2015年 07月 04日
Tour de France 2005 / 2015
e0134713_0351776.jpg

いかにも梅雨っぽいジメジメ続きだ。

雨の重みで、庭の徒長した草花がクテッと倒れまくっている。つられて自分もグテッと気怠い。薄暗い部屋で、子供が退屈している。出かけようよー!暇だよー!とまとわりついてくる。いまお母さん本読んでるんだよー、たまの休日なんだからちょっとほっといてくれよー、と部屋から部屋へ逃げてたら、どこまでもついてきて、

ホ ン ハ ・ イ ツ デ モ ・ ヨ ル デ モ ・ ヨ メ ル デ シ ョ ー !

と、シューシュー唸りながら言う。目が据わってる。うわー、その顔は可愛くない……けど一周して可愛いかも。

仕方ないから一緒に雨散歩に出た。
娘はまだプリプリしてる。なんだよ言う通りにしたのに、と言うと、オカーサン遅いんだもん!もう午後になっちゃったし!と乱暴な歩き。怒りん坊だなあ、と言ったらギロッと睨まれ、手を伸ばしたらパシッと振り払われた。傘さしなよーと声かけても、小雨に濡れて歩くのが好きなの、なんて鼻息荒くいうので、一緒に傘無しで歩いていたら、窓から見るよりは意外と降ってて、前髪や顎の先からポタポタ水が滴り出す。通り過ぎる人たちが心配そうにチラッとこっちを見る。これは世間的には小雨ではないかもしれない。

で、雨宿りも兼ねて体育館でバドミントンしたり、花屋さんで猫たちと遊んだり、七夕イベントで短冊書いてお菓子と笹をもらったり、図書館で本を借りたりして、夕方帰宅。8.6km, 12000歩。いつの間にか機嫌は直ってて、買物の荷物持ちなどしてくれる。今日楽しかったー!明日もバドミントンに行こうね!絶対ね!と楽しそうに話しながら、もらった笹を水盤に活けて短冊を飾った後には、いつものように「えーまだ起きてるー」とかごねることもなく、速やかにベッドに移動。いっぱい運動したせいか、すぐにぐっすり寝てしまう。

それで静かになって、やっとのんびり読書ができた。
小学4年生かー、そろそろ反抗期くる子もいるのかな、とか思いつつ。
e0134713_0354253.jpg

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

今週の読書は、ロードレース一色。

2015年ツールドフランスが今日から始まったので、すっごい久々に中継を見たら、昔よく見てたバッソとかペタッキ、ボーネンが現役でちょい嬉しくなる。うう、ボーネン……昔イケメンだったよな……と夫が絞り出すような声で言う。ん?いまもけっこう格好良いと思うけど、髪型のことか?さすがに青年ではなくなったな。

そう言えば、2005年の今頃、先輩がツール会場付近に1年間の海外研修に行ってたんで観戦に行く計画してたんだよなあ。末っ子の妊娠で旅は取り止めたんだけど、レースが終わってみたらランスが7連覇を飾って引退という、見どころ満載、ツールが派手にキラキラした年だったんだ……。それが一転、翌年2006年にはオペラシオン・プエルト(スペイン国家警察のドーピング摘発大作戦)があって、ロードレーサー界はなんかボロボロな感じになったのだった。それがもう10年前か。

そんなことを思い出しながら、当時のドーピングについてのノンフィクションを読んだ。
告白者のタイラー・ハミルトンの当時の活躍も坊ちゃん風の見た目も、映像としてよく覚えてるので、共感を覚えながら引き込まれてグイグイ読めた。良い本だった。

『シークレット・レース』(タイラー ハミルトン)

非常な努力をしてやっと参入できた業界(ロードレース界)が、実は不正(ドーピング)に手を染めないと活躍できない世界だったら、自分は、人々は、どうするか?という話。それが、当時渦中にいたハミルトンの一人称で語られる。

結果としては、良い人間なのに薬に手を染めた選手もいたし、良い人間とはいえないのに薬には手を出さなかった選手もいた。恐れ知らずで堂々と糾弾した選手も数名いたが、彼らが排除されるのを見て、段々と誰もが「沈黙の掟(オメルタ)」に従うことになる……。

