ちのスナップショットとしての個々の記憶については、後から認識を変えるのは難しい気もする。熱かった、冷たかった、赤かった、青かった、臭かった、甘かった、湿っていた、乾いていた、ヌルヌルしてた、ザラザラしてた、一瞬だった、長かった……そういう細かい感覚は、そのまま積もって、好き嫌いとか愛着とか苦手感とかの感覚的なものが根付いて行くんだと思う。すごくいっぱいスナップショットを持ってる人もいるだろうし、ほんのちょっとだけをずっと持ってる人もいる気がする。

子供の時、一番一緒に過ごした大人が亡くなる時に、macchi, 自分の人生には何も良いことがなかった、と一言いわれた。何もなかったはずはないと思った。たぶん言いたかったのは、最後が不本意だったということだろう。または単に、一瞬、そんなこと言ってみたいブルーな気持ちだったってだけかもしれない。でも、もしかしたら場合によっては、最後から遡って全部のスナップショットを不本意なストーリーに染めてしまうってことがあるのかもしれない。

私はどうしたいかと考える。ストーリー的なものは、その時点の気分や状況によって変動する可能性があるので、あまり重要視しても仕方ないような気がする。出来事を線で繋いだ総和より、バラバラのスナップショットの中に際立って鮮やかなものが幾つかあれば、そっちの方が自分的には良いかなと思う。それで、できれば後からの解釈なしで、その時のその感じを、そのままとっておきたい。悪い結果になっても、楽しかったことは楽しかったまま。良い結果になっても、嫌だったことは嫌だったまま(の必要は、ないか?)。

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雪国と思い出つながりで。
情景や天候、空気の感じがすごく生き生きと伝わってくるのは、自分も北国育ちだから?

『冬の犬』(アリステア・マクラウド)
まだ少年だった頃、私たちはよく、ぬるぬるした春のサバを手で捕まえて、自分の姿が映っていないかと、その見えない目をのぞきこんだものだ。そして、ロブスター・トラップの濡れたロープが引き上げられると、ロープの撚り糸を一本だけつまんで、つまんだ箇所から一メートルくらい離れた別の箇所で、それと同じ撚り糸を探し当てるという遊びをやった。別々の撚り糸が何本かねじり合わせて一本のロープになっているのだから、それを探し当てるのはむずかしかった。自分の判断に確信を持つことや、物事をよく見て理解することは、常に難しい。だから、ロープのねじれた撚り糸を見て理解するのも難しい。そして、ねじれて、もつれてしまった愛の撚り糸を、よく見て理解するのは、いつの時代でもむずかしい。




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by macchi73 | 2016-02-17 00:54 | 書籍・CD | Comments(4)
Commented by satoru at 2016-02-29 20:23 x
今回読んでいて、色々身につまされるというか、「そうだよなぁ、ウンウン」って感じでした。「自分の人生には何も良いことが無かった」という箇所で思い出したのが、曽野綾子の小説「残照に立つ」。内容は、誰から見ても幸福そうな老婦人が、実は無念の気持ちを隠し持ったままラストは…というのをその家の家政婦視点で語られていくストーリーなのですが、私はこの小説を反面教師というか、こうはなるまいと感じさせてくれたバイブル的な立ち位置で、今でも手元に置いている数少ない本です(そもそも曽野綾子の小説が人間のリアル(?)を描こうとしているものが多く、読後感がモヤモヤする作品が多いのですが…)。最後はどうであれ、自分の人生も捨てたもんじゃなかったと思いながらこの世を去りたいですね。
Commented by macchi73 at 2016-03-03 23:25
そういえば、曽根綾子ってエッセイを少ししか読んだことが無いかも。「残照に立つ」、面白そうですね。読んでみます。

たぶん、私の話は、ずっと無念の気持ちを持ってたって訳じゃなかったと思うんですよね。ただ最後の何年かが辛い状況だったというのは分かるので、そうするとそれ以前の楽しかった場面も芋づる式に辛い記憶になるものなのかな……記憶って独立したまま保存しておくのは難しいのかな……とか、ちょっと考えたんでした。
まあ、人の心の中のことなので、考えても分からないですね。ただ単に、ちょっと言ってみただけかもしれないし。

終わりよければすべて良しはアリかもですが、終わり悪ければすべて悪し、だとちょっと勿体無いですよね。もし走馬灯とかあるんだとしたら、自分が見るのは、流れるようなストーリー性を誇る走馬灯より、いつか見た個々の場面がカラフルに蘇る方が良いかなー。
Commented at 2016-03-14 08:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by macchi73 at 2016-03-16 20:50
おおっ!
生活が不規則な私は、もうずっとTVは殆ど見ない生活なんですが、タモリ倶楽部だけは毎週金曜の夜に(在宅できてれば)欠かさず見てるんですよ〜。何を隠そう、空耳Tシャツも持っております!

さすがタモリ、そんなことを言っていたとは。いい表現です。
ホント、自分がぼんやりと考えていることを他の人が的確に表現しているのを見つけると、カチッって何かが繋がるような、アッ、ソレソレ!って手を叩きたくなるような、面白い気持ちがしますよね。


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