2012年 02月 06日
林檎の礼拝堂

『林檎の礼拝堂 La chapelle des pommiers』


田窪恭治という現代美術家が、ノルマンディー地方の一つの廃チャペルを再生するプロジェクトの記録。

コンセプトは、建物の中と外の垣根を取り払うこと。例え礼拝堂内にいても、天井や壁は透明となり、外に拡がる景色との繋がりを感じることができること。
そんな基本イメージが、試行錯誤されながら具現化されていく様子が良く分かって面白かった。

綺麗な表紙にノックアウトされて読んでみたが、表紙から想像したより写真は少なくて文字情報が多い。写真集的なものではない。

礼拝堂再生のステップが時系列に記述されていて、何かを作るっていうことはどういうことなのかが具体的に分かりやすい。

庭造りにも、参考になるかも(規模が違うけど)。


読んだ感想:
「こんなことやりたい」と思ったら、何も整わないうちにそれに飛び込んで、周りに支援を働きかけるのが凄い。自分で責任とれるかどうか分からない時に周りの協力を仰いでいくのって、結構怖いことだと思う。

更に、そんだけ周りを巻き込んでおいて、なかなか目に見える行動にとりかからないのも凄い。
他人からどう見えても、自分の内から沸き上がる確信をつかむまでジッとしているってのは、かなり胆力を使うもんだと思う。
私だったら、「みんなのこと待たせてるし、広げた風呂敷はちゃんと早くたたまないと……」なんてソワソワして、とりあえずのとこで手をつけてしまうかも。
というか、スロースターターの事情ってこうなのかと初めて知った。
目にはさやかに見えねども。停止してる訳じゃないんだな。
そっか、それなら周りで不要に騒いで急かすのは止めよう。我慢しよう。

それから、それだけ事前に自分の中でイメージを深めるために力を注いでおいたのに、いざ実現化にとりかかった時には他人のやり方も受入れられるってのが、一番凄い。
フランスの職人さんたちの仕事の出来具合と、自分の考えていたイメージとのギャップによるとまどいからも、今ではすっかり解放され、彼らとの共同作業を楽しんでいるのです。言い換えれば、私はアーティストではなく、新しいタイプの職人として、工事に参加している1人にしかすぎないのです。

何についてもそんな風に、関わっている人同士のコラボレーションなんだと思えたら、きっと一人でガツガツするより良いことが出来るんだろうな。自分には欠けている部分だなーと思って、今後のやり方を考えさせられてしまった(色んな方面について)。

今後の練習として、庭作りくらいはそういう感じで子どもと一緒にやれるようになりたいもんだと思う。
自分のためだけでなく、子どもにとっても一緒の何かになるように。

……なんて、凄い凄いと3連発してみたが、文章のトーンが全然凄くないのも、何となく面白かった。
別に胆力とかありそうでもなく、芸術家っぽくもなく、文章としては面白くもなく(失礼)、真面目な普通の人が素直に書いてる感じ。でも何となく最後まで興味深く読んだ。
しかし、自分が他人の世界を通して、何かある共通したものを感じることができるのであれば、それは誰がどんな方法を真似しようとたいした問題ではないでしょう。むしろ、ちっぽけな自我(オリジナリティー)に左右されることなく、素直に他人のなかに自分と共有できる世界を見つけることの方が、自然な生き方であるように思えます。
...(すんごい中略)...
目の前の世界に感動したり、自然の音に耳を傾けたり、という人間の持つ生物学的な機能に素直に従っている人々、つまり、ものを作る以前に世界に対して、より直接的にかかわろうとしている人々の態度と、それによって導き出される世界に興味があるのです。


* * * * * * *

この本を読んでいて、思い出したのが日本画家の千住博の文章。かなり対照的。

才気とパワーに溢れる千住氏タイプって現代の華みたいなところもあり、グイグイ読めて、なんとなく勢いで「そうそう、そうだよな」とか共感する。一方、田窪氏の方は、ふーん、こういう考え方とか物の進め方ってあるんだなとチマチマ読み進めながら、自分の知らなかったことを一つ知った気分。
どっちも面白かったけど。

『絵を描く悦び』(千住博)

文章自体が面白く、表現者って熱い!と思わせる内容。
こっちで触れられている「芸術」は、止むに止まれぬ個の表出か。
力強く朗々とした文章で、最後まで一気に読ませる。
これは著者がちょっとハンサムで濃い感じなのも、在り方に影響してるかもとか思ったり……。


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by macchi73 | 2012-02-06 22:16 | 面白かった本など | Comments(0)


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