こういうのって、ロードレース界だけじゃなくて、けっこう色んな業界で、程度は違えどある話だと思う。それに手を出さないとこの世界でイッパシの人間になれないし、自分だけがクリーンに振舞って落ちこぼれたからってこの世界が変わる訳ではない。もしそうだったら、ライバルも誰もが同じことをしているんだったら、同じ条件で戦うために自分がコレをするのもある意味公平なことではないか?っていう考え方が広がって行くのはよく分かる。特に、それがその業界の中でもハードに働いて働いて、自分の努力の結果でやっとトップメンバーに入れたと感じている人たちの間であれば。

著者のハミルトンもこう語る:
罪の意識を感じそうになったら、いつもの台詞を自分に言い聞かせた。「これは同じ条件下での戦いだ。僕は一番ハードに働いた。そして、勝つのは一番ハードに働いた人間だ。僕はやり遂げた。だからそれに値するのだ」と。

正直、その業界に執着があって熱心にやってる人、成功してしまった人ほど、こういう暗黙の掟からは逃れ難いんだと思う。例えもし自分が直接手を染めてなくても、業界の崩壊は自分の居場所の崩壊でもある訳だから。そうやって起きるモラルハザードって、でも長期的にはその中にいる人たちの何かを殺す。何故かというと「これは外側の何も知らない人たちが言うように完全な悪ではない、必要悪だ」っていくら自分たちで思っても、やっぱりそれは外側の世界には絶対に隠すべき事であり続けるからだ。
これが僕が学んだことだ。つまり、秘密は毒なのだ。秘密は人生の喜びを奪う。秘密はその日、その瞬間を生きる力を盗む。秘密は、愛する人々との間に壁をつくる。

それで疲れ果て、しかも外部からの薬物一掃の圧力がもうどうしようもなく強まって来た情勢の中、ハミルトンはコンタクトをとってきた捜査官に全てを告白する。捜査官の一番のターゲットは、もちろんスーパーチャンピオン、ランス・アームストロングだ。が、そのランスは桁外れに強くて酷いやつで、あらゆる勢力と手を組んで告白者たちを圧迫・恐喝、そして隠蔽工作などをするので、ハミルトンはさらにヨレヨレに疲れ果ててしまう。ランスほどの人気も権力もコネもないし。で、そのコネなどもあってか捜査中止になって、一瞬ランスが勝ったように見えたり、色んな経緯があって、最後は……。

最後まで読んで、自分の自転車生活中に溜め込んでしまった色んな品を整理しようとする時のハミルトンの気持ちが、よく分かった。ルールとして良い悪いというのとは別の次元で、力を尽くしたかそうでなかったかっていう次元の感慨っていうのは、個人レベルでは当然あるよな。
これらの品々をあらためて手にするのは嫌なことだろうと思っていた。見たくもない過去を思い出し、それらをすぐに埋めてしまいたいというような衝動に駆られると思っていた。実際、それはその通りだったーー僕の心は痛んだ。とても痛んだ。だけど、僕は思い出の品々から手を離せなかった。一つひとつ、それらを手にとっていった。そして、ひとつの真実に辿り着いた。これが、僕の人生なのだと。この異常で混乱した世界が、この驚きに満ち、生き生きとした現実こそが、僕の人生そのものだったのだと。

ちなみに、この本の出版の後しばらくして、続々と出てくる告白者と捜査結果に外堀を埋め尽くされて、ランスもついにドーピングを認めることになる。他の選手たちが悔いの感情を表明するのとは対照的に、ランスは全く感情を感じさせないたった5回のYesだけで告白したというのが印象的だった。

10年前、ツールを楽しく観ていた時、夫はウルリッヒを・私はランスを応援してたので(この二人とも、薬物使用として遡って勝利を剥奪されている)、ランスのこの先が、何かしらいい感じに転がってほしいなあと祈ったり。


* * * * * * * * * * * * * * * * *

さらにもう一冊、こちらはフィクションの、ロードレース・サスペンス小説。
正直、こっちの本は、私はそんなに面白く思わなかったけど、同じ題材のフィクションとノンフィクションを続けて読むことで、現実に生きてる人間って小説よりも複雑な存在だと、重みを持って感じる効果はあった。

『サクリファイス』(近藤 史恵)

Amazonでも200件近いレビューがついてて評価も高かったのでちょっと期待して読んで、なんとも言えない気分になった。読後感を一言で表せば、「サクリファイス過ぎ!」。

登場人物が少年漫画のキャラクターっぽい。人格=役割。こいつリーダー、こいつ補佐、こいつライバル、こいつ主人公、的な。

読んでて浮かぶ登場人物の様子が13-18歳くらいだったので、もしかしたら、中高生の部活が舞台とかだったら、こういうのも意外とアリだったかもとはちょっと思った。


* * * * * * * * * * * * * * *

他の関係者たちも、ドーピングを語る。

だいたいこんな論調が多いっぽい。
リーバイ・ライプハイマー「わたしがドーピングをした理由―自転車ロードレース現役選手の告白」
われわれが愛し、わたしが自らの職業として選択したスポーツがこうした状況にあったことは残念でならない。わたしが過去にやむを得ず下した決断を悔やんでいる。わたしはドーピングをしてでも夢を実現したいと思っていたことを認め、禁止薬物を使用したことを認める。(略)
もっと早く告白できたかもしれない。だが、そうしたからといって、わたしのキャリアに終止符が打たれる以外に何か達成されていただろうか。1人の選手が名乗り出て、自転車ロードレース界の暗黙のおきてに逆らって自らの過去を告白していたとしても、組織的な問題が是正されることはなかっただろう。(略)
検査手法の向上やこのスポーツの文化の変化のおかげで、自転車ロードレースは随分以前からはるかにクリーンなスポーツになっている。新しい世代の選手たちは、われわれが過去に下したような決断に迫られるようなことはない。この状態が続くようにするためにわたしの世代ができることは、自分たちの過去の行いに対する責任を取ることだ。

ジョナサン・ヴォーターズは、スマートなタイプ。
ジョナサン・ヴォーターズ「スポーツからドーピングを除く方法」
そして考えてみてほしい、正しい選択をし歩き去った才能あるアスリートたちのことを。彼らは自らの良心の導きに従ったことで罰され、取り残された。彼らはどうやって夢を失ったことに折り合いをつけるのだろう?それは彼らから盗まれた。(略)
私が知るほとんどのドーピングしたことのあるアスリートたちは、こう言うだろう。彼らはただ、公平な競争の場が欲しかったのだと。それはあることを教えてくれる。皆が求めるのは公平なチャンスで、それ以上ではないのだ。だから、私たちの若いアスリートたちに、ドーピングのない、公平な競争の場を与えよう。私たちの努力とリソースをスポーツを公平なものにするために投じよう。もう2度とその選択を迫られるアスリートがないように。

自転車界での未来を盗まれた側のバッソン。ドーピングを嫌って早々に自転車界を去ったポテンシャルある選手たちは、他にもきっともっといたと思う。
Christophe Bassons ~ a loner against doping
アームストロングに対し「僕は次世代の選手のために今のこの自転車界を正したいんだ。」とバッソンスは言い放った。それに対してアームストロングは「そう思うならお前が自転車界から消えろ。」と吐き捨てた。

ドーピング告白した選手の中でも、微妙な立ち居地にいるランディスのインタビューは面白かった。ランディスは、私のイメージとしてはヤケクソな選手。でも言ってることは一番理解しやすくて、自分の感覚にも近い気がする。
ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー
後悔は感じるよ。それがどうしてかはっきりさせよう…俺がした決断については、俺は特に罪悪感を持っていない。だけどその決断は俺の大切な人々ーー家族や俺の周りの人ーーをとても苦しめた。だからそれを後悔している。でもあまりそれを突き詰めていきたくはない。そうした決断を一度もしていなかったら、俺はそもそもツール・ド・フランスに出ることはなかっただろう。俺のキャリアや俺が加わることになったチームでは、もし俺がそれ(ドーピング)をしなかったら、俺はツールに行けなかっただろう。そこから俺が得た良いことも悪いことも、俺は経験できなかっただろう。だから俺にとっては、別にいいんだ。俺は何とかできる。でも他の人にも影響したから、だから俺は後悔している。
(略)
ーーだがきみはある人々に対しては不正をしていたんだ。2006年のツールにはドーピングしていなかった選手もいた。きみはそうした人々にどう対峙する?その事実にどう対処するんだ?

事実はこういうことだ。誰かは必ず彼らに不正をする、俺は不正をされる側にはなりたくない。善い筋書きはどこにもない。物事がそのうち正されることもない。俺はUCIに訴えに行く気もない―彼らは買収され、金を払われているんだ。

他の選手の告白が、悪いと分かりつつ避けられなかった、苦しかった……ってな感じがあるのに、その点はサラッと超えちゃってる感じもあるランス。ある意味ちょっと規格外っていうか、気の毒な(っていうと変か)気もする。一部だけ、スポッと感受性が低いってこと、割とあると思うんだよな……。
「もうパパを擁護しなくていい」元自転車王者の告白禁止薬物の使用認める
「勝つことが重要だった。今も勝つことは好き。意味はちょっと違うけれど」「(薬を使って)悪いと思わなかった?」と3度聞かれても答えは「ノー(思わなかった)」。「欺いていると思わなかった?」と聞かれ、「『だます』という言葉の定義がライバルや敵が持たないような利点を(自分が)得ることだとしたら、私はそうは思っていなかった」と語った。(略)
元チームメートに対して薬物の使用を強いたということについては否定したが、「いじめていたの?」と言い方を変えると肯定。「僕には(思い描いた)物語があって、それをコントロールしたかった。それに従わない人は嫌だった」。

[PR]

by macchi73 | 2015-07-04 23:55 | 書籍など | Comments(3)
Commented by nor at 2015-07-12 23:16 x
ランス・アームストロングの事件は大変有名なので自転車乗りの端くれである私も知っていました。私はマルコ・パンター二のファンでした。事件の発覚後、競技そのものに対しての興味が色あせてしまった事を思いだしました。ヒーローだと思っていたスーパースターが実は汚い嘘つきだったなんて知ったら誰でもそうなってしまうと思います。プロスポーツ選手界における薬物汚染は尋常で無いくらい広がっているようですね。アメフト・バスケ・メジャーリーグ、日本でも格闘技など、どこにでも噂は流れているようです。
Commented by macchi73 at 2015-07-13 11:03
パンターニも人間っぽいというかドラマチックな選手でしたね。最後、痛ましいことになって私も悲しいです。

多分、人によって倫理感の厚いとこと薄いとこあると思うんですが、私はその辺は薄いので、スター選手が嘘つきとかいう感想やショックはなかったです……ドラッグや賭博のエスカレーションの中にいて、ずっとしんどかったろうなと思いましたが。

そもそも、生物的に凄い選手達を見て「うわー、人間って凄い!」って生の感動できるのって、みんなが同じような環境で暮らしててその中で優れた人が頭角を表すという仕組みの、もっと規模が小さい世界での話だと思うんですよね。

各種スポーツの試合が世界中の人をターゲットにしたショーになって、世界規模のヒーローやらストーリーとして消費される時点で、もう生物的な競争っていうより社会的な競争のフェーズに入ってしまっているんだと思います。

生物としての限界を超える仕組みができて、昔は考えられなかった規模の娯楽や利潤が発生したり、でもベースとなる生物的なとこと軋轢を起こしたりというのは、スポーツだけでなく各方面で同じことが起こっていると思うので、最後はどこに行き着くのか、解決策というのはあるのか、そういう興味を持ちました。
Commented by macchi73 at 2015-07-13 11:46
今回、当事者の本を読んで、そういうとき内側の人間が苦しいのって、建前と実情の隔たりっぽいので(そういう面も、人間って社会的な存在なんだ……って感じました)、もう「これは科学と技術と選手の力の複合的勝負だ!」って開き直っちゃって、どんどんオープンに凄いマシンやドラッグを優れた選手にシステマチックに投入して行うレースにするのは、ダブルスタンダードの責任を選手個人に負わせないという仕組みとしてアリなのかもと思ったり。

けど、そうすると元手のある組織だけが活躍できる世界になっちゃうし、選手はどんどん消費されるだけのパーツみたくなっちゃいますよね……。そんなのダメだ!という反論は、昔からの倫理観や人間性を重視するの人たちの側からは当然出てくる訳で。その繰り返しの中で、バランスのとれたとこに行き着くのか、それとも違うのか……。

個人的には、やっぱり生きたり死んだりのときに感じられるのは生物としての感覚だけだと思うので、あんまりシステムが主人の世界は嫌ですね。と同時に、自分たちの日常的には、もう圧倒的に生物面より社会面の制御が多いということも感じました。選手と自分と、生きてる世界はそんなに違わないよなと。


<< 雨後の庭      カラムシ(苧麻)、オオブタクサ... >